王都での取引 一日目
いつもの行程通り一日目は龍の内海まで足を運んで、ガルネーレの漁村で干魚の買い付けを済ませる。
二日目はグヴィナー子爵領の領都オクトゴーンに立ち寄り、馴染みの問屋で小麦の仕入れ。
そこから東西街道を東へ。
宿場町に泊まりながら、酒場で噂を聞き込みつつ十日間。
ようやく王都に着いたハンスは、狭い御者台の上で大きく伸びをした。
二月頭となればさすがに雪も減って足止めを食らうこともなかったが、食うに困った農夫が物取りに早変わりしやすい時期でもある。
脇に置いてあったゴブリン製の短弓に目をやった行商人は、安堵の息をそっと吐いた。
今回、出番がなかったのは、本当に幸いであった。
ただし、帰りも無事かどうかの保証はない。
道中に仕入れた噂では、やはりあの若き錬成術士の語った通り、すでに水の異変があちこちで起こっているようだ。
おかげで小麦の相場が安定せず、いつもなら一袋銀貨二枚のところが二枚半であった。
門番に半銀貨の通行税を渡して、馬車に乗ったままハンスは馴染みの商会へ向かう。
店の前に着くと、気づいた丁稚の小僧が急いで番頭を呼んできてくれた。
「やあ、調子はどうだい?」
「いやはや、こっちは相変わらず賑やかで景気はよさそうですな」
「そうでもないよ。祭りが近いってんで、逆に財布の紐は固くなっちまってね」
最初は軽く近況を話し合いながら、相場の読み合いである。
といっても、そのままでは売りつけるほうが不利だ。
ハンスはさっそく街道近くの町や村の厳しい状況を語り、今年の冬小麦が不作になりそうだと力説する。
対する番頭も、建国祭の需要を見越して小麦の持ち込みが多く、だぶつき気味だと反論してきた。
互いの腹を探りあった結果、小麦一袋は銀貨二枚と銅貨九十三枚の買い取り値となった。
一袋につき銅貨四十三枚の差額で、三十袋分でしめて銀貨十二枚と銅貨九十枚の儲けである。
さらに銀貨一枚で仕入れたザルいっぱいの干魚は銀貨二枚。
ザル四つ分で銀貨四枚の儲けとなった。
「今回はちょっと少なめだね」
「ええ、他にも積み荷がありましてな。そうそう、こちらはいかがですか?」
自信ありげに笑ったハンスが荷台から引っ張り出したのは、木箱に入った干し肉の塊であった。
ナイフで少し削って、味見をしてもらう。
「ふむふむ。変わった歯ごたえだな。うぐっ、うん、うむうむ、銀貨一枚でどうだろう?」
「おやおや、王都に店を構えるお方が、この肉のよさがお分かりにならないとは。どれ、もう一切れどうぞ」
「うむ、いただこう。ふぐふぐ、たしかに噛んでいると旨味が増していくな。あと半銀貨つけようじゃないか」
「なんと、それはありがたい。が、もう一口召し上がってみれば、さらに口と財布の紐が緩みますぞ」
「うむむ、噛めば噛むほど……。よし、これは銀二枚でどうだろう?」
「はい、いいでしょう。と言いたいところですが、そろそろ呑み込むのが、惜しくなってきてはいませぬか?」
「た、たしかに! この味はおいそれと食べ終わるのがもったいないな。分かった、分かった。銀貨三枚だ。ただしウチ以外に卸さんでくれ。これで勘弁してくれんか」
「お買い上げ、ありがとうございます」
二箱でしめて銀貨六枚である。
珍しい魚や肉は、やはり儲けが大きいようだ。
そして特にこの干し肉に関しては、おそらく同じものは二つとないだろう。
邪妖精の村で作られた大きな鳥の干し肉だなんて、誰に言っても信じないに違いない。
「じゃあ、いつもの酒と塩でいいかい?」
「いえ、今回は外海沿いを周って帰りますので、塩は止めて種芋あたりをお願いします」
「そうかい。詳しいことは店の者に聞いとくれ。おーい、誰か」
店員に荷降ろしを手伝ってもらい、一番安い銀貨三枚の麦酒の酒樽五つと注文にあった野菜の種や苗を仕入れる。
この国でもっとも物と人が集まる王都の店だけあって、目移りが止まらない品揃えであった。
「旦那、宿が決まってないなら案内しますぜ」
「いや、今日は知り合いのところに泊まるつもりでね」
「そうですか……」
口利き料を取りそこねた店員に、ハンスは穏やかな笑みを浮かべた。
厳密にはまだ知り合いではないのだが、わざわざ詳しく説明する間柄でもない。
聞いていた道筋を馬車でたどったハンスは、すぐにお目当ての可愛い熊が描かれた看板を見つけた。
いったん店の前でロバを休ませ、扉から中を覗いて様子をうかがう。
「はーい、いらっしゃい」
すぐさま声をかけてきたのは、この肌寒いのに拘らず肩を剥き出しにした獣人種の女性の店員だった。
一階は食堂となっており、夕方近くもあってかなりの混雑ぶりである。
「お食事ですか? 空いてる席ならどこでも自由にどうぞ」
「いえ、いきなりで申し訳ありませんが、エンニ様でお間違いありませんか?」
「どこかで会ったかしら? ええ、間違いないわよ」
「会うのは初めてでございますね。私はハンスと申します。……あなたのことは、お知り合いから少々、聞き及んでおりまして」
ちらりと店内を見回したハンスは、さり気なくエンニの耳に口を寄せてささやく。
「その方から、手紙を預かっております。できれば、人目のないところでお渡ししたいのですが」
そして今度は、周りに聞こえるように声のトーンを上げる。
「なんともいい匂いですな。これは夕食にも期待できそうだ。荷馬車付きで一泊お願いできますか、女将」
「はーい、喜んで」
一瞬だけ戸惑った顔になったエンニだが、すぐにいつもの笑顔に戻って不審な客を招き入れた。
馬車を屋根のある中庭へ移動させたハンスは、小さな女の子に部屋まで案内してもらう。
寝台のシーツはパリッとしており、部屋にはチリ一つ落ちていない。
やや手狭ではあるが、荷馬車込みで一泊半銀貨は当たりの部類である。
次回からは定宿にしようと心に刻むハンスであった。
夕食は揚げた魚のフライに黒パン。
具沢山のシチューに葡萄酒がグラス一杯ついて、大銅貨二枚とこれまたお得である。
「ごちそうさまでした。王都の食事はどこも素晴らしいですが、この店は格別にそう思わせてくれますな」
「気に入ってもらって何よりです。あんた、お客様にお褒めいただいたよ!」
エンニの呼びかけに、カウンターの向こうの熊そっくりの獣人種の男性が何も言わず頭だけ下げてくる。
呆れたように息を吐いた三角耳の美人は、ハンスに苦笑を浮かべてみせた。
「あとで体を拭くお湯をお持ちしますね」
「おお、それは助かります」
二時間後ようやく客足も引いたのか、ハンスの部屋の扉がノックされる。
湯気の立つたらいを片手に持って、のっそりと入ってきたのは、先ほどの大柄な料理人であった。
エンニのほうは、警戒するように廊下に留まったままだ。
「…………誰かの知り合いだと聞いたが?」
「ええ、こちらをどうぞ」
ハンスが懐から取り出した手紙を手渡すと、獣人種の男は封を爪先で器用に開けて読み始める。
周囲が黙ったまま見守っていると、男は急に目の上に手を当てて体を震わせた。
「どうしたんだい、あんた?」
「…………兄弟は無事なようだ」
その返答に形相を変え部屋に駆け込んできたエンニは、手紙を引ったくるように取り上げ懸命に目を通しだす。
そして大男と全く同じ反応となる。
なんとも似た者夫婦である。
「よかった……。元気でやってるみたいだね」
「ええ、いろいろ張り切っておられてますよ」
「…………ふ、あいつらしい。もっと聞かせてくれるか」
その後、しばらくの間、ハンスは若き錬成術士が来てからの村の変わりっぷりを二人に丁寧に話していく。
もちろん肝心の部分は、ややぼかしておいたが。
「心配してたけど、全く無駄だったみたいね。本当にもう……」
「…………新しい油か。よく見つけたものだ」
やんちゃ気味の弟を心配する姉の顔となるエンニ。
それに引き換えオッリのほうは料理人としての性か、手紙に書いてあった油のほうが気にかかるようだ。
「それですが、こちらになります。ぜひ使ってみてください」
「…………む、これは」
「あら、なにこれ!? 本当に油? 騙してるんじゃないの?」
ハンスが差し出した樽の中身を一舐めした二人は、どこぞの村人たちと同じ反応を見せる。
「植物を絞って取れるので、こんなにさっぱりしてるんですよ。私どもは翡翠油と呼んでおります」
「はあ、凄いものを作ったもんだね、あの子ったら」
「…………非常に美味いと思う。だが受け取れんな」
「それはまた、どうしてでしょうか?」
ハンスの問いかけに、二人は顔を見合わせてから視線を床に落とした。
「お恥ずかしい話だけど、そんな高い油、うちじゃ買い取る余裕がないのよ」
「…………あいつはオレの自慢の兄弟だ。だからこそ、ちゃんと金を払ってやりたい」
きっぱりと言い切る獣人夫婦の姿に、ハンスは思わず笑みを浮かべた。
「ああ、その点ですが、元から私には売り買いする権利はありません。なのでお譲りするしかないんですよ」
都市内部での商取引は、朝市などを除き基本的に都市に住まう商人の権利である。
そこを無視してしまうと、発覚した場合にあらゆる場所での取引から完全に弾かれてしまうのだ。
「それにきちんとお譲りする意味はあるんですよ。こちらも商売人ですからね」
「そうなのかい?」
「ええ、お二人にお願いしたいのは、この翡翠油の宣伝です」
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