反省点と方針の伝達
「よくやったな、ヨル」
「いたみいるー」
まだくたっとしているヨルを抱きかかえた俺は、魔活回復薬の瓶をそっと口元にあてがった。
こくこくと喉が動き、またたく間にガラス瓶は空っぽになる。
一気に飲み終えたヨルは、口元を緩めて満足気な息を吐いた。
銀色の冠をどかして耳と耳の間を指で軽く撫でてやると、目をつむって喉を低く鳴らしだす。
ステータスを確認したが体力値は少しずつ戻っており、十分もあれば完全に回復しそうだ。
ふわふわの毛皮に血が滲んでいる様子はなく、あちこち触ってみたが痛がる様子もない。
「よし、もう大丈夫そうだな」
「がんばったねー! ヨルっち」
「くぅくぅ!」
玉座に再び座らせてやると、ミアとクウが飛びついてきた。
弟に抱きつかれ、ミアに顔を押し付けられたヨルは、誇らしげに鼻を持ち上げた。
うん、お姉ちゃんしてるな。
「さて、どうされますか? ニーノ様」
ハンスさんに問われた俺は、ぐるりと闘技場を見回した。
すでにゴブリンどもの姿は影も形もない。
決着がついた後、ひとしきり熱狂したかと思ったら、さっさと出ていってしまったのだ。
あとに残されたのは、敗者であるゴブリンキングの死体と勝者へのにんにくの山。
それと地下へ続く階段の入口だけだ。
山盛りのにんにくは、二匹が嫌がるのでとっくに回収済みだ。
キングの死体からは白魔石塊と、使っていた大きな棍棒が回収できた。
クウに訊いてみたが、ボスゴブリンは食べないそうだ。
妖精種は口に合わないのだろうか。
一点、気になったのは、棍棒の名前が恐鳥の大骨となっていたことだ。
どうやらこの階には、まだまだ凶悪な魔物が潜んでいそうである。
さて、ここまで来るのにだいたい四時間。
帰りは魔物を倒さなくていいが、それでも二時間弱はかかるか。
昼過ぎの出発だったので、今からだと地上に着く頃には日も沈んでいるだろう。
「遅くなりついでに、六階も少し覗いてみますか。せっかくヨルが頑張ってくれましたしね」
「ほほう。皆様も初めての階層ですか。それは楽しみですな」
期待に満ちた目を向けてくるハンスさん。
すっかり地下迷宮の魅力にはまったようだ。
「ヨルは俺がおぶるよ。じゃあ行きましょうか」
パウラが手を伸ばしてきたので、断って俺が獣っ子を抱き上げる。
せめてこれくらいは、戦えない俺がしないとな。
妖精のヨーを先頭に、一列に並んで階段を下りる。
馴染みの転送感覚のあと、まっさきに聞こえてきたのは何かの水音であった。
そしてすぐに、その原因が目に飛び込んでくる。
階段の下、六階に広がっていたのは、果てが分からないほどの巨大な地底湖だった。
「わっほー! なにこれ!」
「くー!」
天井に光源がないせいで、黒い水面が限りなく続いているようにしか見えない。
ずっと奥のほうには、水面に淡い光がいくつも浮かんでいた。
そのせいで、余計に広さが際立っているようだ。
わずかに風でも吹いているのか、時おり小さな波が立つ以外、ほとんど湖面に変化はない。
それと天井から滴る雫が、静かな水音と波紋を広げるくらいである。
底が知れない膨大な量の水が放つ圧迫感に、俺は思わず身を震わせた。
こういう何か巨大なものが潜んでそうな不気味さは、本当に苦手なんだよな。
「うかつに水際に近寄るなよ。何が居るか分かんないぞ」
「はーい! クウっち、石投げてみよー」
「くぅ!」
元気よく遊びだすミアとクウ。
さらに妖精のヨーとゴブっちも混じって、楽しげに湖面へ石を投げ入れている。
逆に大人の二人は見慣れない水の広がりに気圧されたのか、階段の下から眺めるだけで動こうとしない。
大ミミズと大芋虫の二匹に至っては、水が苦手なのか階段から下りてこようともしない有り様だ。
俺はヨルを抱っこしながら、水辺に並行して少し歩いてみた。
コマンドメニューの地図を広げたところ、東西に壁と湖岸線が伸びていくだけで、肝心の湖部分は黒く染まったままである。
「これは、厄介そうな階だな……」
「ええ、そうですね」
つい漏らしたつぶやきに賛同してくれたのは、背後に付き添っていたパウラであった。
俺が足を止めると、そのまま隣に並んでくる。
つかの間、俺たちは無言で、黒い湖面を静かに眺め続けた。
「そう言えば、さっきの一騎打ちだが……」
「はい、どのようなお叱りも受ける覚悟はできております」
「そんな気は毛頭ないって。また助けてもらったな。ありがとう」
俺が見落とさなければ、ヨルはもっと余裕を持って勝ちを拾えていたはずだ。
「それと言葉が足りてなかったのも、謝っておこうと思ってな。辛い決断をさせて、すまなかったな」
いきなりの謝罪の言葉に、パウラは戸惑った表情を浮かべた。
小さく息を吐いた俺は、先ほどの状況を思い出しながら問いかける。
「ヨルがあのまま負けそうだったとしても、パウラはたぶん俺たちを止めてただろ?」
「…………はい」
しっかりと俺の目を見つめながら、魔人種の女性は言葉を続けた。
「あなた様は大きな覚悟を秘められて、この地下迷宮に挑んでおられます。わたくしどもは、そのための礎に過ぎません。いちいち躓いておられると、いかな大望とて果たすことは叶いませぬ」
うん、一理ある。
一匹や一人を助けるために、より多くの損害を出すのは確かに愚かなやり方だ。
特に替えがきかない俺が倒れてしまうと、ダンジョンの開拓そのものが頓挫してしまうのは明白である。
まあ、そこを重々承知した上で、俺はヨルを助けたいと思ったのだ。
「それなんだがな。前にも言ったけど、俺の目的ってのはこの地下迷宮に安全な住居を作ることだ。まあ結果的に大きくなっていけば、パウラが言うような帝国……まではいかないと思うが、そこそこの規模にはなるかもしれんな。で、どうしてそんな場所が欲しいかって言うと、至極単純で皆を助けたいからだ」
一息ついた俺は、パウラの反応を確かめる。
黙ったまま身動ぎしないが、ちゃんとその瞳は真剣に俺を見つめていた。
「ただし、全員を助けるなんてのは、俺も無茶だと理解してる。そもそも、見知らぬ連中とは、もう関わる気にはなれないしな」
最初は、そうしようと足掻いてはみたのだ。
しかし、無難な生き方しか知らない俺には荷が重すぎた。
だからもう諦めた振りでもしておかないと、罪悪感で頭がおかしくなってしまう。
「だけど、俺と関わった人間……魔物もか。それだけは、何としてでも助けていきたいと思っている。特にパウラやヨルやクウは、絶対にだ。一番、頑張ってくれてるからな……」
驚きでわずかに目を見開いたパウラに、俺は淡々と言葉を重ねた。
「というわけだから、これからも誰かが危険な時は無茶をしていく予定なので、パウラも誰も見捨てないという前提で行動してくれるようにお願いする。無謀な考えだとは分かっているけど、その、ぜひ力を貸して欲しい。……俺だけじゃ確実に無理だけど、パウラが一緒なら、たぶん……なんとかなるだろうし。……ちょっと、楽観的すぎるか」
でもこの点だけは、ちゃんと伝えておかないとな。
グダグダながらも最後まで言い切れたことに、俺はようやく胸をなで下ろした。
それから改めて反応を窺う。
黙ったまま穴が空くほど俺を見つめていたパウラだが、じょじょにその頬に赤みが増していく。
そして絞り出すように、返事をつぶやいた。
「……あなた様はそれほどまでに、わたくしたちを案じてくださるのですね。なんと……、なんと情け深いお言葉を。これからはよりいっそう、誠心誠意を込めてお仕えいたします」
「いや、重いです。パウラさん」
「なぜに、またも敬語を!?」
「できたら、一緒に頑張りましょうくらいでお願いします」
そう言いながら俺は、すやすやと心地よさげに寝息を立てるヨルを差し出す。
また少しだけ目を見張ってから、パウラは素直に獣っ子を受け取ってくれた。
優しく抱きとめる姿をきちんと確認してから、俺は何ごともなかったように宣言した。
「では、帰りますか」
「はい、あなた様」
本日の収穫。
地下一階。
青魔石二十一個。青魔石塊(小)一個。
青スライムの体液二十六個。迷宮水苔十個。
錬成済み。
迷宮水十五袋。迷宮水入り大袋一個。
スライムの皮袋五枚。魔活回復薬(下級)八個。
地下二階。
緑魔石十七個。緑魔石塊(小)一個。黒魔石十一個。
コウモリの肉十一個。犬の骨九個。コウモリの糞尿石二十八個。
錬成済み。
なめしたコウモリの大羽二枚。
なめしたコウモリの羽二十枚。
地下三階。
黄魔石十六個。黄魔石塊(小)一個。赤魔石二十二個。
ミミズの肉十三個。針金の尻尾二十二本。
錬成済み。
銅塊八個。
研磨済みの白照石十二個。
地下四階。
白魔石五個。白魔石塊(小)一個。黄魔石五個。黄魔石塊(小)一個。
妖精の鱗粉一個。
錬成済み。
絹糸六束。虫渋二個。幸福水一袋。
地下五階。
白魔石五個。白魔石塊(小)一個。赤魔石四個。
ゴブリンの弓矢五組。ゴブリンの鈎棍棒五本。
ゴブリンの護符五個(希少度星二個)。
野うさぎの角四個。野うさぎの皮四枚。野うさぎの肉二個。
迷宮大蒜四十個。翠硬の実四十四個。
妖精銀の冠(希少度星二個)。恐鳥の大骨。
錬成済み。
翡翠油二十瓶。
地下六階。
地底湖の水一袋(希少度?)。
途中で消耗した物や、食べてしまった物は抜いてある。
と言っても今回、特に大きかった支出は幸福水六袋と赤羽根に渡した赤魔石三十五個くらいか。
増えた使役魔は、大ミミズのミズさんとゴブリンのゴブっち。
二匹とも非常に役立ってくれそうで、今から楽しみである。
最後に本日のレベルアップ状況。
パウラとクウはレベル17、ミアはレベル16。
ヨルはゴブリンキングを倒したことで、一気にレベルが二つ上がってレベル18である。
妖精のヨーちゃん、大芋虫の芋っちがレベル16。
ゴブっちはレベル15、大ミミズのミズさんはレベル14。
ディルク村長はレベル20のままであった。
ステータスは数値がやや上がっただけで、残念ながらめぼしい変化はない。
ただハンスさんだけは、レベルが一日で一気に上がったので凄い変わり様であった。
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名前:ハンス
種族:汎人種
職業:剣士(レベル:15)
体力:23/23
魔力:8/8
物理攻撃力:39
物理防御力:30
魔法攻撃力:12
魔法防御力:12
素早さ:26
特技:<攻撃回避>、<二属適合>、<魔耗軽減>、<旋風>、<連撃>
装備:武器(鋳鉄の小剣)、頭(コウモリの羽帽子)、胴(大コウモリの羽ケープ)、両手(革の盾)、両足(革の長靴)
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物理攻撃力と防御の値が、思った以上に高くなって驚いた。
素早さもそこそこあり、これならそこら辺の傭兵くずれくらいなら余裕で勝てそうである。
全体で見れば、じわじわであるが次の区切りとなるレベル20が見えてきた感触もあり、二日目にしてはいいペースであった。
村に帰ってアイテムを整理したら、明日も地下迷宮に挑むとしますか。
「あれ……、なんだこの水、しょっぱいぞ!?」




