川下攻略のすゝめ
「しゅつじーん!」
「くー!」
筏の先頭に並ぶ二匹の出発の掛け声に、ゆっくりと景色が後方へと流れ出した。
本日の十五階は晴れ渡っており、珍しく雨の気配はみじんもない。
水しぶき混じりの冷えた風を頬に受けながら、俺は振り向いて背後の様子を確かめた。
川面を進む筏の数は全部で四つ。
先頭を行く一つ目には、迷宮を探索するいつものメンバーだ。
ヨルとクウに、青スライムと赤スライムが二匹ずつ。
筏の中央で身を縮ませる石肌蛙のカーと、その背中に腰掛けて鼻歌を歌う猫耳娘のティニヤ。
後は俺とパウラに、筏を押してくれているカッちゃんや兄河童たち。
「うわわわ! ほ、本当に大丈夫なのかよ、これ!」
「ギヒヒヒ!」
二つ目の筏には青ざめた顔で悲鳴を上げるヘイモと、平然と武器の手入れをしているゴブリンどもが乗っている。
山育ちが多い獣人種とはいえ、あまりにも対照的な取り合わせである。
「はわぁ、すごく気持ちいいですね」
「クシシシ!」
三つ目の筏で心地よさげに緑や金の髪を揺らしているのは、樹人種のエタンさんと妖精たちだ。
華麗なその身を守るように、鋭い目をした弓士たちがしっかりと周囲を固めている。
「お、思ったよりも、速度が出ますね……」
四つ目の筏に搭乗しているのは、ノエミさんと使役魔の剣尾トンボ二匹、それと配下の屈強な村の若者連中だ。
亀の甲羅で作った大きな盾を携え、隙もなく周囲に目を配る様からは、なかなかの強者感が漂っている。
この二十八人と四十三匹の総勢六十九名が、本日の河童の集落奪還作戦のメンバーとなる。
回復術が使える村長夫妻は多忙のため、また空を飛べない大型種の使役魔たちも筏の移動に向かないため今回はお休みとなった。
「おーい、錬成のあんちゃんよ! どれくらいで着くんだ?」
「そうだな。あと二十分くらいか」
すでに何度も下見に行っており、だいたいの距離は把握している。
河童たちの筏の押し方もずいぶんと上達したため、移動の時間も最初の時と比べて半分以下になっていた。
「うん、ここらへんでいいか。そろそろ停めてくれ」
順調に中洲を通り過ぎて川幅がやや広くなってきたところで、俺は河童たちに声をかけた。
カッちゃんたちが素早く前方に回って流れる筏を押し留めてくれたので、岸に杭を打ち込んでつなぎ留める。
「じゃあ河童のみんなは、ここでちょっと休憩しといてくれ」
「クパァ!」
「皆さま、準備はよろしいですか? そろそろ参りますよ」
パウラの呼びかけに、固い地面の感触を確かめていた村人や魔物たちは緊張した面持ちで頷いた。
静かに川岸から離れた俺たちは、流れを迂回しながら川下へと向かう。
百メートルほど歩くと、水面を叩く激しい音が耳奥に響いてきた。
さらにもう少し進んだ瞬間、強烈な光景が目に飛び込んでくる。
「うがっ! なんじゃありゃ!」
「ヒィィィ! たたた、たまげたべ」
「は、話に聞いてなかったら、ぜったいに腰が抜けてな、俺……」
それまでほぼ一定の幅であった川は、そこでいきなり何倍にも広がり、大量の水を湛えた湖へと変貌していた。
湖畔は膝ほどの丈の草に覆われており、岸辺には水草らしき緑も見える。
湖の中央には石垣らしきものがある小島がぽつんと浮かんでおり、その周囲を埋め尽くしてたのは――。
丸太ほどの胴体をくねらせる大水蛇の集団だった。
ぬるぬるとぬめる真っ黒な体が、何度も水中から浮かび上がっては消えていく。
そしてそのたびに背びれや尾びれが水を高く跳ね上げ、雨粒のように無数の波紋を作っていた。
初めて見るには、おぞましすぎる眺めであろう。
現に多くの戦闘を経験してきたはずの村の精鋭たちは、完全に声を失ってしまっている。
が、ゴブリンや妖精など一部のメンバーたちは、全く違った反応を示していた。
暴れまわるモンスターを食い入るように見つめよだれを垂らすその姿に、俺は苦笑いを浮かべて呟く。
「まあ、あれの味を知ってしまったらなぁ……」
かく言う俺も、今ではすっかりタライいっぱいに詰め込まれたうなぎを見ているような気持ちである。
思わず漏らした言葉が聞こえたのか、ヘイモが驚いたように尋ねてきた。
「もしかして、あのクソ美味かった魚って、あれの肉か?」
「ああ、そうだぞ」
「まじか!」
俺たちのやり取りが耳に入ったのか、固唾を呑んでいた村人たちもざわめき出す。
「美味かったなぁ。あんな美味い魚、おら初めて食ったべ」
「そうだなぁ。見た目はあれだけど、めちゃくちゃうめぇのか……」
「じゃあ、もしかしてあれ倒したら、またあの肉食えるべ?」
口々に声を上げる村の衆だが、誰かがポツリと放った疑問に互いの目を見合わせる。
そして深々と頷くと、爛々と輝かせた瞳をいっせいに俺に向けてきた。
「やる気が出てきたみたいだな」
モンスターの大群といえば、五階で遭遇した突撃鳥との一戦が思い起こされる。
あの時は不意打ち気味に襲われたせいで、心の準備をする時間が一切なく大変だった。
だが、今回は下調べに多くの時間が取れたし、準備も入念にできた。
事前にモンスターの姿を見せることで、もう慌てふためくこともないだろう。
こうやってある程度、こっちが状況をコントロールできるなら、あいつらはもうただの獲物でしかない。
ただし油断は、禁物である。
それに俺が十五層の攻略をためらっていた理由は、もう一つ残っているしな……。
「よし、戻るか。皆は手筈通りの配置についてくれ」
「はい、あなた様。お任せください」
筏前方の左右の岸には、それぞれ盾を持った若者を六人ずつ配置する。
その背後にはエタンさん配下の弓士十人と、ヘイモとゴブリンたちがそれぞれ分かれて飛び道具を構える。
ヨルとクウ、ティニヤやパウラやノエミさんは、遊撃隊として両岸に散らばってもらった。
そして俺とアニーは、そっと下流へ向けて進み出した。
湖から三十メートルほどの距離まで近づくと、騒がしい水音がより大きくなった。
ぐねぐねと動き回る水蛇どもの迫力も、ここからだと洒落にならないレベルになっている。
「あー、あそこに落ちたら一瞬で終わりだな」
「クパァ……」
同意してくれた兄河童に頷き返しながら、俺は道具の欄を開いた。
取り出したのは、すべすべとした白い殻に包まれた火吹鳥の卵だ。
落とさないよう慎重に両手で持って、川の中に居る兄河童に手渡す。
「クパ!」
卵を頭の上に掲げたまま、静かに狙いを定める兄河童。
何度か首を横に振った後、群れから少し離れた場所に居た一匹に決めたようだ。
狙いを定めて、第一投!
川上から流れてきた白い塊に、大水蛇は即座に反応を示した。
水面を押しのけ、恐ろしい速度で挑みかかる。
数度、体を巻きつけてから、巨大な蛇は卵を一息に呑み込んでみせる。
喉元が大きく膨らみ――。
次の瞬間、派手な音を立ててその頭部が爆散した。




