各進捗の状況 その一
「さて、どうするかな……」
大量のうなぎが湖面にひしめき合う衝撃的な光景を目撃して、すでに一週間が経過していた。
日差しの暖かさはすっかり春めいていて、肌を凍えさす冬の気配は微塵も残っていない。
村のあちこちでは草花が芽吹き始め、ヨルやクウは以前にも増して朝寝坊が酷くなった。
「あれ、センセ、まだ迷ってるの?」
「いや、朝飯の話じゃないんだが。ま、いいか、いつもので」
「はーい、サンドイッチ定食一つね」
朗らかに返答したミアは、振り向いて厨房のウーテさんへ注文を伝える。
魔法書の勉強はたいへん好調らしく、驚いたことに来月には迷宮探索に復帰できそうとのことだ。
ご機嫌そうにポニーテールを揺らす少女を眺めていると、すぐに料理が運ばれてきた。
大胆に切り分けられた分厚めのパンの間から、これみよがしにはみ出しているのは燻製した猪肉だ。
これにビッグサイズの目玉焼きと、カリッと炒った胡桃がついてボリューム、カロリーともに満点の朝食となっている。
まずは大きく一口かぶり、顎を上下に動かして肉とパン両方の感触を味わう。
塩っ気を多めにしてあるせいでやや味は濃いが、純粋に美味い。
ただし水分が急速に吸われてしまうので、呑み込んだあとに冷えた迷宮水を流し込む。
二口目の前に卵焼きにナイフを入れて、溢れ出した黄身をサンドイッチですくってからがぶり。
まろやかな旨味の追加につい頬を緩ませながら、ひたすら噛みしめる。
「うんうん、やっぱりこの組み合わせは最高だな」
新たに獲物に加わった爆裂猪だが、とある理由のため継続的に狩っており、食肉の供給は順調であった。
一匹仕留めるだけでそうそう食いきれない量の肉が確保できるため、保存用に燻製にしてもらっていたのだが、そっちのほうが逆に人気が出てきてしまったという感じだ。
おかげで今では、曲角羊の肉と春の野草のジンギスカン、ミミズ肉のハンバーグらに並んで酒場の人気メニューとなっていた。
「ごちそうさま、美味かったよ」
「はいはーい。いってらっしゃーい」
楽しげに働くミアに別れを告げた俺は、酒場のすぐ隣にある空き地へ足を向けた。
たちまち賑やかな喧騒が耳に飛び込んでくる。
忙しそうに立ち動く数人の中の一人が、俺に気づいて大股で近づいてきた。
「おはようございます。どうですか? 親方」
「おう、おはようさん! ほら、見ての通りさ、ニーノの旦那」
大工の親方が自慢げに顎で指し示した先に広がっていたのは、ピッタリと隙間なく敷き詰められた石の床であった。
ルイーゼお嬢様のご要望であった商館だが、現在、基礎となる土台部分がほぼ完成したようだ。
「いやぁ、ほんっとうに助かったよ。全部、あんたらのおかげさ」
五人がかりとはいえ、わずか一ヶ月足らずでここまで出来上がるのはまずありえない。
ただし大量の石材を毎日、現場に運んできてもらったり、力持ちの村人や魔物たちが手伝ってくれれば話は別である。
親方もその点は重々承知しているため、上機嫌で挨拶を交わしてくれるというわけだ。
「この調子なら半年かかんねえかもな。壁屋や窓屋も早めに呼べそうだぜ」
「それは朗報ですね」
納期が縮まれば縮まるほど、雇っている職人たちへの給与も少なく済む。
親方がほくほく顔になるのも無理はない。
もっともこちらとしても商館が早々に完成すれば、現金収入の割合が増えて大助かりだし、先ほどの親方の言葉通り新しい職人が来てくれる機会も増える。
実は石工の心得がある大工二人にはとっくに声をかけており、上手くことが進めばこのまま村に残ってもらえる可能性も出ていた。
「いやはや、最初はどうなることかと思ったが、ありがてぇこったよ、旦那」
「何か困ったことがありましたら、すぐに相談してくださいな」
大仰に手を振る大工の親方と別れた俺は、その足で村の広場へ向かった。
こちらも朝から賑わっているようだ。
「うーん、手触りは申し分ないわね」
「柄もいいんじゃない? こっちのこれと合わせたら、似合うと思うのだけど」
「ああ、いいわねぇ。じゃあこっちを差し色にするのはどう?」
井戸端でワイワイと騒いでいたのは、村の女衆だった。
輪の中心部に居るのは、村長の奥方であるカリーナさんだ。
その手に引っ掛けられた複数の布地を、大勢であれこれ品定めの真っ最中らしい。
「おはようございます、皆さん。どれもいい品ですね」
「あら、おはようございます。ニーノ様」
先日、納品された機織り機であるが、その成果が早くも得られたようだ。
織り上がったばかりの布地の出来栄えはまずまずといった感じであったが、この短期間での結果と考えると十分に希望がもてる仕上がりである。
それになにより女性陣の盛り上がりぶりに、文句なぞつけようがない。
今月の頭にハンスさんが仕入れてきた王都の最先端の服装のおかげで、かつてないほどにこの村のファッションは盛り上がっており、そこに上手い具合に織り上がったばかりの布地がぴったりハマったといったかんじだ。
偶然とはいえ、いい流れと言えよう。
「ねえねえ、これはどうだい? 先生」
「ええ、よくお似合いですよ」
「ほら、わたしはいかが?」
「はい、それも素晴らしいですね」
俺の率直な称賛に、ご婦人たちは嬉しそうに目を合わせると互いに肘で突きあった。
お世辞ではなく本気で褒めているのが伝わったようだ。
正直なところ、女性の服装についてはよく分からないが、野暮ったい野良着より何倍も似合っているのは間違いない。
「近いうちに、一着お仕立てしてお持ちしますね」
「楽しみにお待ちしてますよ、カリーナさん」
品評会を続けるご婦人たちを後に残し、俺は川へ向かって歩き出した。
途中、ゴブリンと戯れる子どもたちの無邪気な声や、河童と挨拶と交わす村人の声が耳を通り過ぎていく。
もうあまりにも馴染みすぎて、そこに居るのが当たり前のようになっているな。
「どうかされましたか? 村長」
「ああ、おはようございます。ニーノ様」
畑を区分けしているあぜ道にぽつねんと立っていたのは、難しい顔をしたディルク村長だった。
俺に視線を向けたあと、またも青々と芽吹き出した畑を見つめて首を横に振ってみせた。
「今年の夏麦はよく育ちそうですよ。肥料もたっぷり撒けましたし、雪もほどよく降ってくれたので、土の湿り気もいい感じです」
「そうですか」
しばしそのまま麦畑を眺めていた村長だが、大きく息を吐いて言葉を続けた。
「……とても残念ですが、いたしかたありませんな」
「すみません、ご負担をお掛けてしまって」
「いえ。これからのことを考えれば、必要な犠牲ですからね」
そうつぶやく村長の目に映っているのは、村人やゴブリンたちが麦畑を取り囲むように作っている頑丈な柵だ。
実はこの辺り一帯は、農地を潰して曲角羊の放牧地となる予定であった。
精魂込めて耕してきた畑を無にする作業は、長らく農夫をしてきた人たちには相当心にくるのだろう。
かける言葉を探しあぐねる俺に、村長はすっと柔らかな笑みを浮かべた。
「そういえば五階の迷宮大蒜ですが、順調に育っておりますよ」
「おお、それはありがたいですね」
「十階の麦のほうも順調ですし、地下の畑は申し分ありませんな」
俺が肩の力を抜いたのが分かったのか、村長は力強く頷いてみせた。
「ええ、私どもにどんとお任せください、ニーノ様」
「はい、頼りにしてますよ」
村長に深々と頭を下げた俺は、再び地下迷宮の入り口へ向かって歩き出した。
現状、村の開発は滞りなく順調に進んでいるようだ。
「ふう。だとしたら、どうするべきかな……」




