ねこのここねこにくま困惑
大入りだった客をなんとかさばき終えたオッリとエンニの獣人夫妻は、ようやく店じまいできた店内を見回すと深々と息を吐いた。
女王陛下がたいへんお気に召したと言われる翡翠油の小鍋煮。
それが他で唯一食べられる場所として、今や金熊亭は下町では知らぬ者が居ないほどの有名店となっていた。
ただしその肝心の品は早々に売り切れてしまい、その後が本当に大変であった。
噂を聞いて次から次へと押しかけてくる客に、出どころをひたすら詮索してくる同業者たち。
さらには金に物を言わせて、なんとか料理を作らせようとする金持ち連中まで。
大半はがっかりした顔で帰っていったものの、残りの半分は仕方なく違う料理を注文し大きく目を見張る結果となった。
もとよりオッリの料理の腕は、異なった世界を知るニーノが太鼓判を押すほどである。
期待していなかった分、舌の予想を軽々と超えてしまったのだろう。
おかげで名物料理は出せないものの、客足は増加の一途をたどっていた。
そこへきて今朝、見知らぬ配達人が手紙と一緒に運んできたのが翡翠油の詰まった大樽たちだ。
入荷を知らせる看板をうっかり出してしまったのが、二人の運の尽きであった。
あとはもう終わりなき行列を相手に、脇目も振らず料理を作り延々とお出しするだけである。
そして気がつくと、日もどっぷり暮れていたというわけだ。
「つっかれたー! ああ、もう無理。お腹空いて動けないわよ」
「…………たいへんだったな」
忙し過ぎて二人とも朝食以降、何も口にしていない。
空腹を満たせる何かを探したエンニの視線が、カウンターの向こうの空っぽとなった大きな樽へ吸い寄せられた。
「まさか一日で一樽なくなるなんてねぇ。ニーノの油って、ホントすごいわねぇ」
「…………ああ、そうだな」
やけに広々と感じる店内を見回した料理人は、しばし黙り込んだ後、ぽつりとつぶやいた。
「…………人を増やすか」
「そうね。ここままじゃ、さすがに持たないわよ」
子どもたちも懸命に手伝ってくれてはいるが、それでも手が全く足りていない有り様である。
店が多忙すぎるため、宿屋のほうは半ば休業状態と化しているほどだ。
「でも、この油のことがばれると、あの子が困るでしょ。そうなると難しいわね」
「…………ああ、難しいな」
口が堅い人間を雇えればいいのだが、あいにく夫婦にはそういった心当たりはなかった。
孤児院育ちのため、こんな時にあてになりそうな身内も居ない。
よい解決案を思いつけず押し黙ってしまった二人だが、不意にエンニの三角形の獣耳がピクリと動いた。
戸を叩く音を聞きつけた女将は、やれやれとため息を吐きながら振り返る。
「ねえ、店じまいの看板もう少し大きくしない? 目に入らない人が多すぎるわ」
「…………一緒だろうな。あとそっちじゃない」
「えっ?」
入り口へ向かおうとした妻を押し留めた料理人は、じろりと台所の床にある扉を睨みつける。
ノックが聞こえてきたのは、地下貯蔵室からであった。
そっと二人が覗き込むと、奥の壁の小さな木の扉から再び控えめな音が響く。
その先にあるのは下水路であり、その抜け道を知っている人物といえば――。
「まさか?」
「…………ふむ、誰だ?」
とっさに幼馴染の顔を思い浮かべた二人だが、用心のため尋ねてみる。
戻ってきたのは、聞き覚えのある声であった。
「こんばんわ、オッリさん、エンニさん。お元気でしたか?」
「もしかして、ハンスさん?」
「はい、お久しぶりですね。申し訳ないのですが、今両手が塞がっておりまして、よろしければ扉を開けていただけないでしょうか?」
こんな夜分に、しかも地下からの訪問だ。
怪しいことこの上ないが、ニーノの大事な友人である。
オッリが急いで木戸を開けると、二人と同じく疲れ切った顔の行商人が両肩に荷物を抱えて入ってきた。
「ありがとうございます。すみません、ちょっと置かしてもらいますね」
断りを入れながら、ハンスは担いでいた大きな袋をゆっくり床におろした。
とたんに小さな鳴き声が上がり、同時に袋の中身が前後左右に揺れ動く。
「えっ、生きてるの?」
「…………もしかして、誰かさらってきたのか?」
「ええ、大変でしたよ」
平然と答えながら、ハンスは背負っていた袋も下ろした。
こちらはもう一回り大きいようだ。
さらに扉の奥にも呼びかける。
「ささ、こっちですよ。入ってください」
状況が飲み込めず唖然としている夫婦の前に、ぞろぞろと現れたのは年端もいかない獣人種の子どもたちだった。
五、六歳ほどであろうか。全員、頭の上から猫耳が可愛く突き出している。
みすぼらしい格好をした三人の幼子は、くんくんと鼻を持ち上げた後、即座に目を輝かせた。
「ごはんの匂いにゃ! おっちゃん、うそつきじゃなかったんだな」
「たべものにゃ? うちのものにゃ!」
「にゃ、早いものがちにゃ!」
「ああ、ダメですよ! まずは挨拶です」
いっせいに散らばろうとした子どもの襟首を、ハンスは間一髪で掴む。
拘束されたじたばたと暴れる三人を引き寄せながら、行商人は疲れ切った声で理由を説明した。
「目を離すと、すぐにどこかに行こうとするんですよ。食べ物を見せると、その間だけ大人しくしてくれるんですが……。あ、ダメですよ!」
可哀想とでも思ったのだろうか。
ハンスが急いで制止するが、エンニが床を転がる袋の口を開けてしまう。
中からぴょんと顔を出したのは、小さな猫耳を生やした子どもだった。
じっとエンニを見上げた子どもだが、次の瞬間、くしゃくしゃとその顔が歪み口から大声が放たれる。
「に゛ゃぁぁああああああああ!!」
「ど、どうしたの?!」
「ねえに゛ゃぁ! ねえに゛ゃ、どこー!」
「あーあ、また泣きだしたにゃ」
「暗くしてないと、すぐ泣くにゃ。袋に入れておくのが一番にゃ」
慌てるエンニの足に、もう一つの袋が激しくぶつかってくる。
ぽこんと勢いよく中から顔を出したのは、泣き叫ぶ幼子とほぼ同じ年頃の子どもだった。
こちらもちゃんと猫耳を生やしている。
しばし見つめ合うエンニと新たな子ども。
次の瞬間、袋に入ったまま子どもは大声で笑い出した。
「にゃにゃにゃにゃにゃああああ!」
「な、なに!?」
高笑いをしながら、子どもは袋ごと激しく転がりだした。
戸棚にぶつかり、樽を揺らし、小麦粉の詰まった袋の山を一息に駆け上がる。
「にゃにゃにゃにゃぁぁあ!」
「ねえに゛ゃぁぁああ!」
「ごっはん! ごっはん!」
「お腹すいたにゃ。はやく飯よこすにゃ」
「おっちゃん、ここどこにゃ? あれ、食べていいにゃ?」
「くー、すー、むにゃむにゃ」
「そんなわけですが、よろしくお願いしますね」
元気に騒ぎ出した子どもたちの背後で、ハンスが深々と頭を下げる。
その言葉に獣人夫婦は、丸くした目を互いに見合わせてから間抜けな声を出した。
「へっ?」
「あれ? 事前にお手紙でお知らせしたはずですが」
「…………ちょっと待て。今読む」
翡翠油の大樽に添えられていた手紙が前掛けのポケットに入れっぱなしだったことを、オッリはようやく思い出す。
忙しすぎて、目を通す暇がなかったのだ。
手紙に書かれていたのは、以下のような内容だった。
現在、辺境の村でニーノたちは獣人種の少女と一緒に働いており、その子の妹たちが王都に居るのでしばらく面倒を見てやってほしいと。
その代わりと言ってはなんだが当分の間、翡翠油をたっぷり届けるとも。
使い切って空になった大樽を思い出しながら、オッリとエンニはまたも顔を見合わせた。
その足元で泣き叫ぶ子どもと、笑い転げる子ども。
ハンスの手からいつのまにか抜け出した三匹は、好き勝手に食材が置いてある棚に顔や手を突っ込んでいる。
一匹だけ大人しいのか、静かに袋の中で寝息を立てていたが。
戸惑う二人の様子に、ハンスも事情を察したらしい。
「いきなり過ぎて申し訳ありません。えっと、どうしましょうか……?」
やんちゃな子どもたちを抱えて、危険な下水路を抜けてくるのは本当に大変だったのだろう。
疲労が隠せないハンスの姿に、しばし黙り込む夫婦。
が、不意に笑みを浮かべて頷きあった。
「まあ、子どもらの面倒なら三人ほど見てきたことだし、少しばかり増えてもどうってことはないわね」
「…………ああ、そうだな」
自由気ままに振る舞う子どもたちを見回したオッリは、顔をしかめながら言い放つ。
「…………俺がお前たちに言えることは、ただ一つだけだ」
いきなりの大声に動きを止めた暴れん坊どもに、料理人は口の端を持ち上げながら言葉を続けた。
「そのまま食うより調理したほうが遥かにうまいぞ。ついてこい。最高に美味い飯を食わせてやる」
踵を返すオッリに、猫耳の子どもたちは歓声を上げながら素直に付き従った。
遅くなってすみません。
メリークリスマス!(ごまかしているつもり




