恐るべき鬼ごっこ
ティニヤが得意げに取り出したのは、細長い布切れだった。
何をするのかと思えば、目を覆って頭の後ろでギュッと縛ってしまう。
「なるほど、目隠しか。うん、たしかに見えなきゃ大丈夫そうだが、そこからどうするんだ?」
「にゃあ、ちょっと本気だすにゃ」
そう言いながら少女は、まずボロボロになった狼革の外套を地面に落とした。
次いで手袋や短剣、細々した品まで全て外してしまう。
最後に器用に足首を振って、長靴までもポイッと脱ぎ捨ててしまった。
身軽になったティニヤは、その場で何度か飛び跳ねて素足の感触を確かめる。
そして見えているかのようにスタスタと歩いて、通路と部屋の境でピタリと足を止めた。
「おい、大丈夫か?」
「一回見たからもう平気にゃ。じゃ、あとはお願いするにゃ」
「へ?」
地面に屈み込んで太ももをぐっと持ち上げるティニヤ。
そのまま止める間もなく飛び出してしまう。
凄まじい速度で地面を駆け抜けた少女は、苔に覆われた壁にあっさりと行き着いた。
その速すぎる動きに、ボスナメクジはまだ反応し切れていない。
俺たちが目を見張る中、ティニヤは重力を無視して壁を斜めに駆け上がった。
爪先でえぐった苔をばらまきながら、軽々と円蓋まで到達する。
そこでようやく天井から水の針が放たれるが、ティニヤの速さに翻弄され数歩遅れた位置に着弾する。
その音で<消化液>が放たれた位置を感じとったのか、少女の耳先がピクリと動いた。
同時に、その体が四つん這いに変わる。
そしてありえないことに、ティニヤは半円形の天井をほぼ速度を落とさずに移動し始めた。
指の力が加わったとはいえ、信じがたい動きである。
「ほ、本当に猫みたいな子ね……」
ノエミさんの言葉に頷く暇もなく、事態は目まぐるしく変わっていく。
逆さまに張り付いたティニヤは、一直線にボスナメクジへと向かった。
撃ち落とさんとする魔物だが、相手が同じ位置まで上がってくるのは想定外であったようだ。
角度を上手くつけられず、その攻撃はことごとくティニヤの頭上を掠めるにとどまる。
逆に猫耳を揺らした少女は、目隠しなど物ともせずまたたく間にボスナメクジとの距離を縮めた。
だが、近寄ったところで身軽となりすぎた少女の手には、攻撃を加える手段は何もない。
そう、考えた瞬間。
ぐっと足を弛めたティニヤは、強く天井を蹴りつける。
宙を飛んだ少女は、巨大なナメクジへ顔が触れそうなほど接近し――。
そのまま、スルリとすれ違った。
「あっ!」
ただそれだけの動きだったが、生じていた変化に俺の口から思わず声が漏れる。
ボスナメクジの頭部。
そこに生えていたはずの不気味な二本の触角は、一瞬のうちに消え失せていた。
そしてティニヤの両の手。
そこにいつの間にか握られていたのは、不気味にうごめくナメクジの目であった。
――<盗撃>。
少女と魔物が交差したあの瞬刻、ティニヤは特技を発動させていたのだ。
ボスナメクジを追い越したティニヤは、反対側の天井を蹴り飛ばし、壁の苔をこそぎ落としながら地面へと転がり落ちる。
それから満面の笑みで、両手で盗ったばかりの物を持ち上げてみせた。
「にゃあ、やったにゃ!」
「ヨル、クウ出番だぞ!」
「しょうちー!」
「くー!」
俺の言葉にウズウズしていた二匹は、競うように飛び出す。
妨害手段を失ったボスナメクジには、もはや獣っ子たちの容赦ない殴打と蹴りを防ぐすべはない。
高みから見下ろしていた魔物は、やすやすと地面に引きずり下ろされた。
すかさず待ち構えていた石の棘が、ボスナメクジを串刺しにして動けなくする。
後は真っ赤に燃え立つスライムに焼き殺されるだけである。
綺麗に焦げ溶けた魔物の姿に、俺はやっと背中から力を抜いた。
そこへ皆に褒め称えられると思ったのだろう。
上機嫌に鼻歌を漏らすティニヤが、よたよたと足をふらつかせて戻ってきた。
まずは説明不足を怒り、それから無茶し過ぎだと言い聞かせ、最後によくやったとたっぷり評価する。
そうすべきだとは分かっていたが、無理であった。
なんせティニヤの突き出された両手には、まだ不気味な触角が握られているのだ。
小さく息を呑んで、後ずさる俺たち。
だが未だ目隠しをしたままのティニヤには、その様子は伝わらない。
小首をかしげた少女は、触角を見せつけるように持ち上げながら俺たちへ迫る。
狭い通路で、恐怖に満ちた追いかけっこが始まった。




