ジャマーなお相手
「な、なんなんですか……、なんなんですか! あれ?」
ノエミさんが上ずった声を漏らすのも無理はない。
特大サイズのナメクジの時点で、嫌悪感が半端ないのだ。
それがさらにでっかくなった挙げ句、怖気を振るう変貌付きなのである。
両手を広げたほどの大きなナメクジは、ぼってりと突き出したカラフルな目玉を前後左右に動かしながら、ゆっくりと天井を這いずり回っていた。
そのたびに触角の部分だけが、まるで別の生き物のように模様がうねうねと渦を描いていく。
確かに単体でもナメクジ自体は、あまり気持ちよくはない相手だ。
だが本来正常であるはずの部分が異質であることは、その気持ち悪さを遥かに上回る圧倒的な不快感があった。
「……あなた様。あのものは?」
「あ、ああ。多分だが寄生虫の一種だな。ああやって目玉に取り付いて、宿主を操るらしい」
前世の記憶を掘り返しながら、俺はなんとか言葉を絞り出した。
名前は長すぎて覚えていないが、カタツムリに寄生した動画を何度か見た覚えがある。
芋虫に似せることで、鳥に食われやすくなるんだったかな。
とりあえずドラクロ2にはあんなモンスターは居なかったし、ここにはあれを丸呑みするような鳥も居そうにない。
どんな目的で階層主があんな外見になったのかは、さっぱり分からない。
「何か他にあるのか……。うーん、でも本体のナメクジはあんまり強くないしなぁ」
「にゃ、壁になんか生えてるにゃ」
目ざといティニヤの言葉に、俺は改めて眼前の空間を観察する。
少しばかりボスナメクジの不気味な目に、気を取られすぎていたようだ。
階段前のいつもの部屋だが、今回は他の階とはやや変わっており、天井が曲線を描いていた。
その半球形の一番高い部分に、巨大なナメクジが張り付いている構図だ。
下から眺めると、逆さまになった蟻地獄のようにも見える。
落ちた先に待ち構えているのが、あの寄生虫付きの魔物なのは心底勘弁して欲しいが。
そしてその円蓋へつながる部屋の壁だが、斥候士の少女の指摘通り、みっしりと水色の苔に覆われていた。
傍から見てもかなりの水分を含んでいるようで、簡単に滑ってしまいそうである。
部屋の中には他に何もない。
天井の一番高いところは、四メートルを軽く超えているだろう。
つまり普通に武器を振り回しても、ボスに届きそうにないということだ。
「なんとも厄介な造りをしているな……」
近寄って叩き落とそうにも、濡れた苔がみっしり生えた壁や取っ掛かりのない天井をまずよじ登なけれならない。
しかも向こうからは、一方的に<消化液>を飛ばしてこれると。
遠距離攻撃の手段がなければ、ここであっさり詰んでしまうな。
「ま、弓士か魔術士が居れば、なんとか仕留められそうだけどな」
「じゃあカエルの出番にゃ?」
「ああ、<石棘>は地面限定なんだよ。天井に生やすのは無理だな」
「それでしたら、今まで通りということですか?」
「それしかないな」
素早いティニヤが囮となる間に、<ぎゅん>が使えるヨルと空中を飛んでいけるクウがボスに接近して叩き落とすパターンだ。
十二階のボス戦がなければ、<びりびり>&<ぱたぱた>ですぐに終わりそうだがな。
「あの目は何かありそうだし、危険だと思ったらすぐに引いてくれ。無理は禁物だ」
「わかったにゃあ」
「がってん!」
「くー!」
すっかり息のあった二匹と一人は、部屋の一歩手前で獲物を睨みつける。
その背後にはスライムたちが、落ちてきたボスナメクジを仕留めるため体をギュッと弛めていつでも飛び出せるように身構えている。
石肌蛙のカーも、魔力を高めて準備万端だ。
「行くにゃー!」
叫び声と同時に、部屋の中央へ躍り出る少女。
天井の最頂部に居た巨大なナメクジは、気持ち悪い二本の目を即座に動かした。
またたく間に降り注ぐ、針状と化した<消化液>たち。
それを軽々と避けながら、ティニヤは再び声を放つ。
「今にゃ!」
ボスの注意が真下の少女へ完全に向いたところで、ヨルの姿がかき消え紫色の火花が宙を彩る。
間を置かずして、背中の翅を羽ばたかせたクウが一直線に空中を横切る。
一瞬で距離を詰めたヨルの爪が、ナメクジに到達――しなかった。
最短距離を飛んだクウの足が、魔物の体を強かに――蹴りつけなかった。
なぜかボスの真後ろに現れた獣っ子は、思いっきり空振りしながら地面へと落っこちる。
次いでボスの数歩横の天井を蹴っ飛ばした鳥っ子も、不思議そうな顔であらぬ方向へと飛んでいく。
「なんだ!?」
今まで二匹が攻撃を外した場面など見たことがない。
奥の鉄格子にぶつかりかけたヨルは、そのまま頑丈な鉄の柵を蹴って再び跳び上がる――<ぎゅん>!
同じく翅を高速で動かし、空中で向きを変えたクウが再び巨大なナメクジへと挑む。
が、結果は先ほどと同じであった。
全く的外れな場所へ攻撃を加える二匹。
さらにもう一度試みるが、それもまた外れてしまう。
周囲を飛び回るヨルとクウを歯牙にもかけず、ナメクジは嫌悪を催す触角をこれもみよがしに揺らしながらゆうゆうと<水針>を飛ばし続ける。
「にゃ、にゃあ。そろそろ無理にゃー!」
さすがに数が多すぎたのか、ティニヤの外套はもはや原型をとどめていない。
これ以上の時間稼ぎは厳しいだろう。
肝心要の二匹の攻撃も、空振りつづきだしな。
俺の意を察したのか、パウラの声が鋭く響いた。
「下がりなさい、ティニヤ! ヨルとクウも!」
「わかったにゃー!」
「むねんー!」
「くー!」
安全圏に戻ってきた二匹だが、クウはまだしも体力を消耗する<ぎゅん>を連発したせいで、ヨルの息は少しばかり苦しそうであった。
ティニヤも傷はないようだが、額に大粒の汗が滲んでいる。
全員に魔活回復薬を手渡すと、少女が肩で息を整えながら不思議そうに尋ねた。
「おちびたち、どうしたにゃ? おなかでも痛かったにゃ?」
「まかふしぎー!」
「くう!」
「二匹とも状態異常はないな。調子が悪いようにも見えないし……」
となると、原因はやはり――。
「あの魔物自体にありそうですね、あなた様」
「私はあの目が怪しいと思います。どうにも見ていると、おかしくなると言うか……」
「さようー!」
「くー!」
二匹も同意見のようだ。
試しにスコップ代わりに使っていた犬の骨を取り出した俺は、ティニヤに手渡しつつ天井を這いずるナメクジを指差した。
「ちょっと当ててみてくれ。確かめたい」
「うにゃ、任せるにゃ!」
軽やかに部屋に飛び込んだ少女は、素早く犬の骨を空へ投げつけた。
たちまち<消化液>が降ってくるが、すでにそこにティニヤの姿はない。
無傷で戻ってきた少女だが、驚いたように目を見張る。
「にゃっ、おかしいにゃ! ちゃんと狙ったにゃ!」
少女が投擲した犬の骨は、ナメクジから一歩ずれた何もない天井にぶつかり地面へ落ちてしまった。
やはり何かしらの仕掛けがあるな……。
その後、パウラとノエミさんにも試してもらったが、結果はほぼ同じであった。
どうあがいても、ナメクジ本体に攻撃を当てようとしてもズレてしまうらしい。
「おそらくだが、あのぐるぐるしてる触角で距離感がおかしくなるんだろうな」
「そうとしか思えませんね」
「だとしたら、その、一体どうすれば……」
攻撃そのものを当てることができなければ、当然倒すこともできない。
この地下迷宮がそう甘い場所ではないと、俺は改めて思い知る――。
「にゃあ。あの目をなんとかしたらいいのにゃ? なら、うちに任せるにゃ」
締めの言葉に入りかけた俺を押し留めたのは、あっけらかんと放たれた斥候士の少女の言葉だった。




