<第四五章 基本方針>
「二日前、米英の駐日大使が連名で外務大臣に面会を申し込んできた。
対して外務大臣は公務多忙を理由に面会を来週まで待ってもらっている。
実際、満州関連で忙しいのもある」
「満州関連?」
また何か新しい動きがあるのか。
新聞で満州の記事は全て目を通しているはずなのだが。
「それはまたおいおい話をしよう。
外務大臣もそういつまでも面会を伸ばすことはできない。
そんなことをしていたら逆に日本の大使も米英の大臣に会ってもらえなくなるからな。
話の内容はおそらく義雄君が掴んできた自由貿易港に関する提案だろう」
「政府はどんな内容だと想定しているんですか」
「台湾沖の澎湖諸島を開発して、日米英三か国共同で関税が掛からない場所にするという予想だ。
日米、日英の各二国間で相互に関税が掛からない特別な場所を作る。
その為にはあの場所を大規模に開発する必要がある。
港を大きくし、桟橋を作る。大型船が入れるように海底の浚渫も必要だろう。
それに大量の倉庫も必要になる。
働く人数も多くなり労働者向けの各種施設も必要になる。
役人も必要だ。
共同運営となれば三か国の役人が常駐することになる。
おそらく米英は治安維持も三か国共同といって警察の派遣も要求してくるだろう。
そうなったら、もはや日本の領土ではなくなるも同然だ。
日本の中に新しい租界ができることとなる。
とうてい承知できるものではない」
毅が一気にまくしたてた。
話しているうちに興奮してきたのかもしれない。
毅はときおり外交官らしくないところを見せる。
外交官は冷静で駆け引きにたけていないといけないはずだ。
ちゃんと仕事をできているのかと心配になることもある。
だがそれなりの地位に居るということは、俺の前以外ではそれなりに仕事をしているのだろう。
「日本の主権が脅かされるのを別にすると、そんなに凄いことなんですか?」
「考えれば考えるほど米国にとって良い案だということが分かる。
逆に言うと、日本にとっては都合の悪い案だといえる。
米国の狙いが次の二点だとしよう。
一つは支那進出の足場を強化すること。
二つ目は日本の重工業の発展を阻害すること。
その二点どちらにも有効な策だ。
あの島はフィリピンと支那の中間に位置している。
そこに気軽に使える港や倉庫ができるだけで便利になることは間違いない。
今でも台湾の港は使えるが、やはり外国の港となると各種手続きが必要だし時間がかかる。
しかも話の相手は日本人だ。なにかと不便なこともあるだろう。
だがあそこに自国の役人が居て、税関の手続き無しで倉庫が使えるとなれば格段に便利になる。
支那で必要な商品が足りなくなったらフィリピンまで取りに行かなくてもあの島まで行けば良い。
距離も時間も短くなる。
万が一支那と米国が戦争になった場合も、途中に中継地点が在れば軍事的意義は大きい」
「なるほど」
少し分かる。
そりゃ倉庫は遠くにあるより近い方が便利だろう。
「それにだ、もし日米の関係が悪化して日本が何らかの方法で米国の船が台湾の港を使えなくしようとしても、あの島があれば何も問題無い。
島自体を使えなくしようとしても既得権を盾に抵抗するだろう。
戦争ということにでもなれば、味方が一人もいないところへ上陸するより、地形も何もかも良く知っている場所の方が簡単だろう。
自国民保護という大義名分もできる。
まあ、これに関しては救出が難しいという反対の面もあるが」
「はあ、なるほど」
だんだん話が難しくなってきた。
理解が追い付かなくなりそうだ。
「次に日本の重工業の邪魔をするという意味でも効果は大きい。
性能の良い米国の製品が今までより安く日本に入ってくるようになるのだ。
ますます日本製品は国内で売れなくなる。
製品が売れないと工業は伸びない。
それに石油精製施設というのは単にガソリンや灯油、重油を作るだけじゃない。
副産物としてガスなどもできるそうだ。
そのガスを利用した工業を興すことができる。
政府としたら満州の石油を利用し、国内の石油化学工業を一気に育てようと考えている。
米国はそれを妨害するため重油で日本の市場を占有し、日本に石油関連施設を作らせない意味もあるだろう。
「そんなに良いことづくめなら、米国はなぜ今までやらなかったんでしょうか」
「それは最恵国待遇という制度がある」
「最恵国待遇?」
「ああ、米国は色々な国と貿易に関する条約を結んでいる。
たいてい最恵国待遇という条項が入っている。
これは、貴方の国を一番良い条件にします。
逆に言うとあなたの国だけ悪い条件にしませんということだ。
日本とだけ相互に関税を無くそうとすると、他の国が俺達も関税を無くせと言ってくる。
米国には関税を無くしたい国と維持しないといけない相手が居る。
簡単に言うと自国より優れたもの安いものを作っている国とは関税を維持したい。
そうしないと、自国の産業が潰されてしまう」
「まあそうでしょうね」
「その点、日本は米国と輸出品がかぶっていない。
日本の工業製品は米国製と比べて品質に劣っている。
安かろう悪かろうの典型だ。
その状態を米国は維持したいはずだ」
「でも、いまでも最恵国待遇というのがあるなら、自由貿易港というのもできないのでは」
「それをを回避する手段として自由貿易港を考えたのだろう。
国際法のあらを突く法理論も準備しているに違いない。
これで日本とだけ関税を無くそうというのだ。
将来的には中国との関税も無くそうするかもしれん。
その場合にはあの島を使うかもしれんし、別の場所を用意するかもしれん」
「ちょっと待ってくれ。
ここまでの話だと英国に利が無さすぎる。
なぜ共同提案してくるのだ」
それまで黙って聞いていた教授が口を挟んできた。
英国のこととなると教授は黙っていられないみたいだ。
「英国のアジア植民地は本国よりも日本の方が近い。
この地域に本国より安い日本製品が流入してくることになる。
そんなことを英国が認めるはずがない」
「おそらく、何かと条件を付けて本国のみとの貿易に限って関税撤廃を主張してくると推測しています。
また、米英間では競合する製品が多すぎる。
今回の提案はあくまでも日米、日英の各二国間の関税撤廃。
米英間の貿易のほとんどは大西洋を挟んでのものと言い訳して、米英間の関税撤廃は避けてくるでしょう」
それに……」
「それに?」
「米英間で日本市場や支那市場の分配について何らかの密約が取り交わされていると考えるのが妥当。
米国は英国におこぼれを渡すことで仲間に引き込んだのでしょう」
「それならありうるかもしれんな……」
教授が何か考え込んだ。
「日本はどうするんですか。米国の提案を受け入れるんですか」
「この案は我が国よりも米国の方が利点が多い。
そのまま受け入れることはできない。
そこで逆提案をする」
「どんな」
「台湾とフィリピンの間にあるバタン諸島やバブヤン諸島ならば同意する。
ただ、そこは地形的に大型船が入れる港が無いし、作ることも難しい。
となると日本側の候補は日米の中間にあるグアム島となる
「それは米国に乗らないだろう。
英国もわざわざ遠回りすることになり、さらに利が薄くなる。
となると、この話は流れる」
「まあ、そうでしょう。
米国の狙いは大統領選挙。
選挙に勝つための大きな花火を必要としている。
成立すればもうけもの。成立しなくても一時的に国民に政治をアピールできる。
だからこそ、この時期なのでしょう。
これ以上遅かったら選挙戦に影響がない。
逆に早くて選挙までに不成立となったら、同じように意味が無い。
米国は日米間の貿易のために努力しているが、日本がそれを受け入れないという形を作る。
日本が悪者になってくれれば、国内の不満を日本へ向けることはできる。
後手に回った日本の対応はどうしても遅れてしまう」
だいたいの事情は分かった。
でも、俺は一切関係無いような気がする。
なんで、おれはこんな話を聞かされてるんだ。
「結局、俺にどういう関係があるんでしょうか。
俺にどうしろと。
なんならもう一度大統領官邸へ忍び込みましょうか」
「いや、それには及ばない。
当分潜入は行わない。
手間がかかり過ぎるという上の判断だ」
たしかに俺も感じていた。
情報を入手するのに何十時間もかかっている。
それもたまたま運が良かったからだ。
運が悪ければ、何の成果も無く終わるところだった。
「それで今後はよほどのことがない限り潜入調査は行わないこととなった」
「それは良かった」
潜入は緊張するし、危険もあるしでやりたい仕事ではない
「それで、ここまでが前置きだ」
ここまでが前置きだと。
えらいこと長い前置きだ。
もう、話はこれで終わりかと思った。
「大統領選の結果、現職の共和党候補が勝てば良い。
だが、民主党候補のルーズベルトが勝てば現職よりも日本に対して強硬的な態度で接してくると予想される。
その時我が国はどうすべきか、これを三人の間で意思統一をしておきたい。
松川教授にはその方針に沿った形で秘密資金を使って頂きたいし、義雄君には魔法でそれに協力してもらいたい。
義雄君も何も知らされないで働かされるより、事情を知っていたほうがやる気も出るだろう」
「知らないよりは知ってたほうが良いですが」
心情的に多少の違いがあるかどうか程度のことだ。
「教授はどう思われますか」
「明治の先達にならって富国強兵しかないな。
自分より強い相手とケンカして勝つには二つの方法しかない。
自分が強くなるか、相手を弱くするか。
米国にこれといって弱点は無い。
あえていうと日本よりも裕福なので人件費が高いこと、人種が多く複雑なこと、民主主義が進んでいることくらいか。
これらの弱点を突くのは容易ではない。
よほどの妙手があれば別だが。
仲間を増やそうと思っても、英国は大戦で米国に借りがあり米英の仲を裂くのは難しい。
ソ連は五ヵ年計画で混乱の最中だし、共産主義とは相容れない部分が多い。
フランスは自国領土が戦場になり復興の最中。
ドイツは賠償金の支払いで青色吐息。
残るは支那だが、あの国と手を結ぶのは危険だ。
支那とは付かず離れずの関係が一番良い。
聖徳太子の時代からそうなっている」
教授は国際政治についても色々考えているのだと見なおした。
前から薄々感じていたが実は教授は政治とか権力闘争とかが好きなのではないだろうか。
「具体的には何をすれば良いとお考えですか」
「まずは軍民共同利用の飛行場を日本各地に建設する。
軍の上層部は利権が欲しい。
ならば飛行場建設という新しい利権を与えれば良い。
たいていの場合軍事上の重要地点は経済上の重要地点でもある。
また、飛行場建設と同時に、陸軍には国土防衛の考え方を変えてもらわねばならん。
日本のように面積の割に国土が長い国は守りにくい。
ソ連だけを仮想敵国として考えるなら北海道と朝鮮さえ守れば良い。
だが米英が相手となると話が変わってくる。
敵はどこへ上陸してくるか分からんから兵力を分散して配置するしかない」
「一理ありますな」
「となると移動の速い航空戦力に重きを置くのが当然だ。
敵が上陸したならば最初は現地の兵力で持久する。
そこへ航空戦力がいち早く駆けつけ敵を叩く。
そこへ陸上主力が遅れて到着し、敵を海へ追い落とす。
そして、海軍にも艦隊決戦の考えを改めてもらう。
海軍は敵艦隊と戦いつつ、敵の兵力増強と軍需物資輸送を妨害することを主眼とする。
敵のもっとも弱い所を攻めるは戦の常道。
海上で一番弱いのは当然輸送船。
敵輸送船を沈めれば敵の上陸軍は物資不足で自滅してくれる。
また戦争継続には海外からの資源輸入も必要だ。
我が国の輸送船の護衛も海軍の主目的になる」
「敵に攻められた場合はそうかもしれませんが。敵を攻める場合はどうするのですか」
「先の大戦で戦争の形はガラリと変わった。
日露の頃のように、軍の一部が戦って勝ち負けを競う時代ではない。
国と国が全力でぶつかって、どちらかが滅ぶ寸前までやる。
そんな時代なのだ。
我が国の国力で敵に攻め入るなど三十年早い。
そんなものは金に余裕ができた時に考えれば良いのだ。
貧乏国が心配することではない」
「教授は内地のことだけ考えていて、外地のことをお忘れでは。
台湾、樺太、南洋は島だから良いとして、朝鮮はソ連と地続きですよ」
毅がさらに言い返す。
「たしかに朝鮮は問題だ。
朝鮮用の戦争論が必要になる。
私もそこまでは考えられていない。
最悪、朝鮮は放棄すれば良い。
あんな金にならん金食い虫は日本に必要ない」
「陸軍や国民が何と思うかはともかく、ソ連に不凍港を渡すのはまずいでしょう」
「何を言うか。
すでにウラジオストックを持っているんだぞ。
一つも二つも同じことだ。
それにソ連と中国が衝突して延々潰し合ってくれたら日本は万々歳であろう」
「軍が考えを変えますかな」
「すぐには無理だろう。
五年、十年かけて変えていかなければならない。
その為にはもっと航空機が発達することが必要だ。
今の性能では敵を叩くどころではなく、偵察や弾着観測が関の山だからな。
それに計画中の秘密兵器――例の超長距離爆撃機のことだ、が完成すれば軍事的にも国土の防衛は十分可能だと考えている」
「教授は飛行機がお好きなようですな」
「うむ、近い将来には空を制する者が戦争を制すると考えている。
年々飛行機の性能は向上している。
遠くない未来に戦艦を沈める飛行機もできるだろう」
「まさか、それは無いでしょう。戦艦ですよ」
「あり得ない話ではない。
戦艦の弾より大きい爆弾を積める飛行機を作れば良い。
長門の主砲弾の重さは約一トン。
私が考えている飛行機の爆弾搭載量は五トンから十トン。
どうやって当てるかはともかく、当たれば沈むだろう。
後十年でそれを作ろうと考えている」
俺の知識と想像を超えた話になってきている。
いまだに飛行機が飛ぶ理屈が分からない俺にしたら、あの巨大な鉄の塊である戦艦を飛行機で沈めるのは想像すらできない。
「温籠さんこそどう考えているのだ」
「富国強兵には賛成です。
ただし、あくまでも富国が先で強兵は後でなければならない。
幸いなことに満州の石油さえうまくいけば、かなりの外資の節約になる。
その分、新しい機械なり技術なりを輸入できる。
義雄君の作る金も外資に交換できる。
それで国力を底上げする。
ソ連、米国と戦って勝つのは無理としても負けないだけの兵力を揃えるまでは隠忍自重でいくしかない。
ただ、技術を導入するだけではいつまでたっても米英に追いつくことはできない。
そのため教育も重要でしょう」
「その通り。その点は私も同じ考えだ。
私に腹案が一つある。
今度ぜひ話を聞いてもらいたい」
「はい、それはまたの機会に。
それで今年は菱刈の金鉱山も本格的な採掘が始まり、秘密資金に余裕もできる。
それをもって一層の国力充実を図りたい。
各個別の案は各省庁が案を練っている。
どうやら教授は内務省と会談を重ねていると聞き及んでいますが」
「おお、温籠さんは耳も良いようだ。
私は航空機も重要だが海運もそれに劣らず重要だと考えている。
英国では先の大戦でドイツの潜水艦にどれほど苦労させられたか嫌というほど聞かされてきたからな。
この話も近い内にさせてもらいますよ」
「それまで待つとしましょうか。
では、この三人の結論としては――」
「えっ」
思わず俺は大きな声を出していた。
三人の結論と言われても、俺は何も聞かれてないし、何も意見を言ってない。
それで三人のと言うのはおかしい。
「俺は何も言っていませんが」
「そうですな、義雄君の意見も聞かないといけませんな。
なんせ、この中で一番重要な人ですから」と毅が言うと、
「そうとも、義雄君の魔法があってこその我々の考えだからな。
それで、義雄君はこの国はどうすれば良いと思う」と教授も言ってくる。
「ううっ……」
普段そんなこと考えてないのだから答えられるわけがない。
「意見が無いのなら、我々の話に納得したということで良いのではないかな」
と毅が言えば、
「でも……」
「話の間で何度もうなずいていたではないか」
と教授が追い打ちをかけてくる。
うなずいたのは、とりあえず聞いているというのを態度に出したのと、何となく良さそうな感じがしたからだ。
完全に納得したからではない。
「意見があるなら今の内に言っておいたほうが良いぞ。
後で何か言っても、私も温籠氏もできることとできんことがあるからな」
それで結局俺は何も言うことができなかった。
うやむやのうちに俺も同じ意見だということにされてしまった。
今度こそ、二人の思い通りにはならないぞと意気込んでいたのに、いつのまにかに流されていた。
いつの日か必ず二人に一泡吹かせてやる。
俺はそう思いを強くした。
次回更新は4/16(土)か17(日)の予定です。




