表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/50

<第三六章 変人の後輩>

 教授はとても忙しいらしく、石油の改質実験以降ほとんど姿を見せなくなった。

 しばらくたったある日突然、自分の代わりだといって一人の男を連れてきた。


「私の後輩の高原君だ。

 私が忙しくてなかなか来られないので代わりに科学の授業をやってもらおうと思う」


 といきなり新しい先生を紹介してきた。

 年は教授よりだいぶ下で次郎よりも上、三十後半から四十代というところか。

 その人はひょろっとしてて、いかにも研究者という感じだ。

 髪はボサッとしてて、服装にもあまり気を使っていないのだろう。

 研究一筋に打ち込んでいるように見える。

 でも、俺は嫌いじゃない。

 同業者のような気がして親しみを感じる。


「これまでのことはだいたい説明してある。

 最近は大学に居ないことも多い。

 私に連絡を取りたい時は温籠氏か彼に言ってくれれば良い。

 では、高原君、後は任せたぞ」


 それだけ言うと教授はさっさと帰ってしまった。

 あっさり過ぎるというか、少し無責任すぎる。

 初対面の二人が残され気まずい雰囲気になってしまう。


「えっと、初めまして、高原です。

 これからよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 それで会話が途切れてしまう。

 高原さんは腰が低いというより気が弱い人間みたいだ。

 俺もそんなに社交的な方じゃない。

 師匠と二人きりの生活が長かったのだ。

 こんな状況に慣れていない。

 おそらく、向こうも似たようなものなんだろう。

 二人の間で沈黙が広がった。

 このままでは話が進まない。


「教授とはどんな――」


 なんとかしようと会話のきっかけを振ってみた。

 後輩というくらいだから、俺より教授のことに詳しいだろう。


「松川教授とは田舎が同じなんです。

 教授がまだ英国へ行く前、東京帝大で研究されている頃、私が帝大へ入るため田舎を出て一高に通っている時からお世話になっています。

 金が無い時は飯を食わせてもらったり、私が英国へ留学したときには居候させてもらいました」

「先生も英国へ」

「はい、二年間ほど行ってました」

「教授は昔はどんな人でした」


 俺達は教授のことをあまり知らない。

 本人が全く話さないからだ。

 英国の大学に居たことくらいしか知らない。

 教授のことを聞く良い機会だ。


「元々物理を専攻している学生でした。

 流体力学を研究していたと思います。

 帝大で物理の学位を取り、その後先進の学問を学ぶために英国へ行きました。

 まだ日英同盟が続いている頃で、米国よりも行きやすかったんです。

 教授はそこで数学にとりつかれて、数学の博士号を取り、苦労して英国の大学で教授の地位へ上り詰めました。

 そして、恐慌を機に日本へ帰ってきたんです」

「へぇー、そうなんですか」


 最初数学以外を研究していたとは意外だった。

 小さい頃から数学ばかりやっていたのだと思っていた。


「教授は結婚してるんですか? 子供は?」

「独身です。もちろん子供は居ません。

 今は一人暮らしされています」


 そうだろうと想像していた。

 教授は数学と結婚したのだ。


「先生は何を?」

「私の専攻ですか。私は電気を研究しています。

 これからは電気の時代です。

 電気がもっともっと使われるようになり、世の中はどんどん進歩していくでしょう」


 電気のことが話に出た途端に高原さんはとても流暢になった。


「今はまだ、電気はあまり身近ではありません。

 ですが、世の中は、科学は、進歩しています。

 これから色々なものが電気で動くようになります。

 私は将来、車も船も飛行機も全部電気で動くようになると考えています。

 日本は欧米各国においていかれぬように、国はもっと電気に力を入れるべきなのです。

 発電所の数を増やせば良いというものではない。

 研究者の数を増やさないといけないですし、研究を助成しないといけない」


 話し出すと止まらないところは教授に似ている。

 帝大ってこんな人ばかりなのだろうか。


 俺の様子に気づいて高原さんは話すのを止めた。

 顔が少し赤くなっている。

 しゃべり過ぎたと思っているのだろう。


「では授業を始めましょう。

 今日は理解度を確認するため、過去の復習から始めようと思います」


 こうして高原さんとの授業が始まった。

 俺が高原さんのことを先生、先生と呼んでいたら、みんな真似して先生と呼ぶようになった。



 週末が近づいたとある木曜日、俺と次郎と正一は話し合いをしていた。

 大人の世界へ行くときに先生を誘うかどうかだ。

 教授や毅は年齢や立場を考え最初から誘わなかった。

 だけど、先生ならまだまだいけるはずだ。


「支払はどうなっているのだろう」と正一。

「請求書は軍か政府かしらんが、どこかへ回されている。

 俺が払っているのでも、立て替えているのでもない」と次郎が答える。

「なら、一人くらい増えても良いんじゃないか」

「金の面はそうだが、のめり込まないか心配だ」

「さすがにもう女は知っているだろう。

 いい大人なんだから」


 それとなく探りを入れようと俺たち三人の中で一番年長者である次郎が話を聞くことになった。

 そして酒を飲みに誘い、口を軽くして何とか聞き出したそうだ。

 成人の祝いに親戚に連れていってもらって以来たまに臨時収入があった時くらいにいくとのことだ。

 それなら大丈夫と歓迎会として俺達は男四人で花街へ出かけた。

 先生は最初、『いやぁ』とか、『それは』とか恥ずかしがるというか照れていた。

 帰る段になると、


「義雄さん、明日から頑張りましょう」


 と、陽気になっていた。

 研究者もやはり男なんだと思った。

 それからは先生も皆と打ち解け、夕食を一緒に食べたりするようになった。

 これで俺は授業で気まずい思いをしなくて済むようになるだろう。



 季節は春が終わろうとしているのに満州の件で一向に音沙汰がない。

 どうなっているのだろうかと思っていたら、突然の新聞発表で結果を知らされた。

 俺は最近新聞を読み始めたのだ。

 半ドンのことを知らなかったのが悔しかったのだ。

 これ以上騙されないためにもっと世の中のことを知らないといけない。

 分からないところは辞書を引いたり次郎に聞きながらなので時間がかかるが、なんとかがんばっている。


 記事によると支那の首都南京で日本と中国国民党の共同宣言が出されたのだ。

 骨子は次の通りだった。


・両国は満州地区における中華民国の主権を確認

・満州地区で両国共同による新規資源開発

・華北平原の日本利権の段階的返還、日本軍の段階的撤兵

・日清通商航海条約が有効であることの確認とこれに変わる新しい平等な条約の交渉開始

・海南島の鉱山採掘権の日本への売却と関連施設の建設


 だいたいは毅が以前言っていた通りだが、微妙に違いがある。

 新聞を読んでも分からないので次郎に聞いてみたが、次郎も俺と同じくらいしか分かっていない。

 それで、静子にそれとなく毅の話が聞きたいとほのめかしておいた。

 すると新聞発表の翌週、夕食後を見計らって毅が説明に来てくれた。


「義雄君にはもっと早く連絡したかったのだが、とても忙しくてな。

 支那との交渉も発表前日まで続けていたくらいだ。

 発表後は今度は国内の調整で手間取ってしまった。

 遅くなってすまなかった」

「いえ、いえ」

「おおまかなところは新聞で読んだのだね。

 では報道されていないことを説明しよう。

 日本としては不平等条約を撤廃するまでは考えていなかったが、中国がどうしても折れなかった。

 そこで、日本は満州の油田開発会社の株式を51%持つことを認めさせた。

 当初は半々で交渉していたのを有利にすることができた。

 半々と過半数は影響度が大きく変わるからな。

 それほど支那は不平等条約を無くしたかったのだ。

 それとこれは公表されていないが附属条項がある。

 東沙群島の日本への売却、西沙群島・南沙群島の日本占有の承認だ」

「東沙群島?」

「聞いたこともないだろう。

 大川君、世界地図を持って来てくれるか」


 次郎が地図を取ってくると、毅は東南アジアのところを開き、場所を指し示した。

「ここが東沙群島。西沙群島がここで、南沙群島がここだ」


 三つとも南支那海にある島々で、地図では単なる点に過ぎない。

 東沙群島はまだ分かる。台湾の南西三百キロのところにある。

 だが、西沙群島はそのさらに五百キロ先、南沙群島にいたっては台湾から千五百キロは離れている。

 ここが日本のものだというには無理があるような場所だ。

 そんなところをどうしようというのだろう。


「この三か所は松川教授が言ってきたのだ。

 これを機会にぜひ手に入れろと。

 あれは三か月くらい前に満州のことの説明に私がここに来ただろう。

 そのすぐ後に教授から連絡が来たんだ。

 教授によると日本の鉄の三分の一、アルミの半分は原料が南支那海を渡ってきている。

 だからあの場所に日本の基地があることは将来絶対役に立つというのだ。

 外務省としてはどうでも良かったが、一応海軍に確認したら海軍も興味が無いらしくどうでも良いという。

 支那もどうでも良いらしく、東沙群島は日本が買い取ることになった。

 私も知らなかったんだが、東沙群島は元々日本が支那へ売却したのだそうだ。

 だから日本が買い戻した形になる」

「へぇー」

「この三つの群島は少しばかり硫黄やリンが取れるらしいが、ほとんど使い道の無い島で、日本も支那も関係者のほとんどはなぜそんな島が話に出てきたのか不思議に思っている。

 今回は教授は他にも口を出してきて、海南島に飛行場を作ることを認めさせろとうるさかった。

 これは政府も一理あると考え条件に含めたがね。

 教授は何を考えているかよく分からん。

 だが、これまで短期間で結果を出してきているからな認めざるをえんところがある。

 これ以上暴走しないでくれたら良いのだが」


 教授と付き合う大変さを少しは毅も分かってくれたみたいだ。

 それより満州がどうなるかだ。


「張学良はどうなる」

「奴とその部下はは国民党の中に席を与えられて、満州からは切り離される。

 地盤を取られた以上段々弱くなっていくだろうな」

「なぜ従う?」

「一度は国民党の下に入ったからには逆らうには大義名分が要る。

 それに日本と国民党の両方を相手にしても勝ち目はないと考えたのだろう。

 日本としては張が大人しく従ってくれて大助かりだ。

 武力衝突が起きなくて何よりだった。

 一歩間違えば戦争になりかねんかったからな」


 たしかに関東軍が決起して満州の半分を占領しようとしたら間違いなく戦闘は起きるし、下手したら戦争になってもおかしくない。

 血が流れずに済んで本当に良かった。

 石油も開発できることになったし万々歳だ。


 俺がやったことで世の中が動いたと思うと、誇らしいというか凄い人間になった気がする。

 内心浮かれていると、今度は日本と支那の間で満州油田開発の契約が締結され発表された。

 満鉄の西に新しく街が作られることになり新慶と名付けられた。

 油田も新慶油田と呼ばれることになる。

 蒋介石の命名だそうだ。



 春が過ぎ俺に平穏な日常が訪れた。

 教授が来ることもなく俺は毎日規則正しい生活をおくっている。

 午前は研究施設通いだ。

 以前は金属関連の研究が多かったが、春以降石油関係が増えた。

 軽油の作成の他にガソリンの作成実験も始めている。

 軽油が作れるならガソリンも作れるだろうという安易な考えからだ。

 ただ、ガソリンは軽油と違って分子式が複雑で手こずっている。

 芳香族とか異性体とか難しい言葉が出てきて、そのつど勉強している。

 石油は、炭素がまっすぐ並んだものは自然発火点が低くてガソリンとして向いてないらしい。

 俺としては燃えやすい方が良いと思うのだが、燃やしやすいと燃えやすいは違うらしい。

 難しい話だ。


 午後は金の抽出を行う。

 菱刈産の金鉱石は本格採掘にもう少し掛かるということで、既存の鉱山で金を抽出している。

 もちろん、ほんの少しをくすねることは忘れていない。

 ただ菱刈でも何度か探査で掘る方向を微調整した。

 そのため菱刈には俺の転移専用の部屋が用意されている。

 四時からは高原先生の授業だ。

 先生はやはり電気の授業が一番熱心だ。

 俺も魔法に応用できそうなので真面目に聞いている。

 先生は教授と違って毎日きちんとやってきて授業をしてくれるのが良い。


 五時から少し早い夕食を取り、六時から静子の授業が始まる。

 静子は相変わらず『予定より遅れています』が口癖で授業はきついし、宿題も毎日出る。

 これも早く日本語を覚えるためだと諦めている。

 俺は自分で思っていたよりも何かを学ぶことが好きみたいで、日本語が上達するにつれて読める本が増えていき、毎日が充実している。

 この国は知識の宝庫で、ツユアツに戻ったら使えそうなことがたくさんある。

 今は時間があれば手当たり次第に色々な分野の本を読んでいる。

 農業、医学、生物学の特に遺伝。もちろん物理も化学も地学も使える。

 知りたいことが多すぎて時間が全く足りない。


 八時からは自由時間だ。

 毎日の日課の浮遊魔法の訓練は欠かさない。

 これは教授との約束だ。

 空を自由に飛ぶという目標があるし、魔法の基礎訓練として適していると思うので続けている。

 おかげで魔法の腕は着実に上がっている。

 月に一回、先生が数値を測定することになっているので、伸び具合を数字で見ることもできる。


 一番肝心のツユアツへ帰る魔法はあいかわらず見当も付かない状態だ。

 師匠が何をしていたか思い出そうとしているが、ほとんど秘密にされていたので分からないのだ。

 研究の糸口さえ分からず完全にお手上げだ。

 俺がもっと科学を学んで魔法理論と融合することができれば何かが見えてくるのではないかと期待している。

 というか、それ以外に希望が無いのだ。


 この毎日の生活に加えて週に一回の全国探査の旅がある。

 半年以上時間を掛けて東京、大阪、福岡を拠点にだいたい調べたのだが、菱刈以来大発見は無い。

 いくつか候補は見つけたが、俺が抽出をしたとしても採算が取れない鉱山だけだった。

 それで、途中から朝鮮での探査に変わった。

 朝鮮では鉄とタングステンの鉱脈を見つけた。

 現在は試掘を行っているところで有望だと聞いている。

 後で聞いたが、この朝鮮で何も見つからなければ探査が打ち切られるところだったそうだ。

 見つけても黙っておけば良いものを、発見の嬉しさと魔法の有効性を証明したくて、俺はつい本当のことを言ってしまう。

 やはり本州は開発され尽くしていて新規で有望な鉱山は無いのだ。

 今後は開発が遅れている東北、北海道、南樺太が期待されている。


 最近変わったこととして次郎が土曜日の午後に役所に行くようになった。

 本人に聞くと役所へ行って、報告したり、指示を受けたり、会議をするそうだ。

 普段は一緒に居ても何もしないので忘れてしまうが、あれでも公僕なのだ。


 それと日曜日は車で出かけることが増えた

 正一は車の運転が楽しくなってきたみたいで、鎌倉へ行こうとか車で行くのにちょうど良い観光地を探している。

 もちろん大人の世界にも行っている。

 月に二回行けるようになったので、俺達はとても満足している。


次回更新は明日3/15(火)19時頃投稿の予定ですが、間に合わない場合は3/16(水)19時頃に投稿します。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ