97.クオリッサ社長
事故の状況とイヴァンの遺言書を共有し、ロダンとフローラ、エミリアはブラックパール船舶の事務所に向かった。
被害にあった事務所とは別、港のもっと手前にある本社事務所である。
(……ここが)
本社事務所は黒塗りの光沢ある、5階建ての建物だ。
イセルナーレ魔術ギルドと同じような雰囲気だとエミリアが感じた。
(でも活気はなく、沈んでる……)
事故が起きた翌朝なので当然ではあった。
痛ましさにエミリアが目を伏せる。
まさか、こんなことになるなんて。
3人が通されたのは、最上階の広々とした会議室であった。
そこで待っていたのは白くなりかけた金髪の老女だ。
「どうぞ、おかけになって」
足腰が悪いのか、ずっと杖を使っている。
後ろに束ねられた金髪と厳粛な紺色の服。
しかし目元には柔らかさがある。
(イヴァンによく似ていらっしゃる……)
彼女がブラックパール船舶株式会社の社長、クオリッサ・ロンダートである。
挨拶もそこそこに彼女は頭を下げる。
エミリアはその所作にぎょっとしてしまった。
息子と従業員が爆発事故に巻き込まれ、辛いのは彼女のはずなのに。
とても気丈な女性だとエミリアは思った。
自分ならとても平静ではいられないのに。
クオリッサの声はわずかに震えていた。
「申し訳ないわ。弊社の倉庫でこんな事故が起こって……」
「どうかお気になさらず」
応えたのはロダンであった。
この場にいる者の序列で言えば、彼がトップである。
その次にフローラ、最後にエミリアだろうか。
ロダンの言葉は普段よりも優しげに、痛ましく聞こえる。
「ロンダート男爵と従業員の皆さんの、一刻も早い回復を王都守護騎士団もお祈りしております」
「ありがとう……」
クオリッサが息を吐く。
イヴァンの状態は正直、良くない。
彼だけが爆発の中心部近くにいたからだ。
即死は免れたが、意識不明の重体。生還するかは彼の生命力次第……。
被害にあった他の従業員は命に別状はないという。
しかし、爆発現場に近い者ほど傷は深い――すぐに話を聞ける状態ではない。
「イヴァンの残した文書のことは、皆様もうご存じね?」
「しっかりと。法的に有効だと認められます」
ロダンは法務官でもある。
その彼が認めている以上、口を挟む余地はない。
「私も亡き夫やイヴァンから、ブラックパール号については何度も聞いておりました。私自身も……あの船には並々ならぬ想いがあります」
クオリッサがぎゅっと杖の柄に力を込める。
夫と息子にとって、ブラックパール号は恐らく忘れられない船に違いない。
九死に一生を得た嵐の日。
岩壁に衝突し、沈んでいった……。
「弊社としては、イヴァンの意思を尊重したく思います。作業はイヴァンの作った資料と経験豊富な従業員でカバー可能なはず……。どうか、このまま継続して作業を請け負って頂けないでしょうか?」
クオリッサの真摯な言葉。
もちろん、エミリアとしては何としても完遂させたい。
ロダンは即答せず、フローラを見やった。
「……王都守護騎士団としてはすでに許諾を出した事業だ。痛ましい事故が起きたとはいえ、作業自体には問題がないと考える」
フローラも覚悟を決めていた。
自分たちの作業に誤りはなく、手を引く理由はない。
「魔術ギルドも作業続行に異存はありません。こちらの担当は――」
全員の視線がエミリアに集まる。
エミリアの結論は決まっていた。
この事故がどういう経緯で起きたのか――。
あの倉庫で起きたのは、本当に事故なのだろうか。
経験豊富なブラックパール船舶がこんなミスをするのだろうか……。
そして、ロダンの母マルテの残した言葉。
あまりにタイミングが良すぎる……。
だが、ロダンは完遂する方針のようだ。
であるならば……。
「私も最後までやり抜きたいと思います」
エミリアははっきりとそう答えた。
瞬間、クオリッサの目に涙が浮かぶ。
「どうか、よろしくお願いいたします」
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