90.浮島のルーン
浮島の直径は十数メートル四方だ。
ライフジャケットを着ているとはいえ、すぐそばに海。
中央には板のような、細長い石が鎮座していた。
高さは2メートルほど。厚さは数十センチだろうか。
この浮島と石板は人工物のような印象を受ける。
いや、岩の扉の時点で人工物か……。
(ん……?)
今、エミリアは気がついた。
抱えたのを下ろされても、ロダンがエミリアの手を握っている。
「……手を離さないようにな」
「そこまで子どもじゃないんだけど……」
さすがに浮島から落ちるマネはしない。
ここまでくると心配性も行き過ぎだ。
だが、ロダンは真面目な顔を崩さなかった。
「いにしえの海賊の拠点なら、罠があるかもしれん」
「……え?」
「数年前も海賊の島を探索していた者らが、罠の矢に撃たれた。君にそうした罠も回避できる自信があるのなら手を離すが」
「そ、そんなことが……」
リアル海賊の宝探しがそんな事件を起こしていたとは。
だが、魔術のあるこの世界なら何百年も起動する罠もありうる。
エミリアの背筋がさーっと冷えた。
「……このままで」
「うむ、気をつけて進もう」
ロダンがエミリアの一歩前に進む。
足元の岩は外の岩壁と同じように思えた。
一歩、一歩。
息が詰まりそうだが、距離はたかが5メートルほど。
中央の石板までは何の問題もなく到着できた。
近くに寄ると、石板の中頃に魔力の気配を含んでいるのがわかる。
「ルーン文字ね」
「ああ、だが消えかかっているようだな」
ロダンの言う通り、石板の魔力はかなり微弱だった。
普通の魔術師なら読み取るのに苦労するレベルだ。
「私が先に見ましょうか?」
「……注意しろよ。手は離すな」
エミリアはロダンに頷き、石板に向かい合う。
目の高さより少し下に魔力の反応――非常に細かいルーン文字だ。
(これを刻んだのは相当、腕が良い魔術師ね)
エミリアが石板のルーンに手をかざす。
ロダンの手から伝わる魔力、前に読んだマルテの魔力とは系統が違う。
「……これを刻んだのはお母様じゃないみたい」
「やはりか……」
ロダンはエミリアの答えを予期していたようだ。
「ルーンには何と刻んである?」
「うん、待って――」
エミリアがルーン文字に意識を集中する。
瞬間、石板に膨大な魔力が宿った。
2メートルの石板表面すべてにルーンの文字が出現する。
それはエミリアもロダンも知らない、超高密度のルーン。
エミリアがイセルナーレ魔術ギルドで見たあらゆるルーンを超越していた。
(罠……!? いえ、これは――)
異常なまでのルーンの魔力に引き込まれる。
暗く、漆黒の闇。
それはエミリアの髪色と内包する魔力に似ていて。
真なる闇色の魔力が石板からエミリアの魂へと投射される。
『――憎い』
エミリアの意識はぼんやりと浮島にいた。
石板の前に、人がいる。
その人はエミリアに背を向けていた。
(これは、この声は目の前の……?)
憎悪、絶望、復讐……。
負の感情が空間に渦巻く。
強烈なプレッシャーと魔力の旋律。
エミリアの知る、他のあらゆる魔術師を圧倒する存在感。
(……この人が石板を?)
『――絶対に許さない』
腰まで届く、漆黒の髪と細長い腰つき。
石板の前にいるのが女性だとエミリアは察した。
彼女はただ、石板に向けて呪詛を唱えている。
『――だから私は言葉と力を残す』
女性の手にはねじ曲がり節くれだった杖がある。
その杖には石板と同じ、超高密度のルーンを感じた。
『どれほどの月日が経っても、精霊の裁きがあらんことを』
女性の首が動く。
マズい、とエミリアは直感した。
――彼女はもう、生きていない。
そして恐ろしい魔術師だ。
(嫌だ……っ)
彼女の顔を直視してはいけない。
本能が彼女を拒絶する。
エミリアは意識をそらそうとするが、できなかった。
『ウォリスを滅ぼせ』
駄目だ。彼女の顔を見てしまう……。
もがくようにエミリアが虚空に手を伸ばす。
ここから逃げなくては。
今すぐに。
「エミリア!」
暗黒に満たされた空間に白い魔力が雪のように散る。
それはロダンの呼びかけだった。
「ロダン……!」
エミリアはロダンの手を握っていたことを思い出す。
きっかけがあれば、それがすべてだった。
あらゆる闇が遠ざかり、エミリアははっと意識を戻す……。
「はぁ……あれ……?」
石板の前でエミリアは倒れていた。
目の前には、心からエミリアを気遣うロダンの顔。
「……大丈夫か?」
まだふたりの手は繋がったままだった。
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