81.ウェストスター
笑みにまったくの他意はない。
100%の善意だ。
ランチをおごるというだけ、ただそれだけの話なのに。
エミリアの動きが一瞬、固まる。
(……夜、ロダンと会う話になっているんだけど!)
まさか、そんな長時間はかからないだろうが。
でもイヴァンも貴族だ。貴族式の昼食とは、どの程度なのだろう。
「おや、ご迷惑でしたか?」
「いいえ! そんなご迷惑だなんて……!」
イヴァン自体に嫌な気持ちはまったくない。
むしろエミリアの中で彼の好感度はかなり高いほうだ。
仕事ができて、他国人で年若い自分にも極めて丁寧。
顔の造形だって所作だって……貴族的な高貴さがありながら、とっつきづらさはない。
前世の基準でもトップクラスのイケメンだ……。
エミリアはイケメンに弱い、ということはない。
元夫のオルドン公爵も総合的な見てくれだけは良かった。
だけど、中身はとんでもない男だ。
結局、外面の良さと内面は比例しない――骨までしみる教訓がある。
(ああ、でも元夫と無意識に比べるなんて……失礼だっ)
イヴァンと元夫は似ても似つかない。
……むしろ、悪いのはエミリアのほうだ。
イヴァンに内緒で暗号のルーンを消している。
今日の夜だって、その件でロダンと会う。
そう思うと、エミリアには後ろめたさがある。
ランチくらい同席してしかるべきでは……。
心の暗がりを振り払うようにエミリアは微笑む。
「ぜひとも、お願いします」
「はい、では参りましょう」
イヴァンが白い手袋に包まれた手を差し出す。
細くて、一切の染みがない。
傘に雨粒がとめどなく当たる。
どこか、遠くで雷鳴が聞こえてきた。
イヴァンは自ら、黒塗りの傘を差してエミリアをエスコートする。
ただ、距離はさほどでもなかった。
昼食の場は西の港のウェストスターという高級レストランだ。
入り口には銛の勇者の繊細な彫像が置かれている……。
王宮で見た彫像と遜色ないレベルだとエミリアは感じた。
中は照明を抑え、白亜の石壁が彩る。
外は雨だが雑音は聞こえず、陽だまりにいるかのようだ。
「どうぞ、奥へ」
「ええ……」
失礼のないように公爵令嬢の笑みと優雅さを演出する。
イセルナーレに来てからも、完全に忘れることのないようにしているおかげで多分、無様なことにはなっていないはずだ。
初老のウェイターが敬意を込めてふたりに向き合う。
「ロンダート男爵様、今日はいかようにいたしましょう」
「エミリアさんは苦手な物はございますか?」
「ああ、いえ……特にございません」
「では季節の大陸コースを」
「承知いたしました」
露骨に高そうな店、そしてコースのみか……。
好みのドリンクは別途、値段を見ないで頼まなければならないタイプの店だ。
自分で払わないとはいえ、気をつけなければ。
ウェイターがオレンジ色の炭酸弾ける食前酒を持ってくる。
イセルナーレで今、流行っているカクテルだ。
エミリアとイヴァンはそれぞれグラスを持ち、掲げた。
イヴァンがそっと透き通る声を出す。
「イセルナーレの海に」
「この出逢いに」
エミリアの答えは国際的な定番文句だ。
くっと食前酒をエミリアは口に含む。
豊かな柑橘の風味、そしてすっと抜けるハーブ。
根菜が醸し出す大地の香り、わずかにレモネードも入っている……。
食前酒としてはぴったりだ。
「イセルナーレのアルコールはお口に合いますか?」
「ええ、とても……この国は何でも美味です」
これは噓偽りないエミリアの感想だった。
(本当においしいお酒だけど……気をつけないと)
エミリアは実のところ、かなりの酒豪である。
ウォリスでは15歳から飲酒が可能だ。
何かの機会にかこつけて飲むことも多い。
イセルナーレは18歳から飲酒が可能で、その差は大きい。
しかもロダンを見る限り、日常的に飲む風潮はウォリスよりないと思われる。
……にしても久し振りのアルコールだ。
公爵夫人だった頃は、飲む機会自体はあった。
イセルナーレに来てからは初めてじゃないだろうか。
すぐに前菜も運ばれてくる。
タコとイカのマリネ、小さなガーリックトースト、アンチョビ……。
どれもお酒が進んでしまう小皿だ。残してしまうなんてもったいない。
(ここまで来たら……!)
覚悟を決めよう。
酔いはしない程度に、飲んで食べるしかない!
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