67.カモメ
イセルナーレは馬車網が発達しており、夜も運行がされている。
夜の闇は濃いが、月と星の輝きもまた強い。
夜、ふたりは乗客のほぼいない乗合馬車を乗り継ぎ、港へと到着する。
(港はさすがに人気がないか……)
ロダンとふたりきりでドキドキするよりも緊張感のほうが遥かに大きい。
港の倉庫には街灯がまばらに並ぶ。
明かりに照らされないよう、ふたりは周囲をうかがいながら進む。
やがて船の残骸の近くにまで来ると、ロダンがエミリアを手で制した。
「むぎゅ」
「……待て。どうやら人がいるようだ」
「残骸の周囲にですか?」
こんな夜にも警備をしていたのか。
建物の陰に隠れながら、残骸への距離を詰めていく。
「ふたりだな、警備か」
言われて目を凝らすと、遠くにぼんやりとした明かりが見える。
小さな魔力灯が設置され、そこにふたりの警備が座っていた。
話しながら夜食を食べているようだ。
「はぁ、交代まであと7時間か……」
「釣り道具を持ってきて正解だったぜ」
「専務もなぜ、この残骸にこだわるんだろうな?」
「さぁな……何かあるのかねぇ」
……ふたりは肩の力を抜いてお喋りしている。
エミリアとロダンに気づく様子はない。
だが、このふたりがいるのはちょうど異質のルーンが刻まれている箇所だ。
あれでは残骸に接近できない。
「ど、どうするんですか」
「……手はある」
ロダンが白い首を宵闇の空へ向ける。
明るい星が散る夜だ。ロダンの視線の先に、ふっと魔力を感じる。
空飛ぶ魔力――精霊だ。
エミリアが目と魔力感覚で輪郭を掴む。
鳥だ。小さい鳥が飛んでいる。
白くて、細長い……。
「精霊カモメですか?」
「ちょっと前に報告のあった精霊だな。毎日、魚を狙っているらしい。ちょうど好都合なことに、60メトロより小さい精霊だ」
「はぁ……?」
「つまり、誰かがあの精霊を埠頭に降り立つよう仕向けても違法性はない。精霊が近くに寄れば、警備は慌てて持ち場を去るだろうな」
しれっと言い放つロダンにエミリアは眉を寄せる。
「ま、まさか……」
「俺には不可能だが、君の精霊魔術ならできるだろう」
「……くぅ」
エミリアは頭を抱えたくなってくる。
違法性はない……。それは魔法の言葉だ。
隣にいるのは多分、イセルナーレでトップクラスに法に詳しい男。
そしてロダンの考え以上の妙案もない。
精霊を呼び寄せれば、確かに警備は驚いて去っていくかもしれない。
「問題はないんですよね……!?」
「俺が保証する。ない」
エミリアはその言葉を受け、憮然として夜の空へと手を伸ばす。
ロダンがそう言うなら……。
「……すぅー」
大きく息を吸って、吐く。
精霊カモメは悠然と港の夜を飛んでいた。
精霊避けの結界はあくまで近づけさせないだけ。
つまり呼びかければ応じてくれる、そうした性質のものだ。
(ええい、ここまで来たら……っ)
エミリアは息を断続的に吐く。
身体の芯から魔力がにじみ、空へと向かう。
距離があっても集中さえできれば、精霊魔術は行使できる。
港にあるのは静かな波の音だけだ。
昼間よりもずっと音が少ない。
集中しろ――。
エミリアは手のひらを精霊カモメへ向ける。
『……祈り、願う』
精霊カモメがぴくりとエミリアを見下ろす。
港にいるからか、人に慣れている精霊だ。
『……乞い、奉る』
残骸のすぐそばへ。
あの食事をしているところへ。
降り立ちたまえ。
願いを聞き届けたまえ。
――繋がった。
「ふきゅー」
精霊カモメが急降下して残骸のすぐ近くに着地する。
体長は確かに小さい。子どものカモメのようだ。
驚いたのは警備の人間だった。
ふたりはぎょっとして椅子から飛びはねる。
「お、おい! 精霊だ!」
「マ、マジか……ええと、こういう場合はどうするんだっけ!?」
「マニュアル3の5だ! 全員その場を退避! 関係機関に連絡ー!」
そのまま警備の人間は荷物も置き去りにして、去ってしまった。
あまりにロダンの読み通りだ。
「きゅー」
精霊カモメはてくてくと置き去りにされた夜食のほうに歩いていく。
残された夜食はイワシの缶詰であった。
「もきゅ……」
精霊カモメは缶詰のイワシを器用につまみ、噛みしめる。
警備が遠くまで行ったのを確認し、ロダンとエミリアは陰から姿を見せた。
「……本当にうまくいきましたね」
「ブラックパール船舶株式会社のマニュアルに沿った、素晴らしい対応だったな」
「そこまで把握していたんですか」
「仕事関係であればな」
精霊カモメはイワシの缶詰を貪っている。
魚を狙っていたというのは本当らしい。
ロダンは懐から銀貨を取り出すと、指でテーブルへと弾いた。
「缶詰の代金だ」
「………」
あの警備が戻ってきても、銀貨は精霊がひっかけて落としたものだと思うだろう。
精霊がたまに物を持ち去り、落としていくのはよくある話だ。
「さて、早速ルーンを見なければ。どこにある?」
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