48.帰宅
雲があっても市街地は焼けつくように暑い。
とはいえ、歩かなければ。馬車は安くない。
こうしてエミリアは自分が泊まっていたホテルにまで、セリスを送り届けた。
ホテル前、セリスはエミリアの手を握り、何度も礼をする。
「本当に、本当にありがとうございます……! この御恩は絶対に忘れませんので」
「いいのよ。それよりも大変なのはこれからだと思うから……。内側に抱えこむこともあるでしょうけど、無理はしないでね」
「しっかりと胸に刻みます」
手を離したセリスがエミリアたちに向き直る。
「では、精霊の加護があらんことを」
……それはウォリスで使われる別れの文句だった。
癖で出たのだろうが、エミリアは一瞬フリーズしてしまう。
「あっ、えーと……」
ウォリスの文句を使うことの気まずさ。
それにセリスも気づいた。
時間にすればほんの数秒。
エミリアより先に口を開いたのはフォードだった。
「海の恵みがあらんことを……だっけ」
「そう! そうでした!」
珍しい、フォードが人の発言にツッコむなんて。
何事にも控えめなフォードにしては……セリスは違うのだろうか。
セリスの放っておけなさ、というのはある。
フォードもエミリアと同じようにセリスを見ているのかも。
ふーっと息を吐いたセリスがフォードの前に屈む。
「フォード君、よく知っていましたね。とってもお利口さんです」
「……うん、セリスお姉ちゃんも頑張ってね?」
ルルが袋の中からぐっと羽を伸ばす。
「きゅ、きゅー」
「ルルちゃん……」
セリスが指の先でルルの羽にタッチする。
ほんのわずか、セリスの瞳に涙が浮かんだ気がした。
セリスと別れたエミリアたちはアパートへ歩いていく。
途中、細々とした品物や惣菜を買いながら。
分厚い雲はすっかり海の沖に流され、今は太陽が照りつけていた。
もうそろそろ8月になる。
暑いのは好きではなかったが、イセルナーレは風のおかげでそこまで蒸さない。
記憶にある日本の夏よりかは過ごしやすくなる気がする。
多分、コンクリートや車の排気ガスがないことも影響しているのだろう。
家の扉を開け、エミリアが力を抜く。
「ふぅ……ただいまー」
「たっだいまー」
フォードが玄関にルル入りバッグをそっと置いた。
「きゅーきゅー!」
「んふふ、ルルもお疲れ様!」
ルルがふににっとバッグから出て、玄関で跳ねる。
……可愛いやつめ。
時刻は夕方前、とりあえず化粧を落として部屋着に着替える。
今日は本当に色々とあった。
詳しい話は……フローラにも共有できないところがある。
彼女が知るべきでない事柄も多い。知ってしまえば、黙っていなければいけない。
エミリアが行った離婚調停はそうした類のものだからだ。
でもとりあえず、終わった。
エミリアの名誉は守られ、財産分与も行われる見込みだ。
後始末はまだ残っているが、すっきりとした気分である。
(ひとりだったら、絶対にダメだったかも)
フォードがいたからエミリアは頑張れた。
ロダンがいたから迷いなく進めた。
……フローラもグロッサムも。
エミリアはこの国に来てから、本当に恵まれたと思う。
エミリアとフォードとルル。
ソファーに並んで座っていると、フォードがエミリアの手を取った。
「ねぇ、お母さんの手……気づいてる?」
「うん? 何か変わった?」
「ふよふよしてる。冷たくもないよ」
小さなフォードの指がエミリアの手の甲をなぞる。
血色、指の付け根、全体の肉づき……。
まじまじと見ると全体の印象がかなり変わっていた。
(体重も多分、増えてるよね……)
この世界にはまだ家庭用体重計がない。
なので正確にはわからないが、数キロは増えた気がする。
もちろん、今までが痩せすぎていただけなのだ。
あの家でたくさん食べる、というのは不可能な話だった。
「ありがとう。ここに来て、色々とおいしい物を食べてるからね」
「うん! もっともーっと食べないとね!」
「フォードもこれから大きくなるもんね」
「えへへ……」
エミリアはフォードの頭を撫でる。
そうだ、息子はこれからどんどん大きくなる。
「きゅーい!」
ルルも羽をばたつかせ、もっと食べるよ的なニュアンスを醸し出している。
「……うん」
「きゅ?」
エミリアはすすっとルルを掲げ、テーブルの上に置いた。
そしてさきほど、雑貨店で買ってきた新品メジャーを取り出す。
「あれ、お母さん……?」
「ちょっとね」
エミリアはメジャーでルルの全長と横幅を測り、メモ帳に記録した。
ルルの高さ――24セルティ。メートル法に換算すると19センチ。
横幅――25セルティ。メートル法に換算すると20センチ。
ふむ……今日はルルもたくさん食べたけれど、どう変化するのか。
精霊は成長しないと言われているが、そもそも同居するものではない。
実際、縦と横が大きくならない保証はないのだ。
……ちゃんと記録をつけないと。
でないと、はみ出してしまうかもしれない。
「きゅーい?」
「大丈夫よ。気にしないでね」
ルルが合法ペンギンのままでいられるかどうか――それはエミリアにかかっているのだ。
次回よりお仕事パートへ移ります。
*家庭用体重計が日本で発売されたのは戦後のことで、比較的最近のことになります。
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