35.デレンバーグ大公のセリス
ウォリス王国からイセルナーレ王国へは何本もの魔導列車が走っている。
最短はエミリアの使った行程であるが、遠回りの線路もあるのだ。
その特等客室の最奥で、ひとりの少女が顔を真っ青にして座っていた。
(嫌だ、嫌だ、嫌だ……っ!)
少女の名前はセリス・デレンバーグ。
ウォリス王国大公家の令嬢である。
くすんだ赤髪、分厚い眼鏡――しかし顔立ちは整っており、特に胸は豊満であった。
年齢は16歳と少し。ウォリスでは結婚が見えてくる年齢である。
「……っ」
セリスは列車に揺られながら膝元の布に皺ができそうになるほど握りしめ、必死に吐き気を抑えていた。
「顔色が良くないな、セリス」
後方から声をかけられ、はっとセリスが顔を上げる。
かりそめの笑顔を表情筋に貼りつけ、セリスは答えた。
「あっ、はい……っ。い、いえ……鉄道に不慣れなもので」
「だろうな。この乗り物はどうも好かん。平民の乗り物だ」
手洗いから戻ってきたその男が、無遠慮にセリスの隣に座る。
セリスの隣に座ったのは――オルドン公爵であった。
「だが、コレは金になる。慣れておけ」
「……は、はい」
セリスが喉の奥をきゅっと締める。
(どうして私が……)
数か月前、デレンバーグ大公家にオルドン公爵より婚約の申し入れがあった。
セリスにとってはあまりに突然の話である。
『オルドン公爵とセリス嬢で結婚を』
それがオルドン公爵の提案だ。
セリスに断る余地はなかった。
なぜなら、セリスの父で当主のデレンバーグ大公が乗り気だったからだ。
セリスは当然、父に問うた。
『でもオルドン公爵には……もうご夫人とお子様がおられるのでは!?』
『夫人は離縁して子も追い出すから、問題はないそうだ』
『…………は?』
『今、オルドン公爵家の勢いはウォリス王国でも特筆すべきもの。イセルナーレ王国に目をつけたのは、さすがだ』
ウォリス王家にも近しいデレンバーグ大公は、オルドン公爵家と手を組みたがっている。
そのための最短経路は政略結婚であった。
セリスも大公家に生まれ、それは承知していた。
自分の愛する人とは生きられない。
(わかってる、でも嫌……!!)
オルドン公爵の評判はセリスも聞いている。
何人も女性を囲い、派手な生活を送っていると。
貴族的生活がさほど好きではないセリスとは真逆だ。
……こんな結婚があるだろうか?
もうすでに妻も子いる、それを捨てる人間に嫁ぐなんて。
どんな物語よりも最悪な結婚だった。
『セリス、オルドン公爵へ嫁げ』
『……』
『返事は?』
『…………はい、お父様』
セリスはイセルナーレ王国に留学した経験がある。
ほんの1年ほどだが、イセルナーレはウォリスとは全然違った。
あの国は自由だった。
もちろん、それを好まないウォリスの貴族は多い。
イセルナーレではウォリスほど貴族の地位は高くないからだ。
ウォリスでは当主、目上は絶対の存在。逆らうなんて許されない。
(それが、こんな結果になるなんて……)
今回、オルドン公爵家に選ばれたのもそれが理由だ。
年齢、家柄、魔力、経歴――どれも申し分ない。
デレンバーグ大公がオルドン公爵へ捧げる贄として。
セリスは適任だったのだ。
(嫌だ、嫌だ、嫌だ……っ!)
このイセルナーレへの旅はオルドン公爵とセリスの婚約報告が目的だった。
イセルナーレ首脳陣にふたりで挨拶に行き、承認をもらう。
それをもって正式に婚約が結ばれ、ただちに結婚までいくだろう。
「……セリス、お前は美しい」
「は、はぃ……ありがとうございます……」
「もっと化粧をして着飾れ。そうすればウォリスでも輝く」
オルドン公爵の手がセリスの太ももに伸びる。
「……っ!」
嫌悪感にその手を払いのけたくなるセリスだが、それは許されない。
もう後戻りなどできないのだ。
できるのは、この列車から身を投げることくらいか。
イセルナーレの崖からでもいいかもしれない――くだらない妄想を頭に浮かべていないと、セリスはおかしくなりそうだった。
「イセルナーレは今回、色々とルートを指定してきた。各地を見て回って欲しいとか……。これもイセルナーレと関係強化してきたお陰だ」
本当はロダンが計画を遂行するため、あえてそうしているのだが。
オルドン公爵はまったく気がつくことがない。
前回よりも厚遇されていると思い込んでいる。
すでに狩りの用意は終わり、あとは獲物が飛び込んでくるのを待つだけなのに。
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小説家になろうで書き始めて8年ほどですが、これは初めてのことでございます。
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