302.動物学のオーマ
翌朝、エミリアはセリスにフォードを任せて大学へ出勤する。
「いつもごめんなさいね」
「いえいえ、書類仕事をしながらフォード君を見守っていますので……」
フォードは誕生日でもらったペンを使うのに最近夢中であった。
今も字の練習帳を眺めては、熱心に書き写している。
「いってらっしゃーい」
で、ルルはエミリアの肩掛けバッグに収納され、頭を出していた。
ぬいぐるみを突っ込んでいるようにしか見えないビジュアルだが……。
そこそこ混雑する試験期間の大学では、このほうが良い。
「きゅっ!」
「ルルも頑張ってねー」
「きゅーい」
しゅぴっと敬礼したルルを携え、エミリアは家を出た。
いつもの道を行き、朝早く大学に到着。
昨日と同じくまだ学生の姿はない。
「きゅーきゅー」
「何をするかは、まだ聞いてないのよね」
「きゅい?」
もしかして泳ぐ線もありますか?
ルルがワクワクしながら聞いてくる。
「……その線は薄いと思うけど……」
「きゅ」
冬の水泳はオツなのに。
それはペンギン基準であって、人間には過酷すぎる。
とりあえず変更された通達に従い、指定の校舎に向かう。
昨日に比べるとリラックスしている教職員もいれば、ピリついている人たちもいる。
担当の試験が終わった教職員は気楽なものだ。
一方、歩いているとこんな話も聞こえてきた。
「聞きましたか、2年生で乱闘騒ぎがあったとか……」
「ははぁ、風物詩ですなぁ」
全く、のんきなものだ。
「……おや、あの人は――」
「1年生の鼻っ柱をへし折った、あの新任講師ですよ」
「今の若い講師にも骨がある者がいるんですなぁ」
……。
エミリアは少し顔を伏せてずんずんと歩いていった。
マズい。
まだあの決闘のことが語られているとは。
ウォリスならあれくらいの事件はすぐ風化するのに(エミリア視点)
「きゅい」
ルルがバッグの中から羽をぴこぴこと差し出してくる。
ペンギンウィングにふっ飛ばされるほうが悪いのです。
とルルは言っていた。
もしこの話で悪い人物がいるとしたら、力量差をわかったうえで決闘をセッティングしたエミリアではある。
しかしエミリアはそれを承知しつつ、ルルの羽をもみもみして落ち着いた。
(はぁ、ふわふわ……)
動物学の試験会場は指定された校舎のすぐ外、野外であった。
野外にテーブルと椅子が置かれ、柱と屋根が据えられている。
壁はないため、横風と雨に弱そうだが……バーベキュー会場のような趣だった。
「おおっ……!」
そこにはスレイプニル、犬、猫などが繋がれていた。
アニマル天国だ……!
「きゅい!」
ルルも目を輝かせている。
会場でスレイプニルの毛並みを整えているのは、昨日スレイプニルに引きずられていたおじさんであった。
年は40歳前後。腕や肩回りはかなりの太さで、とても健康的な印象だ。
茶色の髪、作業着に帽子を被り、肌はかなり日焼けしている。この人はこの人で教職員らしくない。
実際、この試験期間中は正装をしている人も多いのだが……おじさんは違うようだった。
エミリアを見たおじさんがほっと笑顔を見せる。
「ああ、来てくれたか! よかった、よかった! 昨日はどうもありがとうな!」
「いえ、こちらこそ今日はよろしくお願いいたします……!」
おじさんに促され、動物たちの近くに座る。
「自己紹介をしてなかったな。昨日はバタバタしていた……。動物学を担当する助教授のオーマだ」
「エミリアと申します。どうぞエミリアとお呼びください」
「こいつのご機嫌が斜めになるとコトだからな。申し訳ないが手伝いに呼ばせてもらった」
オーマがふぅーとため息を吐く。
そこで黒のスレイプニルがぎろっとオーマを睨んだ。
「ぶるるっ!」
「い、いや! お前が悪いんじゃない……。ただな、お前は人の気持ちがわかりすぎるから……」
慌ててブラッシングを再開するオーマ。
スレイプニルはそこから深く追及はせず、ブラッシングに身を委ねた。
(背中をブラッシングしてもらいたいだけじゃ……)
まぁまぁ、スレイプニルは甘えん坊なのだろう。
そこでルルがふにっと羽を掲げた。
「きゅ!」
「あ、そうだ……この子も紹介しますね。ルルと申します」
エミリアがすすっとルルをバッグから取り出し、両腕で抱えた。
ルルを見たオーマが手を止めずに首を傾げる。
「精霊……か? いや、それは俺は何も……」
「はえ? 指示書きにあったのですが」
「じゃあ、それは別の人からの依頼だな。別々の人間が依頼した内容がまとまって届いたんだ」
「なるほど……」
「たまにそういうことがある。合理的なんだが、合理的すぎてな」
ふむむ、ルルを呼んだのはオーマではないらしい。
だが、ルルを視認したスレイプニルは深く首を傾げ、明らかにお辞儀をした。
「ぶるんっ」
「きゅいきゅ!」
ルルは羽をふにふにとさせ、悠然と応じる。
明らかにスレイプニルはルルへ敬意を持っているようだった。
「……どうやらここでも、その子の存在は無駄にはならないみたいだな」
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