20.情
エミリアはさらにいくつかの書類へサインをして、ロダンへ渡した。
返された書類を揃え、ロダンが丁寧に封筒へ納める。
「もうウォリスへ情はないか」
それは確認と言うより、確信めいた口振りだった。
エミリアが肩をすくめる。
「オルドン公爵以外のウォリス貴族がどう反応するか、おおよそわかるしね……」
離婚調停がどうなるかは分からないが、ロダンは徹底的にやると宣言した。
それはふたつの国を大規模に巻き込む。
その結果、閉鎖的なウォリスでエミリアの名がどうなるか、容易に想像できた。
祖国を裏切った公爵令嬢として中傷されるだろう。
なので正直、ウォリスに戻る気はない。
(……実家のセリド公爵家も今思うと、ちょっとアレだったしね)
エミリアは思い返す。
フォードの生まれ持った魔力が少ない、とわかってから実家も冷淡になった。
会いに来ないし、連絡もない。
……出産直後のエミリアは自分を責めた。
フォードに罪はない以上、他に誰を責められるだろう?
思えば、エミリアは実家からもとうに切られていたのだ。
それに気がつけなかったのは、エミリアが若かったから。
17歳で子どもを産んで、今のエミリアは21歳。
それにしてはあまりにウォリスは厳しい。
(元々そういう国だった、ということなのでしょうけどね……)
この数日、イセルナーレで過ごしてウォリスへの愛着はほぼ消えた。
フォードを育てるのにもウォリスはふさわしくない。
「予測できているなら、いい。……本当に変わったな」
「そうね……私、これまでウォリスしか知らなかったんだけど……私も留学しておくべきだったわ」
エミリアはしみじみと言ってしまう。
前世の記憶が戻ったのは、最悪の夜からだった。
もしあれより前にウォリスについて客観視できていたら、変わっていた気がする。
少なくとも、悲しみながら装飾品や服をバッグに詰め込むことはなかったはずだ。
「ま、もう仕方ないけど。書類はこれで終わりかしら」
「今日、サインしてもらう分はな。読んでもらいたい書類は後でまとめよう」
ロダンのそばにある書類の山。
まさか渡してくることはないと思うが……。
エミリアの目つきを読んだロダンが書類の山を見渡す。
「これは参考用に手元へ置いただけだ」
「そう……」
「読んでおけばいずれ役に立つがな」
「……あなたなら、そう言うわよね。わかったわ、少しずつ読むから」
ロダンの求める水準が高いことはもう慣れている。
さらに、彼の説明が多少なりとも省けるようエミリアも読んでおくべきなのだ。
(全部、人任せにできたら良かったんでしょうけど……もう懲りたわ)
その結果のひとつが今の状況だった。
元夫と義実家と戦わなかった自分の人生、その結末。
ロダンは全面的に信頼しているけれど――骨身にしみるほどの教訓だった。
離婚調停の話が一段落し、話題はエミリアの近況へ移っていく。
秘密にすることは何もないし、心配をかけたくもない。
エミリアは順序良く自分の近況を報告した。
イセルナーレ魔術ギルドに所属したこと。
持ち出した装飾品を売って当座の資金にしたこと。
銀行口座を作り、住処を探していること……など。
どれにもロダンが口を挟まなかったのは、予想の範疇だったかららしい。
「ふむ……君の能力を考えれば、不思議はない」
「紙一重だった気はするけれど……」
「ギルドは俺の管轄外だが、イセルナーレ魔術ギルドは難関で有名だぞ。イセルナーレ国立魔術大学の首席級でも、所属試験に挑戦して落ちるからな」
「……ええっ?」
「何を疑問に思っている。格で言えば、君が首席だったウォリス貴族学院のほうが上だ」
「そ、そう……」
うーん、あの学びの日々にそれだけの価値があったとは。
卒業したのが5年近く前なので、いまいち実感がない。
「それだけ、あのギルドに所属するのは名誉なことだ。他国人で所属したのは君が初めてだろうしな」
「…………」
そ、それはかなりのことなのでは?
あの時は流れに流れて所属することになったが、いまさら重大さに気づいてしまう。
「まぁ、気負わずにやればいい。ギルドの仕事は融通が利く。対外的な信用も得られるしな」
「……そうね、ありがとう。頑張ってみるわ」
「ああ、それと――フォード君にお土産がある」
ロダンが机の棚を開け、用意していた何冊もの絵本を取り出した。
それぞれ魚、カニ、騎士が表紙の絵本だ。
「屋敷の蔵書庫にあった絵本だ。あの子に渡してくれ。気に入ると思う」
「助かるわ。本はいくらあっても困らないから」
ロダンには世話になりっぱなしだった。
心の底から彼が友人であることに感謝し、話し合いを終える。
落ち着いたら、絶対にこの恩を返さなくては……!
こうしてエミリアは封筒を抱え、フォードと一緒に帰路へついた。
(頑張ろう、お仕事も。人の縁は大切にしなくちゃ……!)
フォードの為にも。
今やれることを、精一杯。
イセルナーレの日差しは今日も強いが、エミリアの心は空にある太陽と同じく晴れやかだった。
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