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【コミカライズ】夫に愛されなかった公爵夫人の離婚調停  作者: りょうと かえ
3-3 モーガンの杯

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190.7歳の儀式

 エミリアの呼吸が速くなる。

 死んだ両親が目の前にいて、モーガンの杯を持っているから。


『私は……っ』


 この杯は……そうだ、2回だけエミリアは見たことがある。


 エミリアが7歳になった時、お祝いの席にこの金属の杯が置かれていたのだ。


 祝いの際、広間には様々な由緒ある品々が飾られる。


 歴代当主が使ったルーンの装具、手書きの本、肖像画……。


 その中で両親が執事やメイドに一切触れさせなかった唯一の品が――あの銀の杯だった。


『……ずいぶん、大切そうにするのね』


 どの国の貴族にも様々な年齢による儀式がある。

 もちろん儀式には格があり、重みが違うのだが。


 特にセリド公爵家では7歳の儀式は重要視され、盛大に祝われた。


 エミリアも当然、様々な儀式に参加してきたのだが……今まで、この金属の杯が置かれたのを見たことがなかった。


 しかも杯は他の全ての遺品を押しのけ、中央に飾られていた。


 セリド公爵家は古い家系だ。

 その中には中興の祖や特に王家から表彰された人間もいたわけだが、それら当主の遺品よりも杯は重んじられているように見えた。


『そんなに価値があるのかしら? でも、あの杯のことは誰からも聞いてないわ。誰の遺品なんだろう?』


 7歳の儀式自体は何事もなく、進んでいくように見えた。


 だが……異変は最後に起きたのだ。


 儀式の最後、両親は兄とエミリア以外の全員を広間から退出させた。


 メイドや執事だけでなく、叔父叔母や縁戚の人間も全員だった。


 そんなことはこれまで一度も、一度もなかった。


 全員がいなくなって――がらんとした広間になってから、両親はあの杯を手に取り、魔力を注ぎ込んだ。


 そのまま両親はゆっくりとエミリアへ振り返る。


『来なさい』

『はい』


 両親の声が重なる。

 父と母はいとこ同士であり、どことなく似ていた。


 動作も雰囲気も、このような呼びかけでさえ重なって聞こえた。


 エミリアは席を立ち、両親の元に走り寄った。

 兄がわずかに目を細めた気がした。


 エミリアがそばに来ると、両親は杯をエミリアへ押し付けた。


『飲みなさい』


 すえた鉄分の臭み、真紅の液体が杯を満たしていた。それは今からすると、血のようにも思える。


 いや、そんなはずはない……さきほどまで杯はからっぽだったはず。


 この液体は血であるはずがなく、魔力的な何かなのだ。


 しかし不気味に思ったエミリアは答えを躊躇した。


『答えなさい、エミリア』

『……はい』

『これは大事な儀式だ』

『はい』

『飲みなさい』


 エミリアに拒否権はなかった。

 生まれてから、いつもそうだ。


 エミリアの両親は何を考えているかさっぱりわからなくて、エミリアには常に命令口調であった。


 そうでない時はぼんやりとしていた。時に糸が切れた人形ではないかと思うほどに。

 

 だが、人のことは言えないと今のエミリアは思う。

 なぜなら前世の記憶が流れ込むまでエミリアも似たような存在だったからだ。


 エミリアは杯を手に取った。


 ゆらゆらと真紅の液体が揺れる。

 飲みたくはないと思っても、飲まなくてはいけない。


 エミリアが断っても、この両親は無理やりにでも飲ませるだろう。


 両親が下す命令から逃げることはできない。

 だったら、従ったほうがいい。


 エミリアは意を決して杯の縁に口をつけ、液体を飲み始める。


 それは不可思議な感覚だった。


 匂いも粘度も血のようでありながら、それは血ではなかった。


 甘く、美味しい。


 蜂蜜よりも麗しく、砂糖よりも強烈に舌を刺激する。

 これならいくらでも飲めた。


『なんだ、怖がって損した』

 

 ごくり、ごくりとエミリアは液体を飲み干していく。

 

 同時に身体が熱くなってきた。

 でも飲むのを止められない。


 ごくり、ごくり。

 両親は無表情に7歳のエミリアを見下ろす。


 もう杯に残った蜜はわずかだ。

 抑揚のない、両親の声が聞こえる。


『これでお前も――』


 そこから先は覚えていない。

 液体を飲み切った瞬間、エミリアの意識は絶たれた。


 気が付くとエミリアはベッドに寝ており、儀式は全て終わっていた。


 次にエミリアが杯を見たのは、兄の子どもが生まれた時だった。

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