159.アンドリアへ
半月後。秋が深まり、ルルはいよいよフモってきた。
ふかふかで温かい……。
「……きゅ」
テーブルの上でねむねむするルル。
そのルルの左隣にはエミリアが、右隣にはセリスが頭を乗せていた。
要はルルの身体をふたりの頭で挟む形である。
ふもふも……。
「ということで、明日からアンドリアに行ってくるわ」
「はい……いってらっしゃいませ」
ふたりの声はだるんだるんに力が抜けていた。
視線はルルで遮られており、声だけ。でもそれで良かった。
ルルのふわふわぼでーを顔で堪能しているのだから。
フォードはソファーで絵本を読んでいる。
今読んでいる絵本はアンドリア地方のガイドも兼ねた絵本だった。
「はぁ、にしても……離婚するのって大変ね」
「心中お察しいたします」
エミリアにとってセリスは今、もっとも気兼ねのない友人であった。
出身地が同じで――同じ痛みを抱えた仲だ。
「セリスさんのほうは、実家とか大丈夫?」
「……父からは帰ってこいと手紙が来ましたが、無視してます。もう結婚とか本当にこりごりですから」
ルルの羽がもぞもぞとセリスの頬を撫でる。
「たまーに手紙を送っておけば、安否を心配させることもないでしょうし」
「そうねぇ……」
ウォリスにおける貴族の初婚年齢は早い。
18歳までに結婚しなければマズいとされるほどだ。
一方、イセルナーレでは晩婚化の傾向が出ている。
20代半ばでも結婚しない貴族は珍しくない。
(貴族なしでも社会が動くってことだしねー……)
この数か月、イセルナーレの新聞を読んでいると、ふたつの国の社会構造の違いがはっきり理解できる。
イセルナーレでは普通選挙が行われているのだ。
ウォリスにも議会はあるが平民の参加は限定的で、貴族主体の政体だ。
それゆえに結婚と出産が貴族にとって重要なファクターになる。
イセルナーレでは平民と貴族、ということで政治家を区別しない。
議員になる資格は誰にでも認められていた。
「……イセルナーレに帰化しようかしら」
「それもいいかと思いますよ。私はそうするつもりです」
今、エミリアは魔術ギルドのおかげですでに永住資格を持っている。
実はもう帰化の条件も満たしているのだが、その決断はまだ下していなかった。
「フォードの様子を見て……問題なさそうだったら、私もそうなるわね」
ルルが軽く寝返りを打つ。
もっふもふのお腹にエミリアの口が埋まった。
「……ふも(幸せ)」
「そういえば、ロダンさんも同行されるんでしたっけ?」
「ええ、その予定よ」
「ほうほう……」
セリスの意味深な反応を受けて、エミリアが言葉を返す。
「私とロダンはそういう関係じゃないからね?」
「そこが信じられないんですよね」
「信じてもらわないと。男女の友情は成立するのよ」
「……そういうことにしておきます」
実際、エミリアはロダンと結婚できるとは思っていなかった。
ロダンには連綿と続く伯爵家の系譜がある。
離婚歴のある自分と結婚だなんて、周囲が許さないだろう。
(今ぐらいの関係値がお互いにとって一番いいんだから)
それにこのアンドリアへの旅はお気楽なものではない。
実は外務大臣からの依頼で遥か昔に作られた、不発弾の解体もしなくちゃいけないのだ。
(……こっちのほうが激ヤバよね)
翌朝、イセルナーレ中央駅にエミリアは来ていた。
ここから鉄道に乗ってアンドリア地方へ向かうのである。
「晴れたわねー」
「うん、気持ちいいねっ!」
見事な秋晴れである。
ほのかな風が優しく、行楽日和。
「きゅい!」
バッグの中のルルもやる気に満ちていた。
駅は平日だけあってそこまで混雑はしていない。
時計塔の下で待っていると、ロダンがすっとやってきた。
非常にラフな、黒革のジャケットと灰色のズボンである。
それでも絵になってしまう美形さが憎い。
周囲の人間の視線を集めてしまう華やかさがロダンにはあった。
「待たせたか?」
「いいえ、今来たところよ」
エミリアが答えると、すっとエミリアの手を取る。
そこには一応のお洒落でしてきた、新品の指輪があった。
「新しい指輪か。似合ってるな」
「……ありがとう」
ロダンはこういうところには必ず気付く。
これでなぜ結婚できないのか、ちょっと不思議だが。
しかし、それを口に出さないだけの理性がエミリアにはあった。
『これから行くのは君の離婚調停の件なんだが?』
そう言われるとぐうの音も出ない。
ご足労頂き、誠にありがとうございます――としか言いようがなかった。
次回より糖分増量区間に入るかもしれません!
ご了承ください!!
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