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【コミカライズ】夫に愛されなかった公爵夫人の離婚調停  作者: りょうと かえ
3-1 秋の日々

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142.講義審査

 だがルーンを消去し、ほっと一息……というわけにはいかない。

 まだ契約書にサインはしていないのだ。気を抜くには早すぎる。


 トリスターノがエミリアに書類を渡す。

 上質紙だがまぁまぁ薄っぺらい。


「これが講義内容のレジュメです」

「ふむふむ……」


 丁寧なことに挨拶から喋ること、黒板への板書まで全部記してある。

 これを書いたのは相当几帳面な人だとエミリアは思った。


 そして字は丸めで癖はない。

 トリスターノのルーンとは全然違って非常に読みやすい。


(……この書類の作成者は女性かな?)


「季節外れの生牡蠣を食べて倒れた教員のものです。この書類は事前に提出させたものですが、おかげで講義の内容を再検討する必要はありません」

「やはりそうですか……」


 エミリアは心の中でその教員の健康を祈っておく。

 やっぱり生の海産物にはリスクが存在してしまうのだ。


「内容に不明な点は?」

「ええ――大丈夫だと思います」


 書いてある内容は基礎的なルーンについてだ。

 ウォリスの貴族学院では初めのほうに叩き込まれる内容で、難しくはない。


「ただ、途中で内容が終わっているような……?」

「全部を持ってくるとかなりの枚数になります。試すのは最初のほうだけで充分でしょう」


トリスターノがつかつかと教壇から降りて、学生用の机へ向かう。


「では実際に、口頭で喋れるかどうかを見させてもらいます」


 学生用には細長く、黒の長机が並んでいる。

 やや古めかしいが基本的には日本の大学の講義室と変わらない。


 トリスターノがすちゃっと着座する。

 そして顎の下で手を組んで……威圧感マシマシだった。


「フローラ、あなたもこちらに」

「……わかったわ」


 フローラはトリスターノからちょっと離れたところに座る。

 どちらも学生には全然見えない。


(どうやって声を出していこうかな……?)


 エミリアには講師の経験などはない。

 せいぜい貴族学院でのスピーチとフォードを育てた経験くらいだ。


(……まぁ、ああいうノリでいいのかな?)


 イセルナーレの大学は15歳から18歳まで。

 この世界の義務教育の期間が短い分、このような形式なのだ。


 とはいえ、この制度も前世に近くなっていくだろう。

 イセルナーレの新聞にもよく教育期間の延長が議論されている。


 もう50年くらいすると……現代とさほど変わらない制度になるかもしれない。


 エミリアはこほんと咳払いして喉の調子を整える。

 抑揚をつけて、声量は大きめに。でないと後ろまで聞こえない。


『えー、イセルナーレの学生の皆さん。ルーンの基礎講義にようこそ――』


 エミリアはレジュメを手に取ったりせず、なるべく前を見て話を続けた。


 発声法や立ち振る舞い、これらも貴族の社交術に含まれる。

 エミリアにとっては昔取った杵柄だ。


(なりきれ、私は先生だ。先生、先生……)


 暗示めいた心持ちでエミリアが話し始めて15分ほど。

 ふっとトリスターノが手を挙げた。


 なりきったエミリアは先生のテンションのまま、トリスターノへ目線を移す。


「はい、トリスターノ君。質問でしょうか?」


 トリスターノとフローラが目を丸くする。


「…………」


 しまった!!

 エミリアは凍りつく。


 つい先生モードで挙手に反応してしまった。

 トリスターノもあまりのことに手を挙げたまま動きが止まっている。


 マズい。どうしよう。

 エミリアは顔を崩さないようにして、頭を回転させる。


 流れる沈黙。

 どうしよう。どうしよう……!


「ふくく……っ」


 気まずい空気を破ったのはフローラだった。

 この一連の流れに我慢できなくなり、笑い出したのだ。


「あはは、トリスターノさん! 審査はもういいでしょう?」

「……ええ。挙手への反応も良しとしましょう」


 雰囲気が弛緩した瞬間、エミリアは高速で頭を下げた。


「あああーー!! 本当にすみませんーっ!!」

「いいのよ、エミリアさん。手を挙げただけじゃわからないものねぇ」


 フローラは明らかに面白がっていた。

 トリスターノは――真面目な顔のまま、エミリアに言う。


「書類を見るのも最小限、声もよく通っていて、問題はありませんでしたよ」

「はいっ! どうもありがとうございますっ!!」


 ……トリスターノのフォローにエミリアは再び頭を下る。

 こうしてエミリアは審査をクリアすることができたのだった。

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