117.過去2
22年前。
マルテの自宅では言い争いが繰り広げられていた。
一方はレッサム、一方はマルテ。
レッサムは何度もマルテとカーリック伯爵の交際に反対した。
「お前は利用されているだけだ」
「兄さん、彼のことを悪く言わないで」
「あいつはそうやって何人もの女性に声を――才能ある魔術師の女性に声をかけているんだぞ」
「――今はもう、私だけよ!」
「お前……」
マルテは躊躇しながらもはっきりと言った。
兄にこれほど強く言い返すのはマルテにも初めてであった。
マルテも理解している。
カーリック伯爵の生きる世界は自分とは違う。
だが、それは彼の残った誠実さを疑う理由にはならない。
正室でなくても構わない。彼の確かな愛情があれば。
マルテには後悔は何もない。
「……そんな甘い言葉を信じているのか。なら、これは知っているか? カーリック伯爵家は養子を迎えようとしているんだぞ」
「えっ?」
「やはり知らなかったか。伯爵夫人が繋がりのある貴族家へ大々的に声をかけているらしい。もう次代を待てない、ということだろうな。確かに伯爵家の子がいなければ、他に手段は――」
そこでマルテは急激な眠気に襲われた。
ふらりと身体がよろめく。
レッサムがマルテの身体を抱きとめる。
「お、おいっ!」
「ごめんなさい。最近、身体の調子が悪くて」
マルテの声が熱っぽく感じられる。
最近、ふたりきりになると常にこの話になる。
その議論の興奮のせいだとレッサムは思っていたが……。
それにしては奇妙だった。
「まさか、マルテ……お前……」
「兄さん……?」
「妊娠してるんじゃないのか?」
レッサムの推測は正しく、それからマルテはロダンを産み落とした。
(これで私も……)
ロダンはマルテとカーリック伯爵にとって待望の子であった。
しかし、マルテはレッサムの警告の半分は当たっていると認めざるを得なかった。
ロダンを産み落としても、マルテはカーリック家の屋敷に入ることを許されなかったのである。
そして生まれて3年が経ち、ロダンの魔力が明らかになる。
子どもの魔力は生まれて数年間はわかりづらい……だが、ロダンは期待されていた以上の素質を持っていた。
しかも健康で、賢くて。
ロダンはカーリック伯爵の援助のもと、マルテの下で育っていた。
……伏し目がちで人見知りが激しいのがマルテには気になったが。
だけど、そんなことは些細なことだ。
海岸沿いの家でカーリック伯爵は3歳になるロダンを抱えながら、言った。
「俺はこの子をカーリック家の嫡子にする。誰が何と言ってもな」
「あう……」
抱えられたロダンが不安そうな目つきでマルテを見る。
カーリック伯爵がロダンに会いに来るのは1週間に1回か2回。
仕方ない。カーリック伯爵は王都守護騎士団の団長なのだ。
長期休みの時期以外、頻繁に来れるはずもない。
ロダンの頭にはカーリック伯爵はどう認識されているのだろう?
恐ろしい想像が何度もマルテも頭をかすめる。
でもマルテは笑みを貼り付けてカーリック伯爵に向き合う。
それ以外ない。
「ぜひ、そうして」
マルテは微笑む。
もう後戻りはできない。
今からカーリック伯爵に捨てられたら……どうすればいいのだろう?
自分は賭けたのだ。
「今週末、ロダンを屋敷へ連れて行っていいか?」
「……あなたの、カーリック家のお屋敷に?」
「そうだ。コルドゥラもとうとうロダンを認め始めたんだ」
コルドゥラ。
その名前を聞いて、一瞬だけマルテの笑みが崩れそうになるのを踏み止まった。
彼女はカーリック伯爵の正室であり、侯爵家生まれの貴族令嬢。
カーリック伯爵よりも年上で、もう40代だったはず……。
今までマルテを頑として認めなかったコルドゥラの方針転換。
これの意味するところは、ひとつ。
つまり時間切れだ。
コルドゥラは自分で子を産むのを諦めたのである。
マルテはカーリック伯爵の意に沿わないだろうと思いつつ、聞いた。
「それって……ねぇ、あなた」
「うん?」
「私はお屋敷について行っちゃ駄目なのかしら?」
カーリック伯爵が眉を寄せる。
「君が来ると状況が難しくなる。ロダンのためにならない」
「……そう、そうよね」
「悪い、マルテ。俺を信じてくれ。きっと良い結果になるから」
きっと良い結果。
そうだ、ロダンが嫡子になればマルテも大手を振って貴族入りできる。
第二夫人でも構わない。
輝かしい未来をロダンと迎えることができる――。
(そうよ、私は貴族になれないんだから)
イセルナーレの軍務省では最近、軍縮が進んでいた。
名門貴族の生まれでやり手のシャレス派が力を伸ばしているせいだ。
そのために対外的な軍事行動は減りつつあった。
マルテの階級は今、大尉。
20代という年齢を考えれば、十分すぎる昇進スピードだ。
同期でもマルテほど昇進の早い者は他にいない。
だが、それでも足りない――伯爵に並ぶには遥かに遠い。
マルテはぎゅっと唇を引き結ぶ。
「わかったわ。ロダンを連れて行って。この子のために」
「ああ、約束するよ」
数日後、カーリック伯爵はロダンを屋敷へと連れて行った。
……彼は約束を守った。
ロダンはカーリック伯爵家の嫡子として認められたのだ。
彼はカーリック家で養育される見通しになった。
では、マルテには?
第二夫人の地位と多額の金銭が贈られることになった。
だがそれには条件があった。
『マルテがカーリック家の屋敷に住むことは認められない』
『カーリック家の許可なしに、ロダンと面会することは許さない』
ロダンを手放せと。
条件ははっきりとそう告げていた。
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