116.過去1
ロダンの母、マルテは平民の出身でありながら若くして海軍士官に上り詰めた逸材だった。
だが、それは決して才能あふれた、楽な道のりという訳ではなかった。
マルテとレッサムは早くに両親を亡くした。
生まれはイセルナーレの田舎にある漁村。
ときたま嵐が起こると誰かが海にさらわれる――。
それでも漁に出なければいけないほど、貧しい村だった。
叔父が波にさらわれて消えた年、マルテとレッサムは村を出る決意をした。
マルテは9歳、レッサムは21歳だった。
海軍に入ったのは、それが一番食えるからだ。
ほんの少しの才能と血反吐を吐くような努力で、未来は変わる。
それが魔術師の道。
マルテとレッサムはそうした道を選んだ。
マルテがロダンの父、カーリック伯爵に出会ったのは20歳そこそこの時。
とある海軍の記念式典の時だった。
カーリック伯爵は30代後半、美しい男性だった。
マルテの知る誰よりも洗練され、高貴なオーラを身にまとっていた。
当時のマルテは海軍でも人気の女性であった。
色素の薄い金髪は太陽をよく反射し、純粋な緑の瞳には確かな知性がある。
中性的で美しく、どこか儚いマルテは『これからの海軍士官候補』として新聞のインタビューを受けたこともあるほど。
晴天の記念式典で、彼は朗らかにマルテへ話しかけてきた。
「あなたがマルテ・テトスだね。噂はかねがね聞いてるよ」
「……あなたも有名ですよ、カーリック伯爵」
「それは嬉しい。乾杯をよろしいですかな?」
――マルテは知っていた。
名門のカーリック伯爵家では子どもが生まれず、次代に窮していると。
イセルナーレの貴族では、魔力崇拝傾向は薄れていた。
そうでなくても成立するような貴族社会へ変化してきたからだ。
例え魔力に乏しくても、問題ない。
努力家か善人でさえあれば……。
だが、世襲制の騎士団長に就くカーリック家は別であった。
優れた魔術師を殺せるのは、優れた魔術師だけ。
まして子がいなければ、カーリック伯爵は王都守護騎士団という家業を手放すことになる。
マルテはカーリック伯爵の下心を見抜いていた。
それが分からないほど、子どもではなかった。
しかし、同時にマルテはよくよく理解していた。
カーリック伯爵の子を産めば……自分や兄と同じ苦労をさせなくてもすむ、と。
マルテとカーリック伯爵の交際、その最初は打算だった。
だが、マルテはカーリック伯爵に惹かれていく。
きらびやかな貴族社会。
とんとん拍子の昇進とやりがいのある仕事。
その横にカーリック伯爵がいたとしても。
すべてが色あせた子ども時代の漁村とは比べ物にならなかった。
「貴族社会は窮屈だ。開かれているようで、やはり本音は言えない。建前の社会だ」
「……そういうものなの?」
海軍勤めには飲めないワインを飲みながら。
星よりも綺麗なシャンデリアの下にいることが、これほど素晴らしいとは思っていなかった。
「そうだとも。今の妻とも政略結婚というやつだ」
「名門貴族様は大変ねぇ……」
「これでもウォリスよりはかなりマシではある。あそこの社会は窒息しそうだ……。知っているか? あそこでは子どもの出来が悪いと、母親ごと放り出すのだそうだ」
「それって嘘でしょ。さすがに今の世の中で……」
マルテはイセルナーレしか知らない。
そのようなことはイセルナーレではあり得ない話だった。
カーリック伯爵の趣味は旅行だという。
仕事の合間に様々な国へ出かけているのだとか。
「本当だよ。旅先で記者に聞いたから間違いない。まぁ、珍しくなってはいるようだが……それでも今もあるらしい」
「はぁ……古くて憂鬱な国ね」
「野菜は格別に美味しいがね。色々行った国で一番だ」
「……いいわね。私、魚は子どもの頃に食べ飽きたから」
カーリック伯爵が微笑む。
甘く、純粋な男の顔で。
「じゃあ、次の長期休暇はウォリスに行こう。野菜を食べに行くなら、国境沿いの街で充分だ。本当に美味しい。日帰りで楽しめる――」
彼はマルテに誠実だった。
妻のいる男の範疇として、嘘も飾りもなく。
格好良くて。包容力があって。財産があって。
……どこかロマンチストで。
その頃、マルテの唯一の心配事は――兄だった。
レッサムはマルテとカーリック伯爵の交際に強く反対した。
だけどマルテは止まれなかった。
もうマルテはカーリック伯爵を愛していたからだ。
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