111.刻まれし
金庫は岩礁にめりこみ、一見すると岩にしか見えない。
これまで見過ごされてきたのも納得だった。
「でも、どうしてこんなところに……?」
「多分だが、嵐の勢いで運ばれたのだろう。沈んだ船体の損傷も激しく、バラバラの有様だからな」
ロダンの静かな言葉に、改めてエミリアは息を呑む。
こんな重そうな金庫が運ばれるほどの海流、嵐……エミリアには想像もつかない。
「金庫のダイヤル番号はわかっている。問題は今も開くかどうかだが」
「見たところ、大きなへこみとかはなさそうね」
前世のテレビ番組で金庫の鍵を開けるというのが、あったような……。
とりあえず金庫そのものは無事そうである。
「ふきゅ」
ずっと意識を繋いでいた、精霊カモメが羽ばたいて金庫に乗る。
エミリアは空いた腕をダイヤルの着いた面に伸ばした。
フジツボと錆、苔の向こう――金属面に魔力がある。
「……冷たい」
ルーンの魔力がダイヤル周囲に張り巡らされていた。
それはまるで、凍てつくように。
極寒に霜が降りたように。
マルテの青白い魔力だ。
他に金庫から魔力は感じられない。
ダイヤルのところだけを――マルテは封印したようだった。
ロダンもエミリアの隣に来て、マルテのルーンを確認する。
ルーンそのものはかなり強固だ。
ただ、解除できないほどではない。
集中して取り組めば消せるだろう。消してしまえるだろう。
「……解けそうか?」
「うん、それは大丈夫」
言って、エミリアはすぅーっと集中する。
金庫のルーンは海水に触れていた時間が短いのだろう。
刻んだマルテの想いも、魔力も損なわれていない。
「……いくよ?」
「頼む」
ロダンはもう覚悟していた。
エミリアも息をぐっと肺に入れ、魔力を解き放つ。
黒く、揺れる闇。
エミリアの中に眠る魔力を呼び起こし、指先に集める。
マルテの魔力に接するのも初めてではない。
魔力自体は強いが、ルーンの構造はシンプルだ。
ルーンが氷の結晶のように格子状になっている。
格子状の一端に指を押しつけ、力を込める。
ぱらりと粉雪のようにルーンの魔力が散った。
エミリアの指先ほどのエリアだけだが……。
そのまま指を金庫に押しつけながら、動かしていく。
ぱら、ぱら。
マルテのルーンがほどけ、消える。
まとわりつくような晩夏の風。
寄せては返す波の音。
海の真ん中にこの島があるせいだろうか。
はっきりとした濃密な潮の香り、海のささやきに囲まれている。
(……焦るな)
この金庫に何があるのか――エミリアは考え続けていた。
雪の、マルテのルーンの欠片が風に吹かれる。
『憎め』
声が聞こえた。
ささやきほどの小さな、かすれた女性の声。
(あなたは――)
エミリアはその声を聞きながら、手を止めなかった。
否、声がエミリアの指を導く。
恐ろしいとはエミリアは感じなかった。
なぜなら、それは私だから。
『私は刻んだ』
そうだ、エミリアはもう知っている。
あの島の石板で、モーガンのルーンを読み取ったではないか。
運命は刻まれた。
どうしようもなくどす黒い宿命。
悲劇は紡がれ、モーガンの意志は残り続ける。
エミリアは夢中になって指を動かす。
心がはやり、集中が加速する。
「……エミリア?」
なぜだろう。肩が重い。
ロダンがエミリアに呼びかける。
でも、エミリアは聞こえないふりをした。
今はそれどころではないのだ。
(私は呼ばれている――)
マルテのルーンが少しずつ、消え失せる。
裏切り者、モーガンのなりそこない、刻まれなかった者。
肩がずしりと感じたことほど重くなる。
でも構わない。
エミリアはこの状況を少しもおかしいとは思わなかった。
呼んでいる。
この金庫の扉の先に。
彼女が待っている。
感じるのだ。確かに、彼女がいる。
『憎め』
2回目の声は、さっきよりもはっきりと聞こえた。
わかっているとも。エミリアは同意した。
許すわけにはいかない。
『私から――を奪った――――を』
ロダンがエミリアの肩を掴み、金庫から引き剥がした。
「エミリア!!」
「……え?」
エミリアが一歩、金庫から下がる。
いつの間にか精霊カモメがエミリアの肩に乗っていた。
ふっさふさの毛を揺らしながら、精霊カモメが鳴く。
「ふきゅー!」
「お、おもっ……ええ?」
肩に感じた重さは、精霊カモメが肩に飛び乗ってきたからだった。
エミリアは目をぱちくりとさせる。
こんな精霊カモメが乗ってきて、気がつかないほど集中していたのか。
「集中のしすぎだぞ。精霊カモメが乗っても気にしないなんて」
「あ、うん……」
さっきまでの没入感が消える。
……声が聞こえた気がしたような。
わからない。気のせいだったのだろうか。
エミリアの記憶からさっきの情景がさっぱりと消えていた。
「夢……?」
それも違った。
動かした指の分、マルテのルーンは塵になっているのだから。
もう残っているのは半分程度だ。
「不思議はない。これほどのモノを目にすれば……」
砂を踏みしめる音にエミリアが振り向く。
同時にロダンがエミリアを守るように前に立った。
「来たか、伯父殿」
「誘ってきたのは、お前のほうではなかったか?」
声の主――レッサムがヤシの林から姿を見せる。
その姿は軍服に鋼鉄の兜……全身を金属製のルーン装具で守っていた。
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