42話 税務署来訪①
風がカーテンをふわりと揺らす午後。
部屋を片付け終えたタイミングで、インターホンが鳴った。
「はい……はい、すぐに伺います」
母さんが応答して、俺の方を見る。
「来たわよ。税務署の人たち」
俺は深呼吸をひとつして、リビングへ向かった。
玄関のドアを開けると、スーツ姿の男女が一人ずつ立っていた。
どちらも胸に「八王子税務署」と書かれた名札をつけ、柔らかい表情を浮かべている。
一人は、がっしりとした体格で、短髪にちらほら白髪の混じった40代くらいの男性。
もう一人は、小柄で細身、黒髪をすっきりまとめた30代くらいの女性だった。
「こんにちは。本日はご対応いただきありがとうございます。 私、八王子税務署の佐野と申します。こちらは同僚の篠原です」
「は、はい……よろしくお願いします」
二人とも思っていたよりずっと穏やかな雰囲気で、俺の緊張も少しだけほぐれた。
そのまま母と一緒にリビングへ案内し、テーブルにお茶とお菓子を出す。
佐野さんの方が話し役らしく、メモ帳を開きながら、静かに口を開いた。
「本日は、先日提出いただいた開業届の内容について、いくつか確認に伺いました。ご本人が未成年でいらっしゃるということで、形式上、親御さんにも立ち会っていただくことになっております。
あくまで確認ですので、ご安心ください」
母が少しだけ緊張したようにうなずく。
「よろしくお願いします。こういったこと、初めてで……」
「ええ、皆さんそうおっしゃいますよ。気楽に受けていただければ大丈夫です」
篠原さんが柔らかく笑い、場の空気が少し和んだ。
「では、まず確認なのですが……開業届の屋号として、“今日なに作る?”など、複数のウェブサイトを運営しているという記載がありましたね?」
「はい。5つほどあります。レシピ、翻訳、ニュース、天気予報、文章作成のサイトです」
「すごいですね。すべてご自身で運営されていると」
「はい、一応……手作業も多いですが、ソフトを作って効率化しています」
佐野さんがペンを走らせながら、母に目を向けた。
「奥様、お子さんがこういったウェブサイトを運営されていることについては、以前からご存知でしたか?」
「ええ……最初は趣味でやってるのかと思っていたんですが、だんだんアクセス数が増えてきて、広告収入が入るようになって。本人がきちんと記録もつけていたので、口座の管理や税金のことだけ私の方で見ています」
「なるほど、保護者の方がサポートされているなら安心ですね。未成年の方の事業は、どうしても親御さんとの連携が重要ですので」
「はい、それは意識しています」
母の声は落ち着いていた。俺よりもずっとしっかりして見える。
佐野さんと篠原さんは、俺たちのやり取りを静かに聞いていたが、篠原さんが穏やかに尋ねた。
「葛城さん、では、その5つのサイトを実際に確認させてもらってもいいですか?」
その言い方はあくまで柔らかく、丁寧だった。
けれど、そこにあるのは“軽い興味”ではなく、職務としての確認という、しっかりとした意志だった。
「……はい、わかりました。準備します」
一瞬だけ指先に汗が滲むのを感じながら、俺はノートPCを立ち上げた。
すでに事前にタブで開いておいた、5つのサイトがずらりと並んでいる。
まずは、レシピサイトから。
「これがレシピサイトです。ここにレシピを載せています」
画面に映ったのは、シンプルなデザインのホームページ。
料理の写真がアイキャッチとして並び、各ジャンル別にカテゴリーが分けられている。
「なるほど。見やすいですね。どのくらいの数、レシピがあるんですか?」
「今は、400品くらいですね。自分で作ったものもあれば、ユーザーさんが投稿してくれたレシピも
あって、それを整理して掲載してます」
篠原さんがメモを取りながら、小さくうなずいた。
「さっき言っていたとおり、人気レシピは出版社からオファーがあって、出版することになりました」
「えっ、書籍化まで……?」
今度は佐野さんが目を見張った。
「はい。レシピ本として、来月発売予定です。コラム部分は今、書いてるところで……」
「それはすごいですね。レシピの説明や写真も、ご自身で?」
「いいえ、“作ってみた”写真は読者さんからの投稿です」
「投稿……というと?」
「サイトに写真投稿フォームがあって、利用規約に同意してもらったうえで、トップページにサムネイルとして使わせてもらっています」
「なるほど、よくできていますね……」
篠原さんが画面をじっと見つめながら、静かに言った。
その目は“中学生がここまでやっている”という事実をどう受け止めるか、探っているようだった。
その視線に応えるように、俺はモニターのスクロールを少し下げ、料理別カテゴリや、「本日のおすすめレシピ」などの機能も見せる。
俺は深呼吸を一つして、次のタブ――天気予報 サイトへとマウスを動かした。
「こちらが、天気予報のサイトです。“かんたん天気チェッカー”っていう名前で運営しています」
画面には、簡潔にまとめられた今日と明日の天気が並び、
上には「都道府県を選んでください」と書かれたドロップダウンリストが表示されている。
佐野さんと篠原さんが、再び画面に顔を近づけた。
「こちらも、わかりやすいですね。地域を選ぶと、天気が表示されるんですか?」
「はい。たとえば、東京を選ぶと……」
俺は操作しながら、東京都の天気情報を表示した。
『本日:晴れ時々曇り 最高気温21℃/最低気温13℃ 明日:曇りのち雨』
アイコンと気温、湿度、降水確率が整然と並び、必要な情報がすぐに視覚的に把握できるようになっている。
「わあ……ちゃんと出てくるんですね。これ、すごく見やすいです」
篠原さんが思わず感嘆の声を漏らす。
「ありがとうございます。デザインはできるだけシンプルにして、必要な情報だけを絞って表示するようにしました」
「すごいですねぇ……」
佐野さんも感心したように画面を見つめたあと、こちらに目を向けて訊いてきた。
「……ところで葛城さん、こういうサイトって、どうやって作ったんですか?」
「あ、えっと……最初は全然分からなかったんですけど、中学に入ってからプログラミング教室に通って、そこで基本を覚えたんです」
「プログラミング教室?」
「はい。HTMLとか……そこでサイトの作り方を学びました。あとは自分でいじりながら少しずつ」
「なるほど、それでここまで……」
佐野さんが感心したようにうなずいた。
「いやあ、僕らの時代にそんなことやってる中学生、いなかったですよ」
「正直、趣味でここまで作れるとは……本当にすごいです」
篠原さんも、まるで近所の親戚の子を褒めるような柔らかい笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます……でも、まだまだですよ。デザインとかは苦手で、見た目はシンプルに逃げてます」
(よし、今のところ問題なさそうだ)
――どうやって天気情報を知っているかの質問がなかった。
もしその質問をされたらやばかった……
このまま次に行こう。
「……では、次に文章作成のサイトも見せてもらってよろしいですか?」
「はい。こちらです」
画面には、用途を選ぶセレクトメニューと、依頼内容を入力するテキストボックス、そして文字数の指定欄などが並んでいる。
その下には「内容確認へ進む」「作成を依頼する」ボタンが配置されていて、フォームのデザインは極力シンプルに整えてあった。
「なるほど……依頼フォーム形式なんですね」
篠原さんが興味深そうに頷く。
「はい。このフォームに内容を入力してもらって、送信されると僕の方にメール通知が届くようになってます。それを見て、条件に沿った文章を書いて、専用フォームで返信するという流れです」
「なるほど、わかりやすいですね。で……こちらのサイトは、収益も発生しているのですか?」
唐突に、佐野さんが訊ねた。
「はい、こちらは有料サービスにしていて、支払いはクレジットカード決済を使っています。ゼウス という決済代行サービスを経由しています」
「……クレジットカード。なるほど」
佐野さんが、やや意外そうにうなずく。
「支払先は、ご家族名義で?」
「はい、母の名義で登録しています。管理も一応、母に手伝ってもらっていて、毎月の明細と照らし合わせて記録をつけています」
「それなら安心ですね。保護者の方と一緒に管理されているのは、とても大事なことです」
母が少し照れくさそうに微笑むのが視界の端に見えた。
「ちなみに、どんな依頼が多いですか?」
篠原さんが画面を覗き込みながら、軽く首をかしげる。
「そうですね……スピーチ原稿とか、謝罪の手紙、あとは最近は読書感想文の依頼も多いです」
「へえ……なるほど。確かに、いざ書こうと思うと難しいものですね」
(よかった……ここまではスムーズにいってる)
話の流れも穏やかだし、2人とも“違和感を探しに来ている”というよりは、“確認事項をひとつずつ潰していく”という雰囲気だ。
それに何より――
(やっぱり、あんまりパソコンには詳しくないんだな)
少し意地悪な言い方かもしれないけど、安心感の正体はそこにあった。
フォームとかを見て「すごいですね」と言ってくれるのはありがたいけど、裏でどんな処理がされてるかまでは、やっぱり気づいていない。
(よし、このまま押し切れる)




