135話 文化祭本番
文化祭当日の朝。校門前はすでに人であふれていた。色とりどりのポスターが風に揺れ、焼きそばやポップコーンの香りが漂ってくる。
俺のクラスは何も企画をしていないから、当番もなく完全フリー。こんな立場のやつは校内でも珍しいらしく、廊下ですれ違う知り合いからは「お前、楽でいいな」と羨ましがられた。
午前は友達と周り、午後の最初の目的地は澪のクラス。
ドアの前には「Welcome♡Maid Café」の立て看板。中からは楽しげな笑い声と食器の音が聞こえる。
意を決してドアを開けた瞬間――
「いらっしゃいませ、ご主人様!」
澪が、そこにいた。
白いフリルのエプロンに黒いワンピース、胸元には赤いリボン。普段の制服姿とはまるで別人のようで、一瞬言葉が出てこない。
「……あれ、恭くん?」
「……ああ」
「来てくれたんだ。嬉しい」
澪はぱっと笑顔を見せ、席へと案内してくれる。その後ろ姿を見ると、いつもと違う姿にドキドキする。
席につくと、他のクラスメイトのメイドたちがひそひそとこちらを見ては笑っている。
「澪、彼氏さん?」
「あーもう、うるさい!」澪が照れてるようだが、声が少し上ずっているのは気のせいじゃない。
俺は曖昧に笑ってメニューを受け取り、ホットコーヒーを注文した。
「……やらなきゃダメ?」
そう、昨日から知っていたがコーヒーが運ばれてくると、「おいしくなーれ、おいしくなーれ」と言うシステムらしい。
「ルールだからな。それに聞きたいし」
「もう……はい!おいしくなーれ、おいしくなーれ!」
言った瞬間顔が真っ赤になり、戻っていってしまった。
コーヒーを飲み終えた頃、奥のテーブルから声が飛んできた。
「みおー! 彼氏くんと回ってきなよ!」
「え、でもお客さん増えるかも……」
しかし別の子が「いいじゃんいいじゃん、今はお客さん少ないし!」と背中を押す。
結局、半ば強引に澪はエプロンを外し、「ちょっと行ってくる」とクラスメイトに告げた。
「……ごめん、なんか変な流れになっちゃって」
「いや、別に」
廊下に出ると、外の喧騒が一層大きく聞こえてくる。
「せっかくだから、校内一周しよ。模擬店も見たいし」
「了解」
こうして俺たちは、文化祭の人混みの中へと歩き出した。
校舎を出ると、中庭には模擬店がずらりと並んでいた。
焼きそば、フランクフルト、チョコバナナ、かき氷――色とりどりの、のぼりが揺れている。
澪はまだメイド服のまま。
通りすがる男子たちがちらちらと視線を送ってくる。
本人は気にしていないのか、「あ、焼きそば食べたい!」と言ったので一緒に模擬店へ向かった。
追いかけて、注文する
「2つください」
「いや、1つでいいよ。店員さん!やっぱ1つで!!」
「あ、うん。他にも食べるしな」
「うん、色々食べたいし、はい半分こしよ」
紙皿に盛られた熱々の焼きそばを受け取ると、二人で端から箸を伸ばす。
「ソースの匂いからしておいしそう」
「熱っ……でも、うまい!」
はふはふと食べる澪の頬がほんのり赤くなっていて、思わず視線を逸らした。
次はチョコバナナの屋台。
「これも半分こね」
「いや、これ半分にするの難しくない?」
「……じゃあ、交互に食べよ」
そう言って澪がかじったチョコバナナを差し出してくる。周りのざわめきが急に遠のいたように感じて、妙に緊張しながら一口。
「……甘っ」
「でしょ?」と笑う澪の目が、どこか楽しそうだ。
人混みを抜けると、体育館横のスペースで輪投げのコーナーを見つけた。景品は駄菓子やキーホルダー、そして一番奥には中型のクマのぬいぐるみ。
「やってみよっかな」
澪は参加券を受け取り、軽く屈伸してから輪を投げた。
一投目、二投目は軽く外れるが、最後の一投――
くるりと回った輪が見事にぬいぐるみの台座にかかる。
「やった!」
周囲の子どもたちから小さな拍手が起こり、係の生徒がぬいぐるみを手渡す。
「はい、これ」
「……俺に?」
「うん。色々手伝ってくれたお礼」
澪はそう言って笑う。メイド服姿でぬいぐるみを抱えた彼女の笑顔は、ポスターにでもできそうなくらい眩しかった。
「……ありがとな」
「どういたしまして。じゃ、次はどこ行く?」
澪はぬいぐるみを俺に押しつけ、そのまま歩き出す。
焼きそばの香りと、チョコバナナの甘い後味が、まだ口の中に残っていた。
校内を一通り回ったあと、最後は中庭のステージ前にやってきた。今は軽音部のライブの真っ最中で、観客の生徒たちが手を振って盛り上がっている。
俺と澪も人混みの後ろに立ち、のんびりと曲を聴いた。ベースの低音が胸に響く。
「こういうの、久しぶりだなぁ」
「ライブ?」
「うん。中学のときに一回だけ行ったけど、そのときより近いし迫力ある」
澪は手拍子をしながら、嬉しそうに笑った。
曲が終わると、ステージ上の司会が次の出し物の準備を告げる。俺たちは人混みから離れ、屋上へ続く階段を上った。文化祭期間中だけ開放されている場所だ。
屋上に出ると、夕方の空が広がっていた。西日が校舎を黄金色に染め、生温い風が吹き抜ける。
「うわ、きれい……」
柵にもたれながら澪がつぶやく。俺も並んで空を見た。グラウンドではサッカー部が模擬試合をしていて、歓声が小さく聞こえる。
「今日はありがとね」
「ん?」
「朝から接客してたから、文化祭全然回れないと思ってたけど……恭一が来てくれたから、めっちゃ楽しかった」
そう言って、澪は少し照れくさそうに笑った。
「俺も楽しかったよ。澪のメイド服、似合ってたし」
「ありがと……」
澪はわざとらしくそっぽを向くが、耳まで赤くなっているのが見えた。
しばらく沈黙。夕陽の色が少しずつ深くなる。
「……あ、そろそろ戻らないと。片づけ手伝わなきゃ」
「じゃあ俺も行くよ」
「え、いいの?」
「澪を抜けさせてもらったし」
「あー別にいいのに」
ちょっと嬉しそうに笑う。
そのまま階段を降り教室に行く。
澪のクラスに戻ると、店内は閉店モード。メイド服のまま後片づけをする同級生たちが、「おかえりー」「デートどうだった?」とからかってくる。
「もうっ!」と澪は即座に軽く怒っていたが、その声はほんの少し弾んでいた。
机を運んだり、看板を片づけたり、作業はあっという間に終わった。外に出ると、もう空は群青色で、校庭の提灯がぽつぽつと灯っている。
片づけの最中、澪の友達の一人――昨日も教室で見かけた、名前はまだ知らない女子と柴田が、いつの間にか並んで段ボールを畳んでいた。
「それ……まとめて潰すと早いよ」
「お、なるほど。じゃあ俺がこっち持つわ」
そんなやり取りのあと、二人は呼吸を合わせるように手を動かし、段ボールの山をどんどん片づけていく。
まるで最初からペアを組んでいたみたいに、自然に動きが噛み合っていた。
(……なんだよ、あの妙な馴染み方)
俺は少し首をかしげながら、自分の作業に戻った。
「……今日は、ほんとにありがと」
「こっちこそ。文化祭、思ったより楽しかったな」
「でしょ?」
澪がにっこり笑う。その顔を見て、俺はなんとなく、来年もまた一緒に回れたらいいな、なんて思ってしまった。




