119話
英会話教室についてネットで調べてみたら、真っ先に出てきたのは――駅前留学。
『いっぱい聞けて、いっぱいしゃべれる』
ウサギが踊りながら歌うキャッチーなCMを、何度テレビで見たことか。あれは確かに人気だった。
明るくて、気軽で、なんだかお洒落な感じもする。
でも、たしかこの会社、数年後に経営破綻するんだよな。
つぶれるってことは問題があるってことだ。
せっかく通うなら、もっと本格的で、実力のつくところにしたい。
ということで、俺たちが選んだのは、外国人講師による少人数制の英会話教室。派手さはないが、口コミも良いし、堅実に学べそうなところだ。
それと、澪にバイトを1日減らしてもらった。
澪は少し意外そうだったが、最終的には納得してくれた。
これ以上いろいろと増えるのは大変だろう。
そのバイトを減らした木曜日、俺と澪は教室のある八王子のビルに到着した。
「ちょっと緊張するね……」
「だな。でもまあ、初心者向けって書いてあったしなんとかなるかな」
エレベーターで4階へ上がると、英会話教室の入り口があった。ドアを開けると、受付の女性が笑顔で迎えてくれる。
「こんにちは! 本日体験レッスンですね?」
「はい。予約していた葛城です。あと、こちらも」
「し、白石です」
「ありがとうございます。白石さんはビギナークラスになりますね。葛城さんはプリ・インターミディエイトクラスです」
”pre”だから中級手前ってことか。
「あ、そうなんですね」
確かに俺と澪とでは英語力に開きがある。
てっきり一緒のクラスだと思っていたから残念だ。
「じゃ、また後でね」
澪はピースをして、もう一方の教室へと軽快に歩いて行った。なんか、頼もしくなったな。
俺のクラスは、生徒が3人。年配の男性と、主婦っぽい女性、そして俺。講師は金髪の外国人男性。名前は「ダニエル」だった。
「Nice to meet you, everyone! I'm Daniel. Let's have fun today.」
(うお、本物の発音だ……)
最初は簡単な自己紹介や、日常の話題から始まった。
けれど、いざ話そうとすると、思っていることがうまく言葉にならない。
頭では分かっているのに、口に出すと詰まる――その繰り返しだった。
「I… ate bread…?」
「Perfect! Good job!」
たどたどしい英語だったが、 講師のダニエルはにっこり笑って褒めてくれる。
普段使わない脳を使って大変だったが、不思議と苦じゃなかった。
クラスの雰囲気は和やかで、間違えても笑って流せる空気がある。
「ああ、英語ってこうやって体で覚えていくんだな」って、少し実感が湧いた。
思えば、読み書きはそこそこできても、会話は別物だ。
頭の中で日本語を英語に変換して、文を組み立てて、発音して……その一連の流れが思っていた以上に難しい。
隣の主婦っぽい人は慣れているのか、スラスラと話していて、ちょっと羨ましかった。
でも、その“できなさ”が、逆に楽しかった。
久々に、何かをゼロから頑張ろうと思えた時間だった。
レッスンが終わり、教室を出ると、廊下のベンチに澪が先に座っていた。俺を見ると、ふわっと笑った。
「どうだった?」
「むずい。話すってこんなに難しいんだなって思ったよ」
「私も。だけど、先生が優しかったし、楽しかった!」
「じゃあ、続けられそう?」
「うん。続けたいなって思った」
「俺も。……頑張るか、一緒に」
「うん!」
2人で階段を降りながら、また少しだけ未来に近づいた気がした。
教室の帰り、近くのカフェでひと休みした。
ソファ席に並んで座って、アイスカフェオレをちゅーっと飲んだ澪が言う。
「つかれた~!」
「だよな」
「“I’m Mio”の方が自然だって言われちゃって、最初ちょっと焦ったよ……」
「俺も、“I have reservation”って言ったら“a”が抜けてるって、すぐ直された」
「英語って、ちょっとしたことで意味が変わっちゃうよね」
「うん。でも、バイトでも外国のお客さん来るし、ちょっとは話せるようになりたい」
そう話していたとき、ふと感じた。
(でも、これだけで本当に喋れるようになるのか?)
英会話のレッスンは週1。正直、それだけじゃ足りない気がしていた。
だから俺は――独学でも勉強する方法を探すようになった。
* * *
夜、自宅でヘッドホンをつけてDVDを再生する。
タイトルは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
不朽の名作ってやつだ。
2006年には、英語を日常で聞く手段はかなり限られていた。
YouTubeはまだ発展途上、Netflixも存在しない。
洋画を観るには、GEOかTSUTAYAでDVDを借りるのが定番だった。
「よし、英語音声+英語字幕で勉強しよう」
そう思って、名作映画をいくつかレンタルした。
――『ターミネーター』『マトリックス』『ミッション・インポッシブル』。
……でも、いざ観てみると気づく。
「字幕が、セリフと全然違う」
音声が英語でも、字幕が意訳でズレてるんだ。
これじゃ、勉強にならない。
会話のテンポにもついていけないし、何より混乱する。
そこで知ったのが「クローズド・キャプション(CC)」の存在だった。
CC字幕は音声と完全一致していて、効果音や笑い声まで表記されている。
英語学習には最適……だけど、日本版のDVDにはほとんど入っていない。
だから、新宿の輸入DVDショップに行き、北米版の映画を10本ほど購入した。
もちろん、CC付きのやつだけ。
英語音声に、完全一致の英語字幕。これこれ、こういうのが欲しかった。
聞き取れなかった単語は巻き戻して確認。
意味はネットで調べながら、少しずつ覚えていく。
ただ、つまらない作品だと途中で寝る。
集中力を保てるかは、映画の面白さにかかっていた。
……とにかく、思った。
(この時代に英語を勉強してた人たち、すごすぎる)
書き取りや読解はそこそこできる。
けど、会話になると……全然ダメだ。
一文考えてる間に、相手のセリフが3つ終わってる。
澪と一緒に学ぶのは、たしかに楽しい。
でも「現場で使える英語力」を身につけるには、間に合わない気がしていた。
これからも学習を続けていくが、俺は今すぐ英語力が欲しい。
(……俺じゃ、到達できないかもしれない)
英語の壁を越えるには、人間の努力だけじゃ限界がある。
じゃあ――いっそ、機械でやればいいんじゃないか?




