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キミノコエ  作者: れんティ
第二章
18/21

夏の終わり、最低気温は絶対零度

 「先輩これ、お弁当です」

濃緑の巾着を差し出し、明るい茶色のカーテンの向こう、少し残念そうな目と視線を合わせる。

 一瞬の後、後悔が押し寄せた。その目は、どこか諦めたような、全て悟ったような、捨てられた犬のように見えたから。

「……すいません、あの、文化祭の話し合いがあるので、今日はこれで。また、放課後取りに行きますから」

この言い訳も、何度目だろう。玲華が転校して来てから大体一週間前後のはずだから、湊と昼食を一緒に食べなくなって一週間か。長かったような、短かったような。

 湊に背を向け、屋上の敷居を跨ぐ。

 この一週間という時間は、気持ちの整理を付けるにはあまりに短く、けれど湊の信頼を失うには十分すぎるほどに長かった。

 蝉だけが支配する屋上から、校内の喧騒へと下りていく最中、そんな事を思った。


 湊と鉢合わせるのを避けるように、帰りのホームルームの後そそくさと教室を出る。弁当は、後で家にでも取りに行けばいいだろう。

 バス停で並ぶ列の最後尾について、その旨送信する。詰めていた息を吐き出したところで、背後から声が届いた。

「あら、奇遇ね」

予期せぬ挨拶に、肩が跳ねる。その過剰な反応に苦笑いを零しながら、携帯をしまい、振り向いた。

「……えっと、ヒュウミさんでしたっけ」

耳で聞いたままの音を、できるだけ再現して確認すれば、待っていたのは曖昧な笑み。

「よく間違われるけど、『ヒュウミ』じゃなくて『ヒウミ』よ。氷に海と書くの」

そう指摘してから、何かを考えるように小首をかしげる。一拍の後、表情が晴れた。

「そういえば、きちんと名乗ってなかったわね。氷海玲華よ。三年五組」

唐突な自己紹介に面食らい、数秒ぽかんとする。

「あ、えと、その」

硬直から立ち直った後も困惑は消えず、

「ゆっくりでいいわよ」

と心配される始末。顔が熱くなっていくのを感じながら、口を開く。

「潮村桜花と言います。さんずいに朝の方の潮です」

戸惑いの名残か、玲華の自己紹介に引っ張られるような内容になる。けれど、玲華は特に気にした風もなく、手元の携帯に一度触れた。

 視線が合う。

 その目には、凍ったような固さがあった。いつか、どこかで見たような光。

 だが、それについて思い出す前に、

「バス一本分、時間をもらえる?」

玲華が話を始める。

 その提案を却下するだけの理由は持っていない。あえて言うなら、気まずいくらいだろうか。仕方なく、頷く。

「あ、はい。だいじょぶです」

二分遅れで滑り込んできたバスに詰め込まれていく人の波から離れ、グラウンドと歩道を隔てるフェンスまで下がる。

 そこに背を預けて立つ玲華と、向かい合う。

「悪いわね」

「いえ、急ぐ理由もありませんから」

納得したように笑った玲華は、すぐにその笑みを引っ込めて、桜花を射抜く。後ずさりそうな足を、懸命に抑えた。

「三つほど、聞かせてもらいたいのだけど」

普段よりワントーン下がった声。思わず、生唾を飲み込む。

「湊とは、どんな関係なのかしら」

「……な、仲いい先輩です。宿題とか、面倒見てもらってるので」

つっかえたものの、何とか言い切る。

 だが、玲華は真剣な雰囲気を変えない。

「お弁当まで作るほど?」

「それは、色々お世話になったお礼に、あたしがほとんど無理やり、です。湊先輩、お昼ご飯、パン一個だったりするので……」

『心配になって』の一言は呑み込む。何か一つでも回答を間違えれば、即座に凍りつかされそうな、得体の知れない迫力が、今の玲華にはあった。先程声を掛けてきたときとは別人のようだ。

「……そう。それじゃあ、二つ目」

ほっと、悟られぬように息を吐く。

「湊の能力、知ってるのよね」

「あ、はい。けど、なんでかあたしのは『聴こえ』ないらしくて」

これなら、と幾分か気楽に答える。だが、予想に反して玲華の眉根にしわが寄る。

「聞いたわ。私の『声』も『聴き』取りにくいみたいだから、個人差の問題みたいね。完璧に『聴こえ』ないのは、初めてみたいだけど」

「……そうみたいですね。昇さん? も不思議そうでした」

「あら、叔父様にあったの」

「あ、はい。前に湊先輩家で」

何も考えず口にしてから、しまった、と冷や汗をかく。顔から血の気が引いた。

「……湊の家を、知ってるの」

「あー……えっと……は、はい。凪……十文字副会長に、調べてもらって」

殺される。そう、結構真面目に考えた。それほどまでに、視線が桜花の体を刺し貫く。氷点下どころか絶対零度だ。

 けれど、桜花が完全に凍りつく前に、玲華の視線は和らいだ。

「後で、住所を教えて」

「え、あ、わ、わかりました」

ごめんなさい、そう内心で湊に謝っておいた。この場に湊がいたら、きっと憮然とした顔で『プライバシー保護法について六法全書で調べてみろ』などと言うのだろう。そう思うと、笑えてきた。

 けれど、

「何が面白いのかしら」

その妄想も、前方から飛んできた氷の塊が叩き壊す。

「い、いえ、何でもないです」

「まあいいわ。最後に三つ目」

再び、緊張が桜花を包む。

「……湊の事を、どう思っているの?」

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