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後日談 終

 ドラッグストアで絆創膏を購入してから、俺は人気の少ない公園へと向かう。

 ついさっき、10年ぶりに再会した夏子さんはは未来むすめは、その公園内のベンチに並んで腰かけている。


 会えなかった日々を取り戻すかのように二人は笑顔で会話をして……という雰囲気は一切なく、未来は憮然とした表情で、夏子さんは居心地が悪そうに無言でいた。


「お待たせ。手、見せて」


 俺が言うと、未来はすりむいてケガをした手のひらを見せてきた。

 公園の水道で洗ったのか、傷の周辺は綺麗にしていたが、まだ傷口からは血が滲んでおり、見ていて痛々しい。

 俺は絆創膏を取り出して、未来の傷口に貼り付けようとしたが、


「待って、暁。……お母さんがやって」


 と、彼女は夏子さんのことを一瞥もせずにそう言った。

 彼女は苦笑を浮かべつつ、俺から絆創膏を受取る。

 そして、未来の両手に、優しい手つきで絆創膏を張り付けた。

 それから、未来は突然夏子さんの手を握りしめた。


「なんで逃げたの?」


 責めるような声。

 夏子さんは俯いて、「分かるでしょ」と呟く。


「分からないよ」


 詰め寄る未来の言葉に、夏子さんは低く呻いてから、


「……あなたに合わせる顔がなかったの」


 と、絞り出すように、震えた声で言う。

 俺も、夏子さんの考えに同意する。

 様々な要因が重なった結果、未遂に終わったとはいえ、実の娘に最悪の選択を選ばせてしまった母親が、どんな顔をして再会すればよいというのだろうか?


「私は、嬉しかったよ」


「……え?」


 未来の言葉に、ポカンとした表情で呟いた夏子さん。

 俺の口からも、「はぁ?」と間抜けな声が漏れていた。


 しかし、そんな俺たちのことは気にせずに、未来は続けて言う。


「10年振りに見たはずの私のこと、直ぐに分かったんでしょ? 化粧もして、雰囲気も変わって、距離も離れてたのに。それでも、たった一目見ただけで『自分の娘が会いに来たんだ』って、そう思ってくれたんでしょ? ……なら、お母さんは私に会えて、嬉しくなかったの?」


 未来は言い淀むことなく、真っ直ぐに夏子さんに向かって言う。

 

「……嬉しかったわ。でもそれ以上に、あなたを傷つけてしまうのが怖いの」


 夏子さんは、堰を切ったように言葉を吐き出す。


「私は、母親として許されないことをした。普通に生活していても、いつもあなたのことを思い出す。どうして、あなたの味方をせずに、ただ自分を慰めてくれるだけの人の言いなりになってしまったのか。どうして大好きな娘を追い詰めて、酷い言葉をぶつけてしまったのか。どうして、取り返しのつかないことになる前に、気付いてあげられなかったのか」


 悲痛な面持ちで、彼女は未来を真っ直ぐに見て呟く。


「私は、あなたの傍にいない方が良いのよ。私がいれば、あなたに辛い記憶を思い出させてしまう。これ以上あなたに負担をかけてしまうのは、嫌よ……」


 その言葉を受け止めた未来は、無表情を浮かべて言う。


「辛い記憶を思い出して傷つくのは、私じゃない。……お母さんのほうでしょ?」


 未来の言葉に、夏子さんは目を見開いた。


「私を見たら、きっとお母さんは思い出す。娘のせいで人間関係の閉ざされた田舎町に引っ越しをして、周囲に馴染めず孤立して、悪い男に唆された最悪の過去を。それから、私の隣にいる暁を見て思うの。どうして未来には手を差し伸べてくれる人がいたのに、私の夫は何も気づいてくれなかったの? って」


「ち、違……」


 戸惑った様子の夏子さんに、未来ははっきりと言う。


「違わないでしょ?」


 未来の言葉に、夏子さんは何も答えられなかった。

 そんな彼女に、未来は苦しそうな表情を浮かべる。


「別に、責めてるわけじゃないわ。私が言ったことが図星だったとしても。お母さんが言ったこと……それも、本心なんでしょ? 私を傷つけたことを後悔する気持ちと、誰にも手を差し伸べてもらえなかった過去を思い出したくない。その二つの気持ちが両立してもおかしくないって、私は思う」


 未来はそれから、声を振り絞るように言う。


「だって、私も……。お母さんにされたことを許せないって気持ちと、私の転校がきっかけでお母さんの人生をめちゃくちゃにしたことを謝りたいって二つの気持ちがあるから」


 申し訳なさそうに未来は言うと、夏子さんは驚いたような表情を浮かべた。


「二人で田舎町に引っ越しをして、人間関係に悩んで、お父さんに相談できずにいた私たちは……お互いに支え合うべきだったのに、それが出来なかった。立場は同じだったはずなのに振り返ってみれば結果は正反対。私は生涯一緒にいると誓った暁と出会えて、お母さんはお父さんと離婚して、たった一人の孤独な生活を送ることになった」


 未来の心中には、俺には想像もできない葛藤があるのだろう。


「ざまぁみろ、私に酷いことをした罰が当たったんだ。……そんな気持ちが全くなかったって言うと、嘘になる。でも今はお母さんだけを悪者にして、10年前のことをおしまいになんて出来ないわ。あの頃の私は、自分のことで精一杯で、お母さんのことだけじゃなく、他人のことを考える余裕がなかったの。……ごめんなさい」


 ただ、未来が夏子さんに対して複雑な気持ちを抱きつつも、謝りたいと思っているのは間違いないのだろう。

 未来は謝罪の言葉と共に、頭を下げる。


「こうしてお母さんに会って思い出したのは、あの町で最悪な日々を過ごしたことだけじゃないの。優しかったお母さんの笑顔も、私が悪いことをして叱られたことも、落ち込んだときに一緒に近所のレストランに連れていってくれたことも――良い思い出をたくさん思い出したわ」


 未来は遠い昔を懐かしむ様子で、夏子さんに言った。


「お母さんが私にしたことを全部他人のせいにして、なんの反省もせずに男をとっかえひっかえしてたら、さすがの私もぶちぎれて、気が済むまでひっぱたいてやろうと思っていたけど。会えなかった10年間で私にしたことを後悔し続けていたのなら。……これから先もずっと後悔し続けて欲しい、なんて思わないわ」


「あなたを不幸にしたのに、私を許せるの? そんなわけないじゃない」


 縋るように、夏子さんは言った。

 未来はその言葉を聞いて「あのね……」と前置きをしてから、


「いつまでも、私を不幸な娘だと思わないで」


 と、堂々と言い放った。


「私は大好きなひとと結婚する。それから、お父さんとお母さんには出来なかった幸せな家庭を築いて、いつまでも笑顔で幸せに過ごすから――」


 純粋な笑みを浮かべて、未来は言う。


「そう考えたら、一人だけ不幸な母親ではいるのがバカバカしくなるでしょ?」


 夏子さんはその言葉に、堪えきれず涙を流していた。


「いつの間にか……大人になっちゃったね」


 そう言って、夏子さんは未来を強く抱き締めた。


「そうだよ、お母さんが私から目を逸らし続けた間に、私は大人になったんだから。これからは、ちゃんと見守っててよ」


 そう言ってから、未来は母親の身体を抱き返す。

 未来の目尻から、一筋の涙が零れ落ちるのを、俺は見逃さなかった。


 ――それからしばらくして、二人は落ち着きを取り戻した。

 お互いに照れ臭そうに笑いあう。

 

 その後に、夏子さんは俺に向かって頭を下げた。


「黒野暁さん。あなたにも、たくさん迷惑をかけてしまって、本当に……ごめんなさい」


 つい今しがた、10年ぶりに再会した夏子さんはは未来むすめが、完全に和解をしたわけではなくとも、互いの幸せを願うまでに関係を修復したのは分かっている。


「俺は、未来と結婚します。……でも、あなたのことをお義母さんと呼ぶ気にはなれません」


 それでも俺には、二人が良いなら俺も過去のことは水に流す、となるのは難しかった。

 俺の言葉に、しょうがないと言った様子でため息を吐く未来と、諦観を浮かべつつ、俺の言葉を受け止めようとする夏子さん。


「でも、未来の言葉を聞いて涙を流して、微笑みを向けるあなたを見て……きっといつかお義母さんと呼べるようになれると、そう思いました。だからそれまで、もう少しだけ時間を下さい」


 俺はそう言って、夏子さんに向かって頭を下げた。

 未来が過去を乗り越え前を向いているのだ。

 それならば、彼女にとって自慢の夫でいるためにも……俺も、前を向きたいと思った。


 俺の言葉を聞いた夏子さんは、目を丸くしてから、


「娘を、よろしくお願いします」


 そう言って再び、深く頭を下げた。

 俺と夏子さんの様子を見ていた未来は、満足そうに微笑んだ。


「今日は急に来てごめんね、お母さん。仕事、今から戻っても大丈夫なのかしら?」


 未来の言葉に、「ええ」と首肯してから、


「お店の子に少し外す、って伝えているから、大丈夫よ。気にしないで」


 夏子さんは気にした様子もなく答えた。

「それなら良かった」と未来は応えてから、


「それじゃあ、私たちはもう帰るわね」


 と、あっさりとした様子で言った。

 もう少し、親子水入らずで話しても良いのではないだろうか、と思い口にしようとしたところ、


「あのね、お母さん。貸してくれたハンカチ、すごく汚しちゃったから。また今度、ちゃんと綺麗にして返しに来るね」


 と、汚れてくしゃくしゃになったハンカチを手にして、未来は言った。

 その言葉の意味が分からないほど、俺も夏子さんも鈍くはなかった。


「うん。待ってるわ」


 照れ臭そうに微笑んだ夏子さんの言葉を聞いてから、俺と未来はその場を立ち去るのだった。



 ホテルへと戻る道を歩く未来は、心なしか足取りが軽かった。

良かったね、と言いたいところだったが、俺自身がまだ吹っ切れていないので、そう言うことも出来なかった。


無言のまま歩いてしばらくした後、不意に未来が俺に向かって言った。


「お母さんとのことも一段落したことだし。これで、10年前からのわだかまりは残すところあと一つね」


「ん?」


 母親との会話以外に、どんなわだかまりが残っているのだろうか?

 ぴんと来ていなかったのだが、それが表情に出ていたのだろう。

 未来はどうしてか不機嫌になって、俺に向かって言う。


「プロポーズをしてもらえた嬉しさでそれどころじゃなかったんだけど……。10年前に言ってくれなかった肝心の言葉。暁はいまだに、私に言ってないわよ?」


「10年前に言ってくれなかった言葉……」


 俺はその言葉に、すぐにピンときた。

 二人で屋上から飛び下りた、すぐ後に。

 そのときの俺の回答は、「10年早い」だったはずだ。


「ん、あれ? まだ言ってなかったんだっけ?」


 俺の言葉に、未来はこめかみに青筋を浮かびあがる。

 口元にいびつな笑みを浮かべながら無言で頷いた。


 思い返してみれば、その言葉はかつての俺のトラウマでもある。

 だから、無意識のうちにその言葉を伝えるのを、避けていたのかもしれない。


 恨めしそうに睨めつけてきている未来を見ながら、思い返す。

 可愛いとか、大好きとかはプロポーズをしてからこれまでに死ぬほど言ったけど。


 肝心のその言葉をハッキリと伝えたことがなかったんだなと、今さらになって認識した。


「早く言いなさいよ」


 未来は声を固くして急かしてくる。


「いやいや、こういうのはもっと、ムードとか大事にした方が良いだろ?」


 途端に恥ずかしくなった俺は、早口で言い訳をする。

 しかし、未来は無反応。

 俺がその言葉を伝えるまでは、きっとずっとこのままなのだろう。


 彼女の頑固さを知っている俺は、観念してから覚悟を決める。

 それから、確かにずっと想い続けていたのに、これまで伝えてこなかった言葉を、彼女に向かって告げる。



「愛してる」



 俺の言葉に、未来は頬を朱に染めながら無言でにやにやと笑みを浮かべている。


「……何か言ってくれない?」


 俺のお願いに、未来は可愛らしく、意地悪く言う。


「知ってた」


 それから、


「これからも、よろしく」


 未来はそう言って、俺のとなりに並び、手を繋いできた。

 そして俺の手を引っ張り、前を歩く。


「こちらこそ、よろしく」


 繋いだ手を離さないようにしっかりと握りしめてから、俺は彼女の隣に並び、一緒に歩き始めた。

後日談は今回でお終いです、最後までお付き合いいただきありがとうございました!

本編とは全然違ったと思うのですが、いかがだったでしょうか(*´σー`)エヘヘ?

楽しんでもらえてたら、とっても嬉しいです(´∀`*)ウフフ


ここまで読んで良かったと思った方は、↓の☆☆☆☆☆を★★★★★にして応援していただくととても嬉しいです(*´▽`*)


そして、本日11月1日からTO文庫さんより発売する、WEB版に加筆修正を加えた書籍版「もう二度と繰り返さないように。もう一度、君と死ぬ。」を三連休のお供にご購入してもらえるとさらに嬉しいです(*´ω`*)


最期までお付き合いありがとうございました<(_ _)>

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