後日談⑤
今宵は俺と未来を自宅へと招き入れてくれた。
玄関では今宵の夫である櫻雄さんが笑顔で待っていたが、一言挨拶が済むと、部屋から聞こえる泣き声に反応し、
「僕のことは気にしないで、二人ともゆっくりしていってね! ……暁くん、話が終わった後スマブラしようね!」
と言い残し、直ぐに娘の元へと駆け付けていった。
「スマブラ……? 仲良いのね」
「うん、結構話が合って」
未来の言葉に答えると、「雄さん、初めて会った時から暁のこと、何か気に入ってたよね」と今宵が言う。
それから、
「バタバタしててごめんね」
と苦笑を浮かべて、今宵は室内用のスリッパを用意してくれた。
「こちらこそ、大変な時期に時間を作ってもらって申し訳ない」
俺はそう答えて、未来と一緒に家に上がらせてもらった。
リビングに通されテーブルに掛けると、今宵が温かいお茶を出してくれた。
「あんまり外にも出かけられないし、遊びに来てもらえて私は嬉しいよ」
穏やかな表情で今宵は言ってから、向かいに座る。
それから、義両親から頂いたというお高そうなお菓子を勧めてくれた。
そのお菓子を口にして、軽く世間話をする。
途中、未来と今宵が話をする場面があったが、やはりどこかぎこちない。
二人とも、少し緊張をしているようだった。
世間話がひと段落したタイミングで、今宵が切り出した。
「その……二人とも。改めて、ご婚約おめでとうございます」
今宵の言葉に、「ありがとう」と俺は答え、「え、ええ」と未来は少し困ったように言う。
「それで、今日来てもらったのは……。私が、那月さんに謝りたいからでして」
と、今宵は背筋を伸ばしてから、未来を真っ直ぐに見てから言う。
「高校生の時、あなたを無視したり、陰口を言ってイジメてしまって、ごめんなさい。幼稚なことをしてあなたを傷つけてしまったこと、反省をしています」
頭を下げた今宵に、未来は問いかける。
「一つ、意地悪なことを聞かせて。……櫻さんがいないタイミングで謝罪をしたのは、自分がいじめっ子だったことを彼に隠したいから?」
わざわざ櫻さんがいる時間帯に、俺たちを自宅に招いたのだ。
未来の質問は、言葉の通りただの意地悪なのだろう。
しかし今宵は、未来に対して誤解を与えてしまった、と焦ったのだろう。
顔を上げて、口を開こうとして――。
「今宵があなたに酷いことをしていたのは、聞いてます。謝罪の機会を設けてくれてありがとうございます、那月未来さん」
答えたのは、今宵ではなかった。
途中から、話を聞いていたのであろう櫻さんが、娘を抱えながらリビングに現れた。
「良かった。もしこの期に及んで櫻さんには隠そうとしているんだったら、簡単には許せないと思ったから」
悪戯っぽく、未来は微笑んで言った。
その表情を見て、今宵は安心した様子だった。
未来は席を立って櫻さんのもとへ歩き、抱えられた陽咲ちゃんの顔を覗き込んだ。
「可愛い……」と呟いてから、陽咲ちゃんの手の平を、自らの指で触れる。
未来の指は、陽咲ちゃんの手でギュッと握りしめられた。
「良かったら、抱いてあげてください」
櫻さんの言葉に頷く未来。
赤ん坊の抱き方を教わり、恐る恐る未来は陽咲ちゃんを抱きかかえた。
お行儀よく抱かれる陽咲ちゃんの顔を眺めて、思わず未来に笑顔がこぼれる。
「ねえ、今宵さん。過去のことを水に流して許すのには、一つ条件があるわ」
慈しむような表情を陽咲ちゃんに向けたまま、未来は言った。
「……条件、って?」
身構える今宵に視線を向けて、未来は言う。
「もしこの子が大きくなって、誰かをいじめたら、見て見ぬふりをしないでしかってあげて。もしこの子が誰かにいじめられたら、話を聞いて味方になってあげて。それから……あなた自身が大変な時は、櫻さんでも、大きくなった陽咲ちゃんでも、暁でも――私でも良いから、ちゃんと相談して。自分のことも、周りの人と同じくらい大切にしてほしいの」
未来は、かつて自分をイジメていた相手に向かって、優しく微笑んだ。
――それは、10年前自らの命を投げ出そうとしていた彼女からは、考えられない言葉だった。
「うん、わかった。その条件、守るよ。――絶対に」
そう言った今宵の目尻からは、一筋の涙が零れていた。
それを見た櫻さんは、今宵に近づいて彼女の涙を拭った。
「未来さんも、何かあれば相談して。暁の愚痴なら、いくらでも付き合うから」
屈託のない笑みを浮かべて、今宵は未来に言った。
彼女がこんな表情を未来にうかべることになるとは、考えもしなかった。
「本当? この男、良いところはもちろんあるんだけど、ダメなところはそれ以上にたくさんあるから、きっとすぐに連絡するわ!」
今宵の言葉に、未来は大喜びの表情を浮かべる。
「小さい頃の恥ずかしい話とか、今では考えられないような失敗談とか! そういう話も聞かせてもらえると、とても嬉しいわ!」
「幼馴染だからね、そういう暁の黒歴史は、たくさんあるから、楽しみにしてて」
今宵もノリノリだった。
「あんまりそういうことを言いふらすのは、良くないと思うぞ……」
俺がか細い声で抗議しても、二人は無視をする。
肩を落とす俺に、
「……スマブラしよっか、暁君」
と、櫻さんは優しく声をかけてくれるのだった。
☆
櫻家からお暇し、車で駅まで送っていくという櫻さんからの申し出を丁重に断りつつ、俺と未来は並んで歩いていた。
今夜は市内の旅館に泊まり、明日は俺の実家に行く予定だ。
「今日は、今宵さんと話せて良かったわ」
未来と今宵の二人が笑顔で言葉を交わす光景が見られるなんて思ってもいなかった俺は、内心感動していた。
「陽咲ちゃんも可愛かったな」
「そうね」
それから未来は遠い目をして、
「私も、いつかお母さんになるのかしら」
と呟いた。
それは、将来を楽しみにしている様子ではなく、過去を憂いているように見えた。
その表情を見て、俺は立ち止る。
未来はすぐに気づいたはずだが、歩みを止めない。
先を急ごうとする彼女の背に、俺は声をかける。
「……話したいことがあるんだろ?」
俺の言葉に、未来は歩みを止めてゆっくりと振り返った。
伊織に婚約の報告をした日のように、俺の話を遮ることもなく、誤魔化すこともなく。
未来は頷いてから、口を開いた。
「お母さんに会いに行きたい。暁と、一緒に」





