18,後悔してももう遅い
3度目の、高3の夏休みが明けた。
日焼けをして登校した俺を見るクラスメイトの視線は、2度目の時と同じように哀れみを孕んでいた。
それから、2度目と同じ内容の夏休み明けのテストを受け、
「お前のやっていることはあまりにも自分勝手だ! 大学受験は団体戦。なのに、お前は補習にも出ずに、一人で勉強。その結果、学年2位。お前は良くても、周囲はどう思う? 補習なんて来るんじゃなかったと、自分の夏休みの成果を疑問に思う人間も出てくる。自信を無くした奴らに対して、責任をとれるのかお前は!?」
結局、担任から叱責を受けることとなる俺。
成績が下がれば怒鳴られ、上がればさらに怒られる。
予定調和のイベントに、苛立ちが募る。
何を言われても無言で対応する俺に、「調子に乗るなよ!」と言った後、職員室を出るように担任教師が指示をした。
俺は会釈の一つもしないまま、言われたとおりに廊下に出る。
「待て、玄野」
それから、すぐに背後から声を掛けられる。
振り返ると、そこには熱田先生がいた。
「なんですか?」
「少し話がある。生徒指導室に来い」
先ほど、説教を受けていた態度が悪かったから、こうして声を掛けられているのだろうか。
面倒だな、と思いつつも、おとなしく従う。
生徒指導室に入り、椅子に腰かける。
目前の熱田先生が目を細め、俺に向かって言う。
「お前、夏休み中バイトしてただろ?」
その言葉に、俺は疑問を抱く。
前回の夏休みは、バイトはバレてなかったと思うのだが……。
「バイトは許可制で、お前がその許可を取っていないのはもう把握している。本来は指導対象だが……そのために、ここに呼んだわけじゃない」
俺は首を傾げる。
彼は何を言いたいんだろうか?
「お金に困っているのか?」
心配そうに、俺に語り掛ける熱田先生。
「……いえ、そういうわけじゃないんですが」
俺の答えを聞いて、こちらの表情をまっすぐに覗き込んできた。
「隠れてバイトをしながらも、他の人より短い勉強時間で、学年2位の成績になるまで勉強も頑張る。普通のモチベーションじゃ絶対にできることじゃない」
彼の言葉を聞いて、自分が失敗したことに気が付いた。
こんなことになるのなら、前回と同じくらいの点数を取っておけばよかった。
今回のテストで、好成績を狙ったのは……。
俺が好成績を取ることで自信を無くす奴らがいるのなら、いい気味だと思ったから。
同学年の奴らのほとんどは、那月が嫌がらせを受けても、見て見ぬふりをしていた連中だ。
そいつらに対して、俺は幼稚な八つ当たりをしたのだった。
「バイトはもう、辞めろ。見逃すのは今回だけ、次に見つけたときは、改めて指導する。もしも、やめられない事情があるなら……俺に、相談をしてくれ」
熱田先生は俺の肩に手を置き、諭すようにそう言った。
「はい、バイトはもうやめます」
俺の答えを聞いた熱田先生は、苦笑して言う。
「そうしろ。良い成績が取れたからって、次回も同じようにとれるとは限らない。点数が取れなくなってからもっと勉強しておけば良かったと後悔しても、その時にはもう遅いんだからな」
俺はその言葉に、思わず苦笑する。
後悔しても遅い?
それで終わりを迎えられるのならば、俺は甘んじてその後悔を受け入れるのに。
「どうした、玄野?」
熱田先生が、俺の表情を伺いながら問いかける。
「いえ、俺の担任でも、生活指導の担当ってわけでもないのに。どうして熱心に話をしてくれるのかなって思っただけです」
前回も同じように、俺がバイトをしていたのを知っていたはずなのに。
なぜ、今回に限ってこんな対応をしたのだろうか、気になった。
「俺は玄野が思っているよりも、薄情な奴だよ。それでも、頑張っている奴や苦しんでいる奴の味方でありたい。……お前ら高校生は、自分たちのことを大人だって思っているかもしれないけど、まだまだ子供なんだ。だから、何かあったらいつでも頼ってくれ」
熱田先生はそう言って、立ち上がり出口へと向かった。
俺も立ち上がり、彼の後に続いた。
「それじゃあ、今日は気をつけて帰れよ」
生徒指導室の施錠をする熱田先生に会釈をしてから、俺は教室へ向かって、廊下を歩き始める。
――熱田先生は、決して悪人ではない。
しかし彼は庇護するべき子供である、バレー部の女子と恋人関係であり、那月がいじめに苦しんでいることにも気づかずにいた。
彼の言葉を綺麗ごとだと思うのは……俺自身が汚い大人だからだろう。
☆
「お、あっきー戻ってきた!」
教室に戻ると、2度目の時と同じように、伊織が声を掛けてきた。
今回も俺が戻るのを待っていたようだ。
「センセーに呼び出されてたけどさ……どうだった!?」
楽しそうに、瞳を輝かせて問いかけてくる。
「成績が上がったから、怒られたんだよ」
「どういう意味!?」
「補習をサボった俺が良い成績を獲ると、真面目に補習を受けた生徒が自信を無くして可哀そうだから、だそうだ」
「何それ! 自分たちが勉強教えるのが下手なのをあっきーのせいにして、うっざー!」
眉間に皺を寄せた伊織は、職員室の方向を見ながら中指を突き立てた。
「ていうか夏休み、あっきーが重要だってトワに勉強教えてくれたとこ、全部テストに出たおかげで、下から数えた方が早かった順位が、ギリギリ上から数えた方が早くなるまで順位上がったんだけど!」
「下から数えた方が早いっていうのは、結構オブラートに包んだな。ほぼ最下位くらいだったろ」
俺が言うと、伊織はテヘヘ、と笑ってごまかした。
「それでさ、あっきーこの後暇? 折角だし、お礼がしたいんだけど」
「あー、それならカラオケとかどう?」
前回は一緒にカラオケに行っていた。
当然今回も付き合ってもらえると思っていたが、彼女はあまり乗り気ではなさそうだ。
「オケるのも良いけどさー。もっとゆっくりしたいって言うかー……」
伊織の言葉に、俺は首を傾げる。
何がしたいのだろうか?
「トワの部屋でも良いけど……、あっきーの部屋行ってみたいな」
伊織は上目遣いに、俺の表情を覗き込んでそう言った。
その言葉を聞いて、俺は随分と昔に聞いた覚えのある、伊織トワの悪い噂を思い出した。
『誰にでもヤラせる女』
『元カレは100人以上いるのに、3日以上付き合った男はいない』
そういうことかと、俺は内心納得した。
「……今日は親、二人とも帰り遅くなると思う」
☆
息を切らし汗をかいている伊織は、苦悶の表情を浮かべて俺を見た。
これ以上は無理だ、と声を出さずに伝えようとしている。
俺はその哀願を無視し、ペースを速める。
「待って、もうちょっとゆっくり……!」
情けない声を出した伊織を、俺は無理やりに引き寄せる。
そして――。
目的地に到着した。
ここは俺の家の近所にある、町並みを見渡せる展望台のある公園。
普段から、元気のあり余ったキッズくらいしかこの場には来ない。
今も、俺と肩で息をする伊織以外に、人はいなかった。
大きく深呼吸を繰り返してから、恨めしそうな表情を浮かべて、伊織は言う。
「……あのさ、ここ絶対あっきーの家じゃないよね?」
「うん、違う。今気づいたのか?」
「途中で気付いたけどさ……え、なんでここに? トワはゆっくりしたいって言ったじゃん! もう滅茶苦茶疲れたよー」
不満を爆発させる伊織に、俺は答える。
「ここでもゆっくり話せるだろ?」
「だからって、なんでこんな場所に……」
「お気に入りの場所だから、伊織にも知ってもらいたくて」
この場所は、夏休み中に那月にも案内していた。
彼女は上る途中に現れた蛇に驚いていたものの、この場所自体は気に入ってくれていた。
「……自分の好きなところを、トワにも見てもらいたいって、結構かわいいところあるんだね、あっきー?」
タオルで額の汗を拭きながら、伊織は挑発的にそう言った。
彼女が汗を拭い終えるのを待ってから、俺は言う。
「伊織は別に、俺のこと好きでもないだろ?」
「……好きだよ?」
伊織は、無表情で言った。
「俺に向けているその気持ちに、恋愛感情はないだろ」
俺は真剣な表情を浮かべて、伊織に言う。
彼女は、無表情に言う。
「……トワってすっごい可愛いし、ギャルっぽい恰好が好きだからかな? 軽いって思われること多くて、男の人たちが、エロい目でこっちを見てくるのも分かるんだよね」
伊織は、スカートからむき出しになった、自らの白い太ももに視線を向ける。
「同級生とか、年上に告られることも、ナンパされることもしょっちゅうある。大体が軽い見た目の人で、すぐに部屋とかホテルに誘って、やろうとしてくるんだよね。……あ、真面目そうに見える人でも、おんなじだったかも」
あはは、と可愛らしく笑ってから、
「その時点で、トワ的にアウト」
と、伊織は硬い声音でそう言った。
「俺のことを試してたってわけだろ?」
「うん、そう。あっきーは、これまでトワをエロい目で見たことがなかった。だから、トワから部屋に行きたいって言ったのは、最終テスト」
伊織は、俺の表情を窺ってから言う。
「最終テストに合格して、トワを部屋に連れ込まなかったあっきーのことなら、トワは信用できる。……だから、これからきっと、ちゃんと好きになれる気がするんだよ」
その言葉はまるで、自分に言い聞かせているようだった。
好きになれる気がするの、と言っている時点で、彼女が俺に抱く感情は、決して好意ではない。
「伊織の周りにいた男が、ろくでもない奴ばっかりだったせいで、ちょっとした男性不信になってるんだろうな」
「『誰とでもヤル女』ってひどい噂を流されてるけど、多分それってこれまで付き合って、結局ヤラなかった男が言いふらしてるんだと思うんだよね。3日以上付き合った人はいないけど、元カレ30人以上いるから、特定できる気しないけどね。……そういうことが重なって、信じたくても信じられなくなったのかも……」
3日以上付き合った相手はいない、という一部分のみを除いて、噂は全て噓だった。
そんなことは、これまで伊織と接してきて十分にわかることだった。
「別に俺は、伊織と付き合いたいとか思っていない。ただ、一緒にいると楽しいから、仲良くしたいとは思っている。……だから今度、文化祭を一緒に回ってくれないか?」
俺の言葉に、伊織は落ちこんだ様子で言う。
「でもやっぱり、トワはあっきー以外の男を好きになれるとは思わないから……」
「無理に好きになる必要なんてないんだよ」
それが虚しいだけなのだと、俺は身をもって知っている。
「本当に俺のことを好きになっても、なれなくても結局は一緒だ。さっきも言ったけど、俺は伊織と付き合いたいとか思ってないから、どうせ振る」
俺の言葉に、伊織は驚愕を浮かべ……そして、心底楽しそうに笑った。
「酷すぎ! こんなに可愛いトワのこと振るとか、あっきーどんだけ今宵ちゃんのこと引きずってんの? キモすぎー!」
そう言ってから、伊織は立ち上がる。
夕暮れに沈む町並みを、目を細めて眺めて、彼女は呟いた。
「チュロス出すクラス、あるかな?」
2年のとあるクラスが出店していた記憶があるが、今はまだ決まっていないはず。
「もしあったら、文化祭付き合ってくれるお礼におごってやるよ」
「やった! 今の言葉、絶対忘れないから!」
無邪気に笑う伊織に、俺は頷く。
取るに足らない、些細な出費だ。
……これで、今宵の嫉妬を向けさせる生贄を手に入れられるのだから。
申し訳ないという気持ちは確かにあるが、これ以外の手段を取る気はない。
俺は立ち、伊織の隣に並ぶ。
彼女はつくづく、男運がないんだなと実感する。
初めて信頼した俺こそが、これまで伊織が出会った男の中で、断トツのクズなのだから。





