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第22話 夢から覚めた私を待つのは愛しい弟でした

 目が覚めた私は、ふかふかのベッドに横たわっていた。


 まるでそれは、ヴィンセント様と出会ったあの日のようだ。まさか、あの日に戻ったなんてこと、ある訳ないわよね。そんな、巷の大衆文学じゃあるまいし。


 ぼんやりする意識の中、小さく笑った私はハッとして勢いよく体を起こした。


「ここは……ダリア、ダリア!」


 結婚式の最中だったはず。なのに、見下ろした私の姿は寝間着だった。


 そんな、まさか。ケリーアデルを追い出したのは夢だというの。あんなに鮮明な夢があって、堪るもんですか!


 ベッドを抜け出そうとすると、私の手を誰かが引っ張った。


「姉様、落ち着いてください」

「……え?」

「今、ダリアを呼んできますね」


 にこりと笑った赤毛の少年は、私の手を放すとベッド脇の椅子から降りた。

 今、この子は私を姉様と呼んだわ。


 年は十歳くらいかしら。くりくりとしたつぶらな瞳は濃紺で、その虹彩には金砂を散らばしたような、美しい魔力の星が見られる。お母様にそっくりな瞳は、まるでラピスラズリのようだわ。

 離れていく後ろ姿で揺れたさらさらの赤毛に、私は釘付けとなった。


 幼いセドリックの姿が重なる。


「……セドリック?」


 小さく呼ぶと、少年は振り返ってにこりと笑う。

 お母様が亡くなってから、手紙でしかやり取りが出来ず、一度も会えなかったけど、私には分かる。彼が愛しい弟セドリックだと。


「セドリック!」


 はしたないと言われても良い。お行儀なんて知らない。

 ブランケットを跳ね除け、素足のまま飛び出した私は少年に手を伸ばした。

 腕の中に引き寄せた彼は、私より少し背丈が低いけど、離れ離れになった時よりもうんと大きくなっていた。背中に回された手も、あんなに柔らかかった小さな手と違い、しっかりとしている。


「ミーナ姉様、急に動くのは危ないですよ」

「セドリック……セドリックなのでしょ!?」

「はい。やっと、会うことが出来ましたね」


 顔を上げると、可愛らしく微笑んだセドリックが私の髪に触れて撫でてくれた。


 これは夢じゃないわよね。

 セドリックが目の前にいるということは、ケリーアデルを捕らえることが出来たのよね?


「夢じゃないわよね?」


 微笑んで頷くセドリックの顔が涙でにじんだ。

 今まで頑張ってきたことが全て報われたように感じ、胸の奥に熱いものが込み上げてくる。


 再び、セドリックを強く抱きしめようとすると、「お嬢様」と淡々とした声が降ってきた。


「……ダリア」

「感動のご対面はよろしいのですが、ヴィンセント様がおいでです」

「えっ……?」


 視線をずらすと、少し困った顔をしたヴィンセント様がそこにいらっしゃった。

 慌ててセドリックから離れた私は、寝間着姿であることを思い出し、羞恥心に全身が熱くなった。


「目を覚まして良かった」

「あ、あの、お見苦しい姿をお見せしてしまい……」

「何を言っているんだ。結婚したのだから、これからは毎晩見せあうだろう」

「え……えっ、あ、あの!」


 ヴィンセント様らしからぬ発言にドキリとしていると、大きな手が私の腰に回された。次の瞬間、突然の浮遊感と共に、私の足は床を離れた。


「もう少し、横になった方が良い」

「あ、あの、ヴィンセント様」

「ヴィンス……そう呼んで欲しいと言ったことを、もう忘れてしまったのかい?」


 綺麗な微笑みを浮かべるお顔を前にして、私はどうしたら良いか分からず、ダリアとセドリックに視線を向けた。だけど、それを遮るようにしてヴィンセント様は歩き出してしまった。


「愛されているようで、ようございました」

「ええ、本当に」


 淡々と言うダリアの横で、明らかに笑いを堪えているセドリックの声がした。

 おずおずとヴィンセントの顔を見ると、貴族子女なら誰もが顔を赤らめてしまうだろう微笑みがあった。


 愛されてる。これが、ずっと求めていた愛だというの?


 ベッドに降ろされた私は、ヴィンセント様の手が髪を撫でてくるのが気恥ずかしくて、もぞもぞとシーツを引き上げた。


 息を整えた私はベッドの上で姿勢を正した。そうして、ヴィンセント様に向かって深く頭を下げた。


「どうした。ヴェルヘルミーナ?」

「ヴィンセント様のおかげで、ケリーアデルを捕らえることが出来ました。ありがとうございます」

「それは、君が能力で成したものだ」

「その能力も、アーリック族に会うことで知れたのです。そうでなければ、私は気付くことなどなかったでしょう。すべて、ヴィンセント様と出会えたおかげといえます」

「結婚の条件を守っただけだ。そう畏まることはない」

「私、これからはヴィンセント様の妻として、ロックハートの為に」


 大きな手が優しく頭を撫でている感覚に、ふとお父様を思い出す。幼い頃はよく頭を撫でてくれていた。それを、なぜこのタイミングで思い出すのだろうか。


 じわりと涙が込み上げてきた。


 私はヴィンセント様に嫁いだ。もう、レドモンドの娘ではない。これから、私はロックハートのために生きなければならない。


 決心していたつもりなのに、どうしてそれを告げようとすると胸が苦しくなるのか。あそこには、もう、私を愛してくれる人はいない。これからは、ヴィンセント様と──


「ヴェルヘルミーナ。そう、難しく考えることはない。これからは、ヴェルヘルミーナ・ロックハートとしてセドリックが成人するまでの後見人となり、レドモンド領を見守ればいい」

「……え?」

「リリアードの女主人になり、さらにレドモンドの再興を続けるのは骨が折れるだろうが、君には頼りになる侍女もいる。そうだろ?」


 突然の言葉に驚き顔をあげると、変わらず優しい笑みを湛えるヴィンセント様と視線があった。


「ヴェルヘルミーナ様、私も、両親もお嬢様とレドモンド家が大好きです。セドリック様の成人まで、しっかりとお守りいたします」


 すぐ横にダリアの気配を感じて振り返ると、湯気をくゆらせるカップを銀のトレイに載せた彼女が立っていた。


 渡されたティーカップを受け取ると、指先にじんわりと熱が広がった。柔らかなハーブの香りが鼻腔をくすぐり、胸の奥に広がっていく。


「私……これからも、レドモンド家を助けて良いのですか?」

「何を言い出すんだ。私は君と結婚した。つまりロックハート家はレドモンド家と繋がったんだ。簡単に衰退されたら困る。何より、苦心してあの家を守ってきたのは君だろう」

「で、でも……私は妻としてリリアードの」

「ヴェルヘルミーナとなら、一緒に苦労するのも悪くない」


 ヴィンセント様は、琥珀色の瞳に優しい光を浮かべ、再び私の髪を撫でた。


 嫁いだら私の人生は終わるような気持ちになっていた。セドリックのためにレドモンド家を守る以外、私には何もなかったから。


 でも、まだ私にも、セドリックやレドモンドのためにやれることがあるというの?


「それにだ。今まで通りレドモンド家を守ることが、延いてはロックハート……いや、国のためになるだろう」

「それは、どういう意味ですか?」

「まだ、花は枯れていない」

「……え?」


 静かに呟いたヴィンセント様は、ちらりとセドリックを見た。


 花って、もしかしてアーリック族で聞いた闇の花のことかしら。それが枯れていないということは、幻惑の魔女はいるということ。


 もしかしてヴィンセント様は、幻惑の魔女がレドモンド領に身を潜めていると考えてるのかしら。


「セドリック。悪いが少し席を外してもらえないか」

「分かりました。姉様、お祖母様も心配していました。お話が終わりましたら、顔を見せてあげてください」

「うん。後で行くわ。お祖母様に、そう伝えておいてくれるかしら」


 頷いたセドリックがダリアと共に部屋を出ていくと、ヴィンセント様は自らの手でお茶をカップに注いだ。


「ヴェルヘルミーナ……残念な知らせだ。ケリーアデルは幻惑の魔女ではなかった」


 唐突な言葉に、私は動きを止めた。だけどそれは想定内で、驚くことではない。私はゆっくりと息を吐いた。


「それは、本人が否定しているということですか?」

「いや……ケリーアデルは、死んだ」

「……死んだ?」

「あぁ。衛兵の剣を奪って自害したそうだ。罪から逃れられないと思い、潔く死を選んだのだろう」


 ケリーアデルが死んだ。

 にわかには信じられない言葉に、私の思考は真っ白になった。

次回、本日17時頃の更新で最終話となります。

どうぞ、最後までお付き合いください。


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