第16話 幼い頃から見守っていたダリアの告白
歓迎の食事の後、今夜は泊っていきなさいとルイーゼ様が仰られ、客間を用意してくださった。用意してくださったのは良いのだけど──
「どうして、ヴィンセント様とご一緒なの!?」
着替えを手伝ってくれるダリアを問い詰めた私の後ろには、二人で寝るには十分すぎる大きさのベッドがある。
天蓋はついていないけど、とても丁寧な作りで、支柱には美しい花の彫り物が施されている。並んでいるクッションやカバーには綺麗な刺繍がされてるし、とても素敵な客間だと思うわ。
問題なのは、ヴィンセント様と二人で使うように言われたこと。
「ご夫婦になるのですから、問題はないでしょう」
「大ありよ!」
「ヴィンセント様はいい大人です。ご成婚前に、つまみ食いのようなことをすることはないと思いますよ」
「つっ、つまっ──!? 婚前に通じるのは神の教えに反するわよ!」
「今時それを守っているのは、珍しいですけどね」
さらりと怖いことを言ったダリアは、てきぱきと荷物を片付ける。
「でも、良かったではありませんか」
「良かった? 何のこと?」
「アーリック族が味方になることです。ヴィンセント様との関係も良好のようですし」
「それは、そうね」
亡きクレア夫人はアーリックの禁を侵してヴィンセント様を生んだのだから、普通に考えたら、もっと険悪な間柄でもおかしくない。さらに、私はロックハート侯爵家とは対立する家門の娘。となれば、いい顔をされるだなんて欠片も思っていなかった。
ヴィンセント様が、滞在は一泊だといっていたとはいえ、最悪、追い返されるんじゃないかと心配すらしてたのに。
振る舞われた晩餐は、森の豊かさが分かる豪華なものだったし、この部屋を見たって歓迎されていることがよく分かる。
ここまで友好的に迎えられるとは、夢にも思わなかったわ。
トランクを閉じたダリアが、小さく「だけど」と呟いた。
「魔女の話は驚きでした」
「……そうね」
「申し訳ありません! ヴェルヘルミーナ様を不安にさせるようなことをいってしまいました」
私が言葉をつまらせたことを心配したのか、ダリアは頭を下げた。別に、彼女を責めるつもりは微塵もない。
「不安じゃないとは言いきれないけど……知れて良かったと思っているわ。その、私に魔力があるとは今でも信じられないけど……」
両手を見つめ、そこに火を呼び出せないかと念じてみる。だけど、そこには米粒ほどの明かりも点らない。
これで魔力があると言われても、何を信じたらいいのやら。
「もしも、幻惑の魔女が現れたら……力がない私はどうしたらいいのかしら」
「ヴェルヘルミーナ様……大丈夫ですよ。ヴィンセント様も守ると言ってくださってましたし」
「でも、私には守られる価値なんて……」
ベッドの端に腰かけて、膝の上で両手を握りしめていると、ダリアは私の前に腰を下ろした。そうして、そっと手を重ねる。
「私は、ヴェルヘルミーナ様が結婚に前向きなことにも、ホッとしております」
「ダリア?」
「覚えてますか? 幼いときに、秘密よっておっしゃって、私に初恋を打ち明けてくださったことを」
「……初恋?」
脳裏に幼い日のことが浮かんだ。
ダリアと一緒に絵本を抱え、お姫様の挿し絵を指差して色々なことを話した。本当はニンジンも玉ねぎも嫌いだとか、大きくなるために我慢して食べてるだとか。毎食ケーキならいいのに、とか。それから、お父様の砦に行った時の話をしたり。
脳裏に、心をときめかせたヴィンス様の姿がおぼろげに浮かんだ。
「お父様よりもっと素敵な王子様に出会ったわ。そうおっしゃったヴェルヘルミーナ様は、彼のために素敵な魔女になりたい。そう、教えてくださいました」
絵本にあった素敵な王子様の挿し絵がどんな姿だったかは思い出せない。その代わりにヴィンス様のことを思い出したのが、ダリアにも伝わったようだ。彼女は「本当にようございました」と呟いた。
そうか。ダリアは小さい頃からずっと一緒だから、全部知っていたんだわ。
まだ恋という言葉すら知らなかった幼い頃、ヴィンス様が、ヴィンス様がって無邪気に話していたことを、唐突に思い出した。どうして忘れていたのかしら。
恥ずかしさに頬を熱くしていると、ダリアが私の手を少し強く握りしめた。
「他にも、ヴェルヘルミーナ様が誰よりも、魔法について学ばれてきたこと、お家を守るために必死だったこと……お側でずっと見て参りました」
「ダリア……貴女がいてくれたから、私も頑張れたのよ。一人じゃ、とっくにいじけてたわ」
「もったいなきお言葉です。これからは、私だけじゃありません。ロックハート家の皆様とアーリック族が、お力添えくださるのです。魔法が使えないことがなんですか。そんなのは些細なことです」
握られる手を見つめ、目頭が熱くなった。
寂しい夜に、いつも側で笑ってくれた。こうして手を握り、お側にいますと何度も言ってくれた。彼女にどれだけ救われ、守られてきたことか。
「お家のことも、無事に婚礼が済むまでご心配なく。我が父をはじめ、古くから仕える者達が守っております」
「ダリア……」
「何もご心配なさらず。私たちが、お守りいたします。だから……胸の内を隠さずに、どうかまた、昔のようにご相談ください」
「ありがとう。信じるわ」
優しい手を握り返せば、微笑んだ彼女は「飲み物を頂いて参ります」といいながら立ち上がった。
ダリアの手が離れても、私の指はポカポカと暖かかった。
ダリアが部屋を出てから、私は一人、ホッと吐息をこぼした。
私にたくさん協力者がいることは分かったけど、急な展開に、気持ちが追い付いていないのかもしれない。
幻惑の魔女に覚醒の魔女。私には魔力があるらしいこと。何もかもが青天の霹靂だわ。
ダリアは些細なことって言ってたけど、魔法が使えないままじゃ、私は守られるだけの存在だわ。それだけは嫌なの。私も、皆のために──
「でも、火すら灯せない……」
ポツリと呟き、空中に火を灯す魔法の印を描いてみる。体内に魔力があるなら、その印に引き出され、火が具現するはず。
だけど、魔法陣が現れるどころか、魔力の熱すら感じられなかった。
ぽすっと音を立ててベッドに体を横たえ、小さくため息をつく。
さらさらのシーツから、優しく甘い香りが立ち上がった。これはラベンダーの香油だろうか。とても心地が良く、身体がベッドに沈んでいくように感じた。
眠りに誘われるようにして目蓋を下ろし、このまま寝てしまおうかと思ったとき、はたと気付いた。
ちょっと待って!
すっかり忘れてたけど、ヴィンセント様とすごす今夜をどう乗りきったらいいかの、答えが出てないわ。
全身からどっと汗が噴き出すのを感じ、飛び起きた私は無意識のうちに口元をひきつらせていた。
男性と夜をすごすなんて、もちろん、初めてのことよ。
ベッドは一つしかない。
汗が滝のように溢れ、背中が濡れていく。
落ち着いて、ヴェルヘルミーナ。
そもそも、ヴィンセント様が私に懸想することがないかもしれないじゃない。そうよ、女嫌いって噂だってあったわ。初婚のとき、お子様だってお作りにならなかったと、ダリアも言っていたし。
ぐるぐると考えていた私は、脳裏に浮かんだヴィンセント様の微笑みに、全身が熱くなるのを感じた。
私のことを嫌ってるなら、あんなお顔をされないのではないか。愛していると言われたわけではないけど、少なくとも好意は感じる。
そんな彼は、私の初恋の人。
何も起きないだろうとは思うけど、どうして冷静でいられると言うの?
考えれば考えるほど全身が熱くなり、汗が滴り落ちた。
待って、待って。
こんなに汗をかいてしまって、匂いは大丈夫かしら。ヴィンセント様が不快に思わないかしら。汗を流した方がいいかしら。でも、そんな二度も湯浴ゆあみをしたら、それこそ夜を楽しみにしてましたといってるようじゃない?
せめて、タオルで汗を拭うくらいは──おろおろするばかりだった私は、はたと気付く。
これじゃ、期待しているみたいじゃない。
よく考えなさい、ヴェルヘルミーナ。
ヴィンセント様と初めて出会ったのは、私が十歳に満たない頃よ。彼が私に恋心を抱く訳なんてないわ。妹とか身内の子ども程度にしか思っていなかったでしょう。どんなに、遠い恋心を蘇らせたって、これが政略結婚であることに変わりはないのよ。
早鐘を打つ胸の前で手を握りしめて思う。トキメキが苦しいものだなんて、どの本にも書いていなかったと。
俯いたその時、ドアがノックされた。
ダリアが戻ってきたのだと思ってほっと胸を撫で下ろし、「どうぞ」と声をかけたのは、失敗だったかもしれない。そう思ったのは、迎え入れてしまった彼の顔を見た瞬間だった。
「ヴェルヘルミーナ、まだ起きていてよかった」
「は、はひぃ!?」
現れたヴィンセント様に思いっきり動揺してしまい、声がひっくり返った。
次回、明日15時頃の更新になります
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