強襲のグロット・スパイダー
リンザローテは自分の失態は自分で挽回するべきだと、ホランから実験許可証を受け取る。
そしてもう一度書面を確認し、コレは確かに部長に渡した書類ではないかと首を捻るが、現にこうして目の前にあるわけで釈明のしようもなかった。
「申し訳ありませんわ。今度こそ、わたくしが責任をもって届けて参ります」
「それは当然ね。まったく…色ボケをしている場合ではないわよ」
「べ、別にわたくしは色恋にうつつを抜かしてはいませんわ」
「どうだか……あのアルト・シュナイドとかいう男に入れ込んでいるように見えるけど」
ホランの指摘は正しく、リンザローテはアルトへの恋心を燃やしており、それは彼女に近しい人物であれば簡単に察せるものであった。アルトに向ける熱の籠った視線は特別で、ホランも一発でそうだと見抜いたのである。
「アナタが問題を起こせば私達にも迷惑が掛かるのよ。そういうの困るのよね」
「分かっていますわ。会長としての職務を怠るようなマネはしませんし、今後は更に注意を払いますわ」
「そう。ならサッサと行きなさい」
と、ホランはリンザローテの言葉にそっけなく返事をし、これ以上話すことは無いと給湯室へ歩み始めた。
「…ホラン、後で話をする時間を頂けませんか?」
そんなホランを呼び止めるリンザローテ。彼女のリンザローテに対する嫌悪感や苛立ちは相変わらずで、それをどうにかしたいと思っている。
「何故?」
「本来、わたくしとアナタは協調しなければならない間柄。例え意見が食い違っても、建設的に話し合いを行うべきなのです。ですが、アナタのわたくしを拒絶する態度は度を越して敵対視しかしていませんわ。これでは、それこそ職務に支障が出る……」
「ふん……」
「ですから、一度キチンと話し合う必要がありますわ。では、また」
リンザローテはそう言い残し、生徒会室を出ていく。
その後ろ姿を見送るホランは、邪気を含んだ笑みを浮かべていた。このままホランの計画が順調に進めば、もう二度と顔を合わせることもない。
「……いいわよ。もしアナタが戻ってこられたのならね」
多少名残惜しくはあるが、しかし目障りな存在が消えてくれればストレスで悪夢を見ることもなくなるだろう。
リンザローテは少し薄暗くなり始めた空から、目的地である研究棟へと視線を移す。憂鬱な気分であるのは仕事が嫌だからではなくホランのせいだが、これから部外者と会うのだから威厳を保つためにも表情を真剣なものに切り替える。
「さて……」
地下へと続く物資搬入庫は今は閉まっており、厳重な施錠がなされていた。これは不審者の侵入を防ぐためで、魔法へ対する防御性能も高くシェルター並みの強度を誇っている。
そんな搬入庫からではなく、正面入り口から研究棟へと足を踏み入れた。
「今頃アルトさんはコマリさんと作業中……コッチの用事が終わったら合流しようかしら……」
などと考えつつ独り言を漏らすリンザローテ。
吹き抜けのようになっているエントランスに人気は無いものの、特に気にするでもなく地下への階段に向かっていたが、
「…ン? なんですの、この白濁した臭い液体は…?」
頭部に何か水滴のようなモノが垂れ落ちてきて、それを拭った手を見ると白っぽいネバついた液体が付着していた。かなり悪臭を放っており、リンザローテは顔をしかめつつ上を見やる。
すると、黒い影が吹き抜けの天井から一気に降下してきた。人間よりも一回り大きな図体を持つソレは、赤く発光する目をギラつかせてリンザローテをターゲティングしているようだ。
「こ、これは…! グロット・スパイダー!?」
どうやら液体はグロット・スパイダーの唾液であったらしい。天井に張り付いて獲物を待ち伏せていて、たまたま通りかかったリンザローテを強襲してきたのだった。
「きゃああっ!」
もともと蜘蛛が嫌いなリンザローテは、虫よりも遥かにスケールアップしたグロット・スパイダーに対する恐怖で動きが鈍り、攻撃も防御もままならず悲鳴を上げるしかない。
そんなリンザローテに対し、グロット・スパイダーは糸を吐きつける。まるでバインド・ロープのような太い糸は彼女の身体を拘束し、口と目をも塞がれてしまう。
身動きできなくなったリンザローテはそのまま連れ去られてしまい、エントランスには実験許可証だけが残されるのであった。
「……!?」
地下ではなく、研究棟一階の資材庫に作られた巣に拉致されてしまったリンザローテ。
三体のグロット・スパイダーは別個に巣を築き上げているようで、それは自分達の支配領域を少しでも広げて研究棟全体を支配しようとしているからだ。
しかし、そんな事情などリンザローテには関係ない。今は、どうやって脱出するか必死に考えなければならない時間だ。
だが、焦るだけで解決策は思いつかなかった。偶然にも右目を覆っていた糸がズレたおかげで多少状況を視認できるが、口は完全に塞がれているので魔法を発動できないのだ。
「ッ!?」
思考をフル回転させるリンザローテにゆっくりと近づくグロット・スパイダー。資材庫に張り巡らされた糸の巣を我が物顔で移動し、リンザローテに覆いかぶさるようにして迫ってきた。
「~!!」
身をくねらせるも糸は解けない。ベタベタと粘着質なために、纏わり付いたら中々引き剥がせないのだ。
そして、間近まで近づいたグロット・スパイダーは口から細い管のような器官を伸ばす。ヒョロヒョロと細かく動きながら、リンザローテの口を覆う糸をどかしたのである。
これはチャンスとばかりにリンザローテは魔法を詠唱しようとしたが、
「うっ…!?」
少し開いた口の中に管を突っ込まれてしまった。あまりの気持ち悪さに吐きそうになるものの、嗚咽をする暇もなく管は食道を通じて体内の奥深くへと挿入されていく。
この行為に何の意味があるのかと思うリンザローテの疑問にスグに回答が出る。なんと、管を通じて親指程の大きさの卵が排出され、リンザローテの胃へと落とし込まれたのだ。
これはグロット・スパイダーの繁殖方法の一つであった。捕縛した獲物の体内に卵を植え付け、生命力と魔力を栄養として育成し孵化させるのである。つまり、リンザローテはグロット・スパイダーの苗床とされてしまったのだ。
「……」
度重なるショックと、卵による生命力吸収によって力が抜けたリンザローテは、そのまま意識を失った。
その間際、脳裏に浮かんだのは他でもないアルトだ。こんな形で別離することになるなど考えてもいなかったが、もう二度と会えないのかもという絶望のままブラックアウトしてガクンとうな垂れる……
研究棟とリンザローテの惨状を知らないアルトは、コマリと共に作成したミーティング用の資料を印刷室でコピーしていた。この印刷箱の使い方にも慣れてきて、詠唱を必要としないS級のアルトは素早く複製していく。
「ア、アルトさんってやっぱり頼りになりますね……この魔法道具もちゃんと使えていますし……」
「そうですか? であるならば、コマリ先輩の教え方が上手かったからですよ。俺は見様見真似でやっているだけですので」
「えへへ……ほ、褒めてもらっちゃった……」
いつもは陰鬱とした表情をしているコマリだが、アルトに教え方が上手いなどと褒められれば自然と笑みがこぼれるというものだ。少々ぎこちなさはあるものの、歳相応の可愛らしさである。
「とりあえずコピーは終わりましたね。じゃ、俺はリンザ先輩に届けてきますので」
「は、はい……私は漫画研究部の活動に……」
印刷室でコマリと別れ、リンザローテの待つ生徒会室に足を向けるアルト。
だが、そこに居るのはホランのみであった……




