13.月下の誓い
「マレフィキウムさん……あんたの考えてる半身とか唯一ってのは、そんな程度のもんなの?」
まっすぐに見つめてくるファートゥムの瞳は静まりかえった森のようで、それはマレフィキウムをひどく落ち着かない気分にさせた。
「石人の半身ってやつは、そんな優しいもんじゃないよ。あんただって知ってるだろ?」
そんなことは言われるまでもなく、マレフィキウムにもわかっていた。かつて、ミラビリスとカストールを間近で見ていたのだ。子を成せなくとも、たとえ同性でも、そんなことは些細なことだと笑ったカストールを。
わかっていたからこそ、マレフィキウムは何も言い返せなかった。
「子供ってさ、絶対に血が繋がってないとだめなの? 血が繋がってなくてもちゃんと親子になってる人なんてたくさんいるし、反対に血が繋がってても関係の破綻してる親子だっているよ」
それも、マレフィキウムは痛いほどわかっていた。なにしろ、自身で経験済みなのだから。
「わかってるんだよ、そんなことは!」
珍しく声を荒げたマレフィキウムに、使い魔たちが台所の方から心配そうな顔をのぞかせる。
「でも、それでも憧れちゃうんだよ。父さんと母さんみたいに好きな人と子供を作れたら……で、その子と一緒に生きていけたら、どうなるんだろうって。それに、自分と相手が混ざり合ったその子はどんな子なんだろうとか、そういうの想像すると、なんか無性にワクワクしたりしてさ」
泣きそうな顔で笑いながら憧れを語るマレフィキウム。彼自身も血の繋がりが全てとは決して思っていないだけに、それを求めてしまう自分の心に苦悩していて。そんなマレフィキウムの揺れる姿にファートゥムはうつむくと一言、「ごめん」とつぶやいた。
「頭ではわかってても気持ちは別ってこと、あるよね。そういうの俺、全然わかってなかった。前の俺の記憶で、そういうの勝手に知った気になってて……本当にごめんなさい」
「あ~、僕こそごめん。つい、ね。ほんと、何してんだろな、僕……」
マレフィキウムはファートゥムから目を逸らし天井を見上げると、ふっと小さな息をもらした。
「あーあ、きみたちが来てからなーんか変なんだよね、僕。だいたいさ、今までこんなこと、パーウォー以外の人に言ったことなんてなかったんだよ。それが……ま、いいや。というわけだからさ、これも何かの縁だと思って、このまま僕の反省っていうか懺悔っていうか……今後の方針? 聞いてよ」
いつもの飄々とした雰囲気を取り戻したマレフィキウムに、しょぼくれてしまったファートゥムは小さくうなずいた。
「僕はね、ずっと家族ってやつが作りたくて、そのために相手を探してたんだ。……でもさぁ、それって変だよねぇ」
苦笑いと共にこぼされるマレフィキウムの言葉を、ファートゥムはただ黙って聞いていた。
「家族を作りたいから相手を探す。でもこれってさ、本末転倒じゃない? だってさ、好きな人とだから、その人とだから家族を作りたい。本来はこうだったはずなのにさ」
マレフィキウムは椅子にもたれかかると天井を仰いだまま、今度は大きなため息を吐き出した。直後、体勢を立て直すと眉を八の字にした情けない顔でファートゥムに向きなおる。
「僕は、どこで間違っちゃったのかなぁ?」
力なく笑うと、マレフィキウムはうなだれた。けれどすぐに顔を上げると、彼はまっすぐな瞳でファートゥムを射貫く。
「もしも、もしもだけどさ。僕の求婚を受け入れてくれる相手が現れたとするよ? じゃあその時、僕はニアをどうするつもりだったんだろう? ニアと離れるとか、そんなことまったく考えてなかったのに。それってさ、どちらに対しても無責任で失礼過ぎない?」
質問のていを取ったマレフィキウムの確認に、ファートゥムは少し迷ってから小さくうなずいた。
「僕はねぇ、逃げてたんだと思う。本当に家族を作りたい相手とは理想のそれが叶えられないから、見ないようにふたをして」
他の誰かに話すということは、自分の考えを整理することの一助となる。
マレフィキウムはファートゥムに話すことによって、言い訳と諦めで覆い隠されていた自分の本当の気持ちと願いを、ようやく見つけ出した。
「でも、それももうおしまい。だって、ニアが願ったから。あそこから出たいって、願ってくれたから」
魔法使いは、自らの願いのために力を使うことはできない。
願いを叶えるために誓約をたてて使う魔法は、依頼者からの代償が必要となるから。魔法使いは依頼者から取り立てた代償に込められた思いや魔力を取り出し、己の魔臓に蓄積された魔素を魔力に変換したものと掛け合わせることで魔法を発動させる。大気中の魔素と己の中の魔力を使って行使する魔術とは異なり、願いを叶えるための魔法には必ず代償と大量の魔力が必要となる。
だから魔法使いたちは強い願いを持つ者の前に現れ、魔臓に蓄積された余剰魔素を消費するために人の願いを叶えて回っているのだ。
ならば、魔法使い自ら代償を払い、それで己の願いを叶えれば効率がいいのではないか?
普通はそう考えるだろう。何もわざわざ他人の願いを叶えて回るなどそんなまどろっこしいことをせずとも、自らの願いを叶えた方が効率もいいし、何より己にとっても幸福だ。けれど、魔法使いたちはそれをしない。その理由は――
魔法使いが自ら代償を支払って己の願いを叶えようとした場合は、その代償は例外なく魔法使いの命だったから。正確に言うならば、差し出す代償は魔法を使う力。けれど、魔法を使う力を失った魔法使いたちの辿る末路は一つ、余剰魔素に侵されて石になるというもの。代償は例外なく、命なのだ。
だからマレフィキウムは、パエオーニアとの未来を諦めていた。彼女が自らの意思により強く願わなければ、魔法使いであるマレフィキウムにはその願いを叶えることができなかったから。
「でもあの子は人造人間だから、あそこから出られても子供は……」
「うん、産めないね。でも、もういいや。……ううん、本当はそんなの、もうとっくにどうでもよかったんだ。ニアとの子供が作れたらそれはすごく幸せだよ。でも、今ここにいない子供より、僕にとっては今ここにいるニアの方が大切」
憑きものが落ちたかのようにすっきりとした笑顔で、マレフィキウムは迷いなく言い切った。けれど反対に、ファートゥムは浮かない顔でマレフィキウムを見上げた。
「でも、さっきまであんなにこだわってたのに……本当にいいの? ずっと憧れてきたのに、そんなに簡単に諦められるの? マレフィキウムさん、無理してない?」
気遣わし気な顔で見上げてくるファートゥムに、マレフィキウムはくくっと笑った。
「そりゃしてるよ、もちろん。でもね、僕だってたまには見栄くらい張りますし~。……それにその無理もね、ニアだからこそやりたいって思ったんだ」
ファートゥムと話し、見ないようにしていた気持ちを見つけ、それを言葉にして外へと出して――そうしてようやく、迷子になっていたマレフィキウムの目的地が決まった。
パエオーニアをフラスコの中から出す。
テオフラストゥスでも成しえなかった難題。けれどそれは、彼にとってパエオーニアがそこまでの労力や犠牲をさく相手ではなかったから。
「というわけだからさ! 僕もきみの方手伝うから、きみも僕の方手伝ってよ。同じ人造人間関係だし、もしかしてお互い役に立つかもしれないじゃん?」
「それはいいけど……ほんとのほんとに、いいの?」
「なんできみがそんな顔するんだよ。さっきまではニアを選べって言ったのに。大丈夫だよ、僕はもう決めたから。パエオーニアの願いを叶える。そしてこれからも、死がふたりを分かつまで共に生きていく」
晴れやかに笑ったマレフィキウム。その覚悟を決めた彼の笑顔に、ファートゥムからもようやく笑顔がこぼれた。
「まずは明日、額装さんを呼び出そうか。一回侵入されちゃってるし、場所はここでいっかな」
「額装の魔法使い……どんな人なのかな? プリムラのこと、知ってるといいんだけど」
魔法使いと石人、隠されていたそれぞれの想いが月光の下にさらされた夜。自覚と決意は、廻る貴石の運命を繋ぎ合わせる。
※ ※ ※ ※
パエオーニアの部屋に集まった一同の視線は、テーブルの上に置かれた黄金緑柱石へと注がれていた。
「マレフィキウムさん。額装さんを呼び出すの、やっぱり俺にやらせてもらえませんか?」
「いいけど。急にどうしたの?」
「だって、もともと額装さんに用があるのは俺ですし。全部マレフィキウムさんたちにおんぶにだっこじゃ、若輩者とはいえカッコつかないじゃないですか」
言うが早いか、ファートゥムはテーブルの黄金緑柱石を手に取ると、招呼の文句を口ずさむ。
「転生の魔法使いファートゥムが希う。いざ来給え、額装の魔法使いエテルニタス」
刹那、黄金色の石が淡く光った。そして直後部屋の中に現れたのは、華美な装飾が施された大きな額縁。その中から現れたのは、赫赫たる青年。彼は優雅に一礼すると、まるで舞台俳優のような大仰な自己紹介を始めた。
「此度はお招きいただき、誠に光栄の至り。初めまして、皆さま方。我が名はエテルニタス。当代の額装の魔法使いを名乗らせていただいております」
一歩踏み出したのはファートゥム。彼はエテルニタスに相対すると、ぺこりと頭を下げた。
「初めまして、エテルニタスさん。俺は転生の魔法使いファートゥム。あなたに聞きたいことがあってお呼びしました」
「ファートゥム……ファートゥム? その見た目、もしやあなた、記憶転移の一族ですか?」
エテルニタスの確認にファートゥムは軽くうなずいた。
「そ、俺が記憶転移最後の子供。俺以降、マギーアではもう子供は生まれてないよ。それどころか、住んでるのもたぶんもう俺一人じゃないかな。エテルニタスさんたちみたいな人がどっかに隠れ住んでるっていうなら別だけど、生まれてこのかた百六十年近く、俺は母さん以外の魔法使いとは会ったことなかったからね」
笑うファートゥムに、エテルニタスは微かな違和感を覚えた。見極めようと目をすがめ、じっとファートゥムを見下ろす。
「ときに貴方……なぜ、変化の魔術を使っているのですか?」
唐突なエテルニタスの問いに、場の視線が一斉にファートゥムへと集まる。当のファートゥムは驚きに目を見開き、ぽかんと口を開けてエテルニタスを見上げていた。
「うっわ、よくわかったね! ま、バレちゃしょうがないか~。て言っても、別に隠すほどのことでもないんだけどね」
ファートゥムがぱちんと指を鳴らした瞬間――
「なるほどなるほど。もはや子を生す力を失っていた記憶転移の一族が繋がったのは、そういうわけでしたか」
見開かれたファートゥムの瞳、その右目は、七色の光を浮かび上がらせる薔薇色の貴石だった。




