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第二幕 第三章 【14】それぞれの道

 どの口が言ったんだろう、とナルは思う。

 望んで処刑されようとしたのは、どこの令嬢だったか。

 間接的とはいえ、多くの命を奪い、身内のほとんどを死刑へ追い込んだのは、ナルに他ならない。


 ナルにとって、時次郎は生涯忘れられない者となるだろう。

 だからこそ、時次郎に関しては、ナルの胸のうちに留めることにした。 


 これから時次郎は、国王天馬によって処刑された一人として、彼を知る人々のなかで風化していけばいい。

 大切な人だった、優秀な者だった、と思われながら。

 誰ひとり、彼の真の目的や望みを知らぬまま。


 ナルだけが知っておこう。

 時次郎は身勝手で傲慢な男であり、他者はもとより自分の命さえ計画に捨ててしまえる、愚か者であったと。



 ☆☆☆



 やるべき仕事をひたすら片付けていると、一日はあっという間に過ぎる。

 今日は月に一度の、巡回の日だ。


 シロウが王位について、一年と少しが過ぎた。

 季節は春。

 ナルの現在の仕事は、各分野の総括である。


 大きく伸びをして、自転車に乗る。

 馬車を作る仕事をしている者に、神殿で制作許可を得た自転車の試作品を作って貰ったのだ。

 まだまだ改良の余地はあるが、馬車を使うと大通しか通れないため、自転車は重宝している。


「おはようございます!」

「ナル様、おはようございます!」


 道行く人々がくれる挨拶に、おはよー! と軽やかに返事する。

 仕事へ向かうもの達だ。

 元貧民なのか平民なのかわからないが、この一年で、風花国は急激な変化を遂げた。


 いくつもの貴族がお家取り潰しとなり、穀潰しを減らし。

 そこから得た資金を国内で循環させる。

 現在、国営で職業斡旋を行っていた。

 風花国の戸籍を持つ者であり、尚且つ年齢などの条件さえ満たしていれば、その者に合った仕事を紹介しているのだ。

 当然ながらとてつもなく低賃金なのだが、平民から貧民たちの生活の質がほんの少しずつ向上している。


「よっと!」


 自転車から降りて、石柱がふたつ並ぶ門を通る。

 看板もなく、見張りの兵士もいないが、そこそこ大きな施設だ。


 ナルは自転車を停め置き、その足で正面玄関へ向かう。

 受付の者に来訪を伝え、そのまま施設内へ入っていく。当然のように顔パスのナルだが、この施設への出入りには許可が必要であり、現在風花国が都に持つ最重要施設の一つである。


 広間の一つへ足を踏み入れたとき、手前のベッドに仰向けに横たわっていた男のぎょろりとした目が、ナルを捉えた。


「あ、お、おは、よ、よ、お、さ」

「おはよう、シャーロさん」


 笑顔で返事をして歩み寄り、そっと手を握る。

 部屋にいたほかの者たちもナルに気づき、視線を向けたり、挨拶をくれたり、見て見ぬふりをしたり、反応は様々だ。

 ここにいるのは、かのルルフェウスの戦いで、夢蜘蛛の被害者となった者たちである。

 いくつもある施設の広間には、被害やその他事情によって部屋を分けており、ここは、重症度の高い者の部屋だった。


 現在、風花国では解毒薬の製造を開始しており、被験者を募っている。

 介護に疲れた家族や、高齢化した患者、長期入院で邪魔者扱いされていた者には、積極的にこちらから声をかけた。

 また、ルルフェウスの戦いで使われた毒の解毒薬開発が始まったと聞き、自主的にやってきた者もいる。

 我が子を抱きしめ、長旅をしてきた母親。家族を、親友を、愛する人を助けて欲しいと連れてくる者たち。

――『わたし、忘れ、られ、て、いなかった、のね』

 被害者の一人がそう言って涙をこぼした様子は、ナルの胸を苦しくさせた。


 寝たきりの者も多く、彼等の世話をするのはボランティアの介護者だ。

 ボランティアとはいえ、命について敏感な風花国の者たちは皆、甲斐甲斐しく彼等の看病を行ってくれる。


「ナル、ここにいたのか」

「あ、ベティ!」


 どうやら、迎えにきてくれたらしい。

 ナル一人ではつい寄り道をしてしまうので、研究所長室まで送ってくれるのだろう。

 硬い廊下を、二人並んで歩く。


「玄関の受付係から、ナルが来たと報告があった。今日は巡回の日だな」

「うん」


 ベティエールは現在、この研究所で第一被験者をしている。

 成果は上々……だとナルは思うのだが、研究所長であるサトミいわく、まだまだだという。

 言語の麻痺は、薬品で緩和することが可能になった。ただし、神経そのものに重篤な損傷がある場合は、この限りではない。

 ベティエールは、ほぼつまることなく話せるようになった。


 ベティエールと、併設している実験棟へ行く。

 現在、サトミが一人で使っている研究及び実験室には、彼が望むまま揃えた実験道具や薬品素材が並んでいる。

 研究所長はサトミだが、すべての責任者はナルになっているため、巡回とは別に、研究所へは三日に一度の頻度で足を運んでいた。


(なんか、ドラマで見たことある部屋になってきた……)


 サトミの研究及び実験室は、科捜研だか、法医学だか、薬品開発だか、ドラマでちらっと見覚えのある『ザ研究室』といった部屋になっている。

 資金が潤沢なこともあり、ここだけ科学の進歩が凄まじい。

 ちなみに、夢蜘蛛の解毒薬に関しての費用は、モーレスロウ王国と柳花国の国家予算から捻出されている。

 表向き、医学及び薬学に精通している者がいるため、『夢蜘蛛の解毒薬の開発を請け負う』かたちで設立された機関のためだ。

 資金提供期間は、向こう十年。

 その後は、夢蜘蛛に限らずあらゆる『薬』の開発施設になる予定だ。


「ナルがきたぞ」


 ベティエールの声に、机に伏せるように何かを書き付けていたサトミが顔を上げた。

 白衣を着た彼は、見た目からして研究員だが目の下の隈が凄い。

 元々不眠体質なのに、研究に没頭することによって、さらに睡眠時間を削るようになったようだ。身体全体の筋肉も落ちており、以前のように、軽やかに塀を超えることはできないだろう。

 する必要もない。

 今後サトミは、その手で人の命を救っていくのだから。


「どうも。今、報告書を作りますね」

「少し休憩したら? はい、差し入れ」


 持ってきた紙袋を渡すと、机に広げていた諸々をずさーっと横へどけ、紙袋からナル特製のお弁当を取り出すサトミ。

 いつものように勢いよく食べ始めるので、お茶を淹れてあげる。


(サトミが……師匠に似てきた……似てほしくない部分だけ似てきた……)


 やや遠い目をしつつ、近くにあった椅子に座る。

 白衣はよれよれだし、髭も剃ってないし、風呂も入っているのか怪しい。


「ねぇ、しんどいところとかない? 無理してそうに見えるけど、具合はどう?」

「夢蜘蛛の特効薬は四十八時間以内でしたら概ね効くことが研究用マウスで証明されました。ですが人体とマウスは異なりますし、また違った結果になるでしょう。ああ、ですが、微量の夢蜘蛛でしたら、やや時間が経過していたとしても解毒できる可能性があります」

(報告じゃなくて、身体の具合を聞いてるんだけど)


 サトミの報告は続く。

 夢蜘蛛そのものの効力を無効にする特効薬は、今後も改良の余地がある。

 だが、開発出来る可能性がある。

 問題は、ルルフェウスの一件から十年以上経った被害者たちの治療だった。


「彼らの場合は、夢蜘蛛の毒によって人体そのものに不備が出ている状態です。言語のほうは、神経損傷がない限り炎症を抑えて、飲み薬を続けることで回復する兆しが見えます――と、ここまでは前回報告しましたね」

「う、うん。あの、お茶おかわりあるから、ゆっくり食べてね」


 口に白米を押し込むと、もぐもぐもぐもぐと噛んで、お茶を流し込むと、サトミは話を続けた。


「ですが、身体のほうは厳しいでしょう。関節は変形しており、体力そのものも落ちています。私に出来るのは、痛みを抑えることくらいかと」

「痛みがあるのとないのでは、まったく違う」


 ベティエールの言葉に、サトミが目を伏せた。

 そんなサトミの頭を、わしゃわしゃ撫でてやる。


「……なんですか?」

「あのね、設立してまだ一年経ってないの。充分すぎるわよ。あと九年もあるから、その間に彼らの生活の質の向上も目指すし。車椅子とか作れたら彼らの生活の幅も広がるだろうし」

「クルマイス、ですか」

「座ったまま動く自転車みたいなやつ。乗り降りは補助がいるけど、それなりに便利でしょ」


 夢蜘蛛の件は、シロウが王についた際に開かれた披露目のあと。

 各国の代表者を集めて、会議が開かれた。

 多少、美談にしつつ虚偽を混ぜたようだが、そういった毒が存在すること、テロに使われたこと、特効薬を開発中だということなどが伝えられた。

 さらに、大陸国際連合議会、という名の組織が仮稼働を始めた。

 これは、侵略および感染症、に関する組織で、他国への侵略の禁止や、大規模な流行り病などが起きた場合の医療団派遣の協力など、各国で手を組むという、試みの組織だ。

 加盟すれば、条約にあるように何かあったとき同盟国が助けてくれる。とくに、常に侵略に怯える小国は即加盟を表明した。

 かの小国が侵略された場合、周囲の国が侵略した国へ制裁を下すことになる。

 こちらは、まだまだ仮段階だが、ナルが思っていた以上に各国の重鎮らの興味をひいた。

 夢蜘蛛、という、国さえ亡ぼす兵器が存在することを知ったこともあり、脅威に備えて手を取ろうという考えの者も多数いたのだ。

 とはいえ、国家は個人ではないので、あの場にいた者の考えと国家としての考えは変わってくる。

 現在加盟国は、風花国、柳花国、モーレスロウ王国という三大国を中心に、東や西の国々も名を連ねていた。


 問題は次々出てくるし、その対応に追われる日々だが。

 着実に、ゆっくりと、当初望んでいた通りの未来へ、歩み続けている。


 お弁当を食べ終えたサトミが、ふぅと息をつく。

 ぼんやりと眠そうだ。


「落ち着いたなら、身綺麗にしろ。ナルに失礼だろう」


 ベティエールの言葉に、サトミは、「ああ、はい」と気のない返事をした。

 うとうとしているサトミに苦笑して、ナルは近くの長椅子に座った。


「少し寝たら? また眠れてないんでしょ」

「さすが、奥方。気が利きますねぇ」


 サトミもふらふら立ち上がり、ナルのヒザに頭を乗せる。


「ナル、サトミを甘やかすな」

「今日だけよ」

「……三日前にも聞いたが」

「まぁまぁ、倒れられても困るもの。……サトミ、ほんとに無理しないでね」

「安心してください、これでも自己管理はちゃんとしてますから。ですが、睡眠だけは、どうも、まだちゃんと取れなくて……」


 ふあ、と大きくサトミがあくびをする。

 彼から悪夢を見ると聞いたのはいつだったか。『実は、眠ると悪夢を見るので女性の元へ通ってたんです。でも今はそんな暇もないんで、膝を貸してください』と、強引に膝枕で眠ったのは、確か半年と少し前だ。

 そんな事情があったなんて知らなかったナルは、それ以後、ここの責任者ということもあり、三日に一度、こうしてサトミの睡眠を促しにきていた。


 ベティエールはそれが面白くないらしい。

 彼はシンジュを主として敬っているので、ナルが夫以外の男に膝枕をするのが不義に見えるのかもしれなかった。

 ちなみに、シンジュには事情を話して許可を得ている。

 ナルの旦那様は、懐が深く心が広い人なのだ。


 軽くサトミの髪を梳きながら、「気にしないで」とささやく。


「大丈夫だから、今は休んで」

「はい。……なんでしたっけ。ああ、自己管理はちゃんとしてますから。長生きしないといけませんからね」

「あら、良いことじゃない」

「決めたんですよ」

「ん?」


 ごろん、とサトミが寝返りをうつ。

 うとうとした目と視線が合う。


「私、再婚相手になろうかなと。そしたら、奥方ではなく、ナル、と名前で呼べますし。未亡人になったら、プロポーズしますから」

「サトミ!!!」

「ああ、熊が威嚇してますね。私は眠るので、おやすみなさい」

「……おやすみ……?」


 あっという間に、サトミが眠る。

 身体がずしっと重くなったのが、意識を手放した証拠だ。


 ぽかんとしたナルは、首を傾げてベティエールを見上げた。


「ベティ、今のサトミの言葉って」


 まるで、ナルの再婚相手になろうとしているかのようだ。

 ナルには夫がいるし離婚する予定はない。歳が二十歳以上離れているため、順調に歳を重ねれば、まぁ、いずれ未亡人になるだろうけれど。


「まったく。これだから若い者は。元月光華師団棟梁だか知らんが、暗殺されるぞ」

「えっ!? 今の暗殺されるくらい物騒な言葉だったの!? やだ、愛の告白をされたのかなとか恥ずかしい勘違いしちゃった! でもシンジュ様は長生きしそう!」


 確実に告白だ――と、思いながらも、ベティエールは教えてやらない。

 そもそも、ベティエールからすれば寝耳に水である。やたらサトミがナルに近づくと思っていたら、まさかの後夫狙いだったとは。

 ナルは特殊な立場のため、周囲の目が厳しい。そんなナルに、下手にアプローチすれば、何か画策していると思われて暗殺されることだって有り得るのだ。

 ベティエールは、今後サトミへの見張りを強化しよう、と決めた。



 サトミが眠っている間に、ナルは今後研究所へ派遣される予定の医師や補佐についてベティエールと話をした。

 ボランティアに関してやその他報告書をもらい、昼になる前に研究所をあとにする。

 いつもはもう少し滞在するが、今日は巡回の日なのだ。


 自転車に跨って次に向かうのは、貧民街に移築した某貴族の屋敷だ。

 謀反の際、粛清された貴族の屋敷の一部で、現在は子どもたちの学び舎として利用している。


 ちょうど昼休み中らしく、外で遊ぶ子どもたちがいた。


(なんか、見るたびに感激するわ)


 笑顔で遊ぶ子どもの姿を見るだけで泣けてくるなんて、歳かもしれない。

 でも大袈裟ではないのだ。

 これまでは、貧民街では見ることができなかった光景である。

 最初こそ学び舎という場に戸惑っていた子どもらだが、勉強するとお昼ご飯が食べられることもあって、割とすぐに馴染んだ。


「あ、ナルせんせー!」

「ほんとだ、ナルせんせーだ!」

「せんせー!」


 自転車を止めて学び舎へ入ったナルに、子どもたちが集まってきた。

 とうっ、と飛び掛かってくる強者もいる。


「せんせ、あそぼ」

「かくれんぼやろ! 前にせんせーが教えてくれたやつ!」

「俺、すごく隠れるのうまくなったんだ」

「こら、皆さん! ナル先生は、ヤコ先生たちとお話があるんですよ」


 ナルに飛びついてしがみ付いたままの少年をベリッと引きはがしながらそう言ったのは、背の高い青年だ。歳はナルと同じほど。

 見目麗しく、垂れた目尻がふんわりとした優男だ。


「「「「えー」」」」

「それに皆さん、そろそろ掃除の時間ですよ。ああ、そうだ。もし時間が合えば、午後の体育でナル先生にいいところを見せることが出来るかもしれませんね。さて、昼休みは終わりです。掃除を始めますよ!」


 子どもたちが、渋々といった様子でそれぞれ掃除を始める。


「ナル様、ようこそいらしてくださいました。ヤコ先生は職員室にいらっしゃいます」

「ありがとう、いってくるわ。……それにしても馴染んできたわねぇ」


 そう言うと、青年は照れた。

 露骨に、頬を朱色に染めて。


「元々子どもは好きですから。……私の知識が国の役に立つのであればなんでも致しますが、教師というのは私に合っているようです。素敵な仕事を斡旋してくださり、ありがとうございます。この命、ナル様のために捧げる所存です」

「……大袈裟よ?」

「本当に感謝しているのですよ。先王の血を引く私は、処刑されて当然の身でしたから」


 彼は、天馬の息子の一人だ。

 今は名前をロインと名乗り、過去の身分は捨てた。


 半年前。

 後宮は解体された。

 後宮を維持するには莫大な費用がかかるのだ。

 何より、今後結婚という法律を確立していくにあたり、世継ぎのためとはいえ、国王が後宮を持つ必要はないという結論に至った。


 後宮にいた王子と姫のほとんどは、今、新たな役割を得て生きている。


 幼い者は身分を隠して養子に出され、教養のある者は信用のおける官吏の傍で補佐として働くか、ロインのように平民として仕事についている。

 仕事につけないほど幼い者のうち何人かは、平民として都の近くで暮らしながら、この学び舎へ通っている。

 幼いとはいえ、十歳前後の彼らは、自分たちがいかに危うい立場か理解している者ばかりだ。


 平民として暮らせば、嫌でも、事実を知ることになる。

 後宮の外――風花国の民が、どんな生活をしていたか、どんなふうに貴族を見ていたか、ということを。

 風花国民は新たな王シロウを大変歓迎しており、かつては当たり前だった日々がどれだけ荒んでいたのか、苦しかったのかを語り、『貧困を当然に民に強いていた国王天馬』がいかに悪であったか、口々に話すのだ。

 そんな場で、自分は天馬の血を引いているなどと言えば、どんな目に合うかわかったものではない。


 子どもたちには辛い現実かもしれないが、それでも生きると決めたのは彼らだ。

 平民と同じ生活が出来るだけの衣食住は用意されたのだから、あとは本人次第である。


 職員室に入ったナルは、おお、と声をあげた。

 なんだか、ちょっぴり昔の学校みたいなレトロな職員室だ。


 ここへは、一ヶ月に一度のペースで顔を出している。

 ナルが教師にふさわしいと選んだ者が働いているため、仕事面に関しては何も心配はいらない。


「ナル様、おかえりなさいませ。あっ、すみません! ようこそ、おいでくださりました、でした」


 ナルに気づいたハルがそう言って、慌てて口元を押さえた。

 元神殿の諜報員で、後宮で女官をしていた彼女は、現在教師として働いて貰っている。

 何しろ、今の風花国は子どもが多いのだ。

 教師の数もそれなりに用意せねばならない。


「ハルはどう? 困ったこととかない?」

「楽しくやっておりますわ」


 柔らかな笑顔のハルに、ナルは頷く。

 いくつか言葉を交わして、ヤコのもとへ向かった。

 いわゆるお誕生日席に机を構えたヤコは、軽くナルに手をあげる。


「私は一体いつになったら曾孫が見られるのかな?」

「い、いきなりなんですかっ」

「ナルの旦那が結構年上だと聞いてから、実は心配でね。男なんていくつになっても下半身の生き物だから問題ないだろうけど、早く曾孫を見たいものだよ。そう、私がナルの祖父母のなかで一番に曾孫を抱き上げるんだ」


 ついひと月前。

 旅行と称してふらっと遊びに来たジェンマと、たまたまシンジュの屋敷にいたナルに仕事の報告へ訪れたヤコが鉢合わせた。

 最初こそ丁寧に自己紹介を始めた二人だったが、なぜかあっという間に会話がヒートアップ。

 最終的に、どちらが曾孫を最初に抱き上げるか、という口論に至ったのだ。

 生まれてもいない曾孫を想像し『曾孫娘を抱き上げるのは俺だ!』『いや、私だよ。曾孫娘は、絶対に、私が祖母として最初に抱き上げる』と火花を散らしていた。

 二人のなかでは、曾孫は女の子で決定らしい。


 余談だが、ジェンマは現役引退後、風花国に越してくるという。

 貯蓄が趣味のジェンマは、風花国で暮らしていくだけの資金も潤沢である。

 それを聞いたナルは、ふと、心配になった。シンジュやシロウが、引退したジェンマを馬車馬のごときこき使うのではないかと危惧したのだ。

 もっとも、「いくら人不足でも、さすがにそれはないか」とすぐに考えを改めたのだが。


 ヤコから諸々の報告を受けて、まとめてあった書類を受け取る。


「そうだ。紅が、研究所の様子を聞きたがっていたぞ。あそこは関係者以外入れないから、時間があるときに、差しさわりない範囲で教えてやってほしい」


 ナルは頷きつつも、胸中で首を傾げた。

 研究所の何を知りたいのだろうか。


 ナルは、帰る前に紅が働いている調理場へ立ち寄った。

 ここでは、いわゆる給食を作っている。

 まだまだ資金不足もあり、給食は漬物とお粥のみだ。稀にだが、そこに何か副菜が追加される場合もある。

 それでも。

 週に五日、無償で昼食を食べれることは、彼らにとって奇跡に等しい。


 調理場は、後片付けの最中だった。


「あっ、ナル!」


 ナルに気づいた女性が、満面の笑みを浮かべてかけてきた。

 皿を洗っていたらしく、両手が泡だらけだ。

 後宮で、皇王子の世話役として共に抜擢された、後宮同期のランである。

 後宮解体後、平民出身の世話役だった者たちの何人かは、給食を作る仕事に転職してもらった。

 ランも、そのなかの一人だった。


「どうしたのっ、見回り?」

「そんなところ。仕事大変そうね」

「楽しいよ! 後宮がなくなっちゃうって知ったときは、路頭に迷うと思ったのに、今じゃ子どもたちの役にたてて、ご飯も食べさせて貰えるもん」


 健気な子である。

 ナルが行方不明になったあと、ランは必死に、侍女頭補佐として働いていたという。

 覚えられないとベソをかいていた彼女は、短期間で驚くほど成長し、ここ調理場へ転職してからは、本来の彼女だろう、無邪気で素直な姿もみられるようになった。


 さりげなく、ナルの癒しの一つになっている。


「……ラン、さぼるな。皿を洗う洗剤もただじゃないんだ。衛生面のこともある、手早く片付けろ」

「あ、紅主任! わかりました!」


 ランが、「またねっ!」と言って、泡だらけの手を振る。

 ふわふわと飛び散る泡を見て、紅が渋い顔をした。


「やる気だけはあるんだが、小さなミスが多いんだあいつ」

「大きなミスがないならいいじゃない」

「あってからじゃ遅いんだよ。……で、何か用か?」


 紅はヤコと暮らしていた関係で、そのまま学び舎で働くことになった。

 元々ヤコの世話をしていた彼女は、家事全般が出来るため、調理主任として皆の指導をしてもらっているのだ。

 なんと紅は、食中毒対策についても詳しいようで、食材の保管や下処理などもよく知っている。


「実はさっき、ヤコさんから聞いたの。紅が、研究所について聞きたがってるって――」

「わあああああ」


 紅が頬を赤くして叫んだ。

 何事!? と思っている間に肩を組まれて、部屋の端っこへ引っ張っていかれる。


「そ、そういうこと大声で言うなって。ほら、メンツってもんがあるだろっ」

「あ……なるほど、うんうん」


 ピンときてしまった。

 これは、恋の悩みだと。


「彼、元気そうよ。毎日仕事に追われて大変みたいだけど、頑張ってる」

「そうか。……体の具合はどうなんだ?」

「自己管理はしっかりしてるって言ってたけど、一応、見張りも兼ねて定期的に様子を見に行ってるわ」

「な、なるほど。なぁ、ナル。その、あの人の好きな食べ物とか、わかるか?」

「え? 紅のほうが詳しいんじゃないの?」

「おまっ、俺はまだ、あの人と、その、会話もほぼしたことないし」

「サトミのことでしょ? 何言って――――え?」


 悪鬼のような顔の紅が、ナルを見た。


「誰がやつのことだっつったよ! 違うわ!」

「……え。私、てっきり紅はサトミが好きなんだと思ってた」

「心からねぇから。そうじゃなくて、ほら……あの、かっこいいひと」

「ああ、ベティね」


 途端に、ぼふんと音が鳴りそうな勢いで、紅の顔が真っ赤になる。


(そうだったの……でも、そうよね。ベティかっこいいもんね! 問答無用で素敵な男性だものね!)


「わ、わ、わわ、わかってんじゃねぇか!」

「もちろんよ! ……あ、でも、結構、歳が離れてるのね」

「それ、ナルに言われたくねぇし。旦那と二十は離れてんだろ」

「まぁね。それで、ベティの何が知りたいの? 話せる範囲なら教えるわ!」


 久しぶりの恋バナに、ナルのテンションはあがる。

 ベティエールは研究所でもモテており、毎日のように誰かから告白されているのだが、『仕事に生きる』と断言しており、伴侶を持つつもりはないようだ。


「例えば、好きな食べ物とか」

「うーん。なんでも食べるって言ってたような」

「好きな菓子は」

「知らないかも」


 食べ物に関して、ベティエールは然程好き嫌いがないように思う。

 彼は一切の娯楽を絶っているため、美味な食事を好むこともないし、酒も飲まない。


 紅は、残念そうに肩を落とした。

 恋する乙女の仕草に、ナルがきゅんとしてしまう。


「……せっかく料理の腕をあげたから、何か贈りたかったのに」

「そういうのって気持ちが大事だと思うの!」

「現実問題、いらないもの貰っても困るだけだろ。それに……何贈っても、返されそうだけどな」


 どうやら紅は、すでに諦めモードらしい。

 大丈夫、などと、気休めにしかならない言葉もかけられないので、何かいい案はないかと考える。


「じゃあ、クッキーにしたら?」

「へぇ、なんで?」

「ベティは元レイヴェンナー家の料理長で、どんな料理にも精通してるんだけどね。彼の作るクッキーは美味しくて、私も旦那様も大好きなの」

「……ナル」

「ん?」

「相手、料理のプロとか、何を贈っても見劣りするじゃねぇか! ただでさえ受け取って貰える可能性も低いのに!」


 久しぶりの恋バナに花を咲かせつつ、ナルは暫くして学び舎をあとにした。

 月に一度の、学び舎の巡回は終了だ。

 大事な書類が鍵付き鞄にあることを確認してから、自転車に乗って帰宅した。



 帰宅したナルを出迎えてくれたのは、ジザリだ。

 ジザリの隣には執事見習いの少年がいる。名前は、コウ。元十六王子(すめらぎ)である。

 シロウとヤコ、さらにフェイロンという厳しい三人の眼鏡に叶い、先週からシンジュの屋敷で執事見習いとして働き始めた。

 どうやらコウはかなり優秀らしい。


「おかえりなさいませ、奥様」


 ジザリに合わせて、コウも頭を下げる。

 頑張っている姿がなんとも愛らしい。


 まだ十歳に満たないのに、上品な立ち姿と優雅な振る舞いが出来るのは才能だろう。コウならば学問を学び続ければ今後、王宮内で官吏の仕事につくことだって可能だろう。

 だがそれは、本人が辞退した。

 余計な不穏分子を生み出す可能性があるため、そして何より、コウ自身、官吏になることを望んでいないのだと言っていた。


「ただいま! 変わりない?」

「シロウ様がいらしております。今は、客間のほうで旦那様とお話をされております」


 シロウとシンジュはどちらも多忙なので、最近はすれ違うことも多く、あまり顔を合わせていない。

 それが、今日は珍しい。

 何か重要な話し合いだろうか。


「じゃあ、私は邪魔しちゃ悪いわね。部屋に――」

「奥様。一刻もはやく旦那様のもとへお越しください」


 ぬっと現れたカシアが、淡々と言った。

 カシアが足音も気配もなく現れたことに、コウがビクリと驚くのが見えた。


「でも、邪魔にならない?」

「邪魔どころか、行っていただかねば困ります」

「え」

「ここ暫く、奥様が護衛も連れず出掛けておられたことが、旦那様の知るところとなりました」

「あれ? 言ってなかったっけ」

「はい。シロウ陛下も初耳のようで、大変、驚いておられました。……さぁ、奥様。お二人がお待ちです」


 腕を捕まれ、逃がさないとばかりに引っ張っていかれる。

 これは、怒られる予感がする。





 予感は当たった。

 正座をしたまま、多忙なはずの二人に、一時間近くも叱られ続けてしまった。

 危険性やどれだけナルが重要かなど、様々な話を聞き、すべてに「わかったわ」と頷いたにも関わらず、明日から毎日、アレクサンダー、リン、佐梨の誰かが交代で護衛につくことになった。

 わかったわ、って言ったのに。なぜ。

 シロウの背後に立つ、シロウ護衛の銀楼の男がうんうんと頷いているのも解せぬ。


 お叱りが終わり、タイミングを見計らったようにカシアがやってきて茶を淹れる。

 ナル一人のときはどの種類が良いか聞いてくれるのだが、今日は問答無用で最高品質の茶になった。

 国王が来客なのだから、当然だろう。

 カシアが退室し、ここから本題だ。


「さて」


 切り出したのは、シンジュだ。


「例の件に、本腰を据えて取り掛からねばならない」

「例の……と、言うと、大陸を繋ぐ国際機関について、ですね」

「違う」


(……違った)


「そちらは、順調ですよ。さすが我が君。私では、考えも及びませんでした」

「……私が考えたわけでもないんだけどね?」

「前世というやつか」


 シンジュが顔を顰めて言う。

 神殿諸々とやり取りをしているうちに、ナルが転生者であることはシロウやシンジュの知るところになってしまった。

 シンジュいわく、『得体の知れない不気味さの正体がわかった』そうだ。不気味だと思われていたとは、心外である。


「精々、知識だけを提供しろ」


 シンジュは不満そうに鼻を鳴らす。

 彼は、ナルが別の世界で生きた記憶があること――いや、別の世界で生きていたことが、あまり好ましくないらしい。


 シンジュにとっては、十代の少女だったナルの中身がおばさんだったから嫌なのかもしれない、と思っていた――が。


「ふふふ、叔父上。男の嫉妬は見苦しいですよ。例の計画さえ終えれば、その惨めで滑稽な独占欲もマシになるのでは?」


 シンジュの鋭利すぎる視線にものともせず、シロウはナルに言う。


「例の計画とは、婚姻に関する法の制定です。案件は煮詰めて、大臣たちの同意も得たので、近々施行されます。ですが、風花国には唯一無二を愛する習慣がない……まぁ、施行した最初は、赤子の人権や教育、親権などの強化が出来ればよいと考えているのですが……」


「つまり?」

「大々的に、デモンストレーションしましょう! 叔父上と我が君が、風花国初の夫婦として、盛大な挙式をあげるのです!」


 ぽかん、とした。

 当然である。初耳なうえに、モーレスロウ王国で約束した挙式の話はなくなったものだと思っていたからだ。

「でも、そういう見世物みたいなの、シンジュ様は嫌いじゃないかな」


 シンジュを見ると、顎肘をついてそっぽを向いていた。頬と耳が赤い。


「これは叔父上の発案ですよ」

「ええ!?」

「風花国を憂いて、という理由をつけて、愛妻に群がるハエどもを牽制するつもりのようです」

「シロウ、黙れ」


 不機嫌なシンジュとともに、三人で打ち合わせを始める。とはいえ、概要はほぼ決まっており、ナルは賓客並みに「当日楽しめばいい」そうだ。


「我が君、前世では独身だったと伺いました」

「そうね」

「正式な伴侶は叔父上が初めてだ、ということで間違いありませんか?」


 頷くと、シロウはニヤリと笑った。


「聞きましたか叔父上。我が君に前世で恋人がいたとか、前世で肉体関係を持った男がいたとか、そこまで嫉妬している叔父上にとっては朗報ですよ!」

「黙れと言っている! ……そこまで、気にしているわけではない」


 ぷいっ、と拗ねたように視線を逸らすシンジュ。

(私が転生者って知って、面白くない理由って、もしかして……)


「それって、あの。やきもちですか? シンジュ様、やきもちですね! 大丈夫です、私も旦那様の過去の女性全てに嫉妬していますから!」

「…………そうなのか? ふむ。そうか」


 シンジュが、にや、と笑ったので嬉しいのかと思ったが、すぐに眉間の皴が深くなって厳しい顔になる。

 まだ怒っているのかな、と不安になるナルに対して、シロウが「にやけないよう、表情筋に力を入れてるんですよ」と教えてくれた。


 こうして。

 ナルはシンジュとともに、デモンストレーションという意味合いを含めて、大々的な挙式を行うことになったのである。




閲覧、評価、ありがとうございます。

おそらく、あと二話で完結となりそうです。


最後まで見守って頂けると嬉しいです。

宜しくお願い致します!

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