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第三幕 第三章 【10】シンジュとナル②

 この国は、生まれ変わる。

 過去の歴史を守りつつ、新たな国へと。


 その中心の一人にナルはなる。

 決して己の考えや力を過信しているわけではない。出来るかどうかではなく、やらなければならないのだ。


 その過程は困難なんてものではない。

 常に命を狙われ、国家転覆を目論む者も現れるだろう。

 風花国が無事に生まれ変われるまで、ナルたちが、支え続けなければ、あっという間に国は崩壊へ向かう。新たな王が、私腹を肥やすことしか考えない風花国の旧貴族のような思考の持ち主であったならば、その先にあるのは、父の悪行が生温いとさえ思える、阿鼻叫喚の地獄絵図かもしれないのだ。


 ナルたち以上に国を憂い、尚且つ頭が良く、人身の掌握に長けた者が王位を欲するのならば、安心もするのだが、生憎そんな者は現れてくれない。


「……それが、お前の望みか」

「はい」


 沈黙ののち、シンジュが呟くように言った。

 シンジュの視線が、サトミへ向いた。

 それから、リン、アレクサンダーへ。


「他の男と添い遂げるゆえに、私が邪魔なのではなく、か?」

「………はい? え? 違いますよ、何言ってるんですか」


 意味が理解出来ずに、素で返事を返してしまう。

 ナルは今、風花国に残るという話をしているのに、なぜ他の男の話が出てくるのか。


「ナル」

「はい!」

「却下だ、馬鹿め」


 思考が停止した。

 滅多なことでは驚かなくなったナルでも、シンジュの返事に絶句する。


(……なんで?)


 今回は、前回言われたようにナルにとって困るゆえの理由、がしっかりしている。そして、ナルは風花国に残るという意志を曲げるつもりはない。

 すなわち、シンジュの妻として失格であり、シンジュの醜聞にも繋がる。


 ナルは、夫より己の望みを優先したのだ。

 やりたいことをやってばかりの奔放……というよりも、身勝手な妻などシンジュとていらないだろうに。


「あの、私モーレスロウ王国には戻りません」

「だからなんだというのだ」

「シンジュ様、私は風花国で生きていきます」

「それは聞いた」


 はぁ、と露骨なため息をつくシンジュに、ナルはビクッと怯えて体を縮こめる。


「お前の理由は、理由になっていない。もう一度だけ聞こう。私と離婚し、他の男と添い遂げることにしたのか?」

「ですから、それは違うと言いました! そうでなくて――」

「ならば理由にならん。お前は現時点で、ほかのどの男よりも、私を選んでいる……そうだろう?」

「……そ、そうですよ? でもですね、私は風花国に残るんです」

「私もだが?」

「だから一緒にいられなくなるし、ご迷惑を…………え」


 空っぽになったシンジュのカップに、ベティエールがおかわりを注ぐ。紅茶の香りを堪能して、シンジュはカップをソーサーに置いた。


「私は風花国で暮らすことにした。衣食住は確保済み、仕事も手配してある。王都の屋敷と使用人の件も、新たなレイヴェンナー家当主へと引継ぎ終えている。お前が今提示した話だが、私がモーレスロウ王国大公である場合にのみ該当する、つまり、今後は当てはまらん」

「……」

「私が納得できるだけの理由を提示できるのならば、離婚してやろう。次は?」

「……え? ええっと」


 シンジュは、今度は露骨にため息をついた。


「お前は一つしかネタを用意してこなかったのか。それが使えないとなったときのために、奥の手、さらに切り札を用意するのは常套手段だ。その程度で、私に離婚の承諾を得ようとは片腹痛いわ」

「……も、申し訳ございません」

「やり直しだ、出直してこい」

「う、はい」

「言っておくが、私が同意するまでお前は私の妻だ。新居を風花国の都に構えたゆえ、早いうちに越してこい」


 ベティエールから、紙を渡される。

 住所が書いてあるそれを、無くさないようにアレクサンダーへ預けた。

 サトミに時間が迫っていることを促されて、シンジュへの挨拶もそこそこに合流予定場所へと向かった。


 その途中で。


「……ねぇ、私……なんか……え、っと。どうなったの?」


 ぽけっとしたまま足早に進むナルは、シンジュとのやり取りを思い出しながら言った。

 サトミが、フッと笑う。


「言い負かされたうえに、長官はあなたの行動の、さらにうえを(おこな)ったということですよ」

「そもそも、風花国で暮らすことにしたってナニ? 新しい仕事って?」

「ナル、相手は叔父上だぞ。ナルのためならば、何もかも捨てるくらいするだろう」

「………ええー」


 それはない、と言おうとしたけれど。


「俺もそう思う」

「アレク!?」

「シンジュは、ナルが思ってるよりナルに惚れてる。それに、今回の件、シンジュがずっと追ってた案件だよ。ナルが全力で飛び込んだ結果、まぁそれがいいかよくないかは置いといて、片がついたんだ」


 アレクサンダーは、自分の言葉に頷く。


「……シンジュは、兼ねてよりの目的を達成した。今のシンジュにとって、最も大切なのは、貴族や大公の身分でも、刑部省長官の地位でもなければ、モーレスロウ王国でもない。ナル、きみなんだよ」

「私のために、シンジュ様がモーレスロウ王国を離れたって言うの? 流石にないでしょ、それ。シンジュ様は、陛下のために仕えてるんだから」


 ありえないわ、と言うナルに、三人が苦笑する。

 なんだか無性にむず痒くて、そっと視線を落とした。


 本当にシンジュが風花国で暮らすことにしたのならば、シンジュの目的はどうあれ、離婚しなくてよいということか。

 身勝手に行動しまくったナルを、また、妻として傍においてくれるのか。


(……それは、物凄く嬉しい)


 ナルとて、シンジュと共にいたい気持ちがある。

 かなりある。

 こんなにも誰かを愛していると思える日がくるなんて、夢にも思わなかったほどに。


 だからこそ、ナルのように突飛ないことばかり仕出かす、シンジュを一番に選べない妻など、相応しくない。

 シンジュとて、ナルのそんな思いは知っているだろうに。


(シンジュ様こそ、馬鹿なひと。……モーレスロウ王国での地位を捨てるとか、ほんとに、もう……)


 フェイロンのように、実は母方に縁ある地というわけでもなかろうに。


(……お誘いを受けたんだし、あとで屋敷に乗り込もう)


 うじうじ考えても仕方がない。

 そのときに改めて話あえばいい。

 ナルは、迷いを振り払った。こんな状態のまま、内乱の終息始末など出来るはずがないのだ。


 シロウと合流し、誰も触れたがらない馬糞塗れの国王が地下牢へ幽閉されるのを確認する。

 そして、今回の襲撃に加わった者たちに差異がないか確認し、一般の民中心に、被害がないかも調べをやった。


 貴族らをまとめるのは、シロウの役目だ。

 なぜかナルに忠誠を誓うと言い出した銀楼をシロウの護衛につけたし、シロウが連れてきた者達もいるため、かなり安全度は高めだろう。


 シロウは王として表舞台に立つことになるが、他のものたちはまだ決まっていない。

 リンとアレクサンダーはナルに従事してくれるそうだが、今後はナルとて生計をたてるために仕事を探さねばならないのだから、彼らを養う余裕がなかった。


 父のときのように、入念な準備と捨て身の覚悟で挑めたらもっと楽だったかもしれないが、此度はそうはいかなかった。

 他国での情報収集は、自宅より難しいに決まっている。

 何より、ナルはもう、粛清を待つだけの令嬢ではない。



 その日に起きた僅か三時間ばかりの内乱は、のちに【運命の改革日】と呼ばれる。

 これにより、鎖国状態であった風花国は大きく在り方を変え、大陸中の国をまとめる中心国として、台頭していくのである――。





 *





 天馬がナイフを翳し、ナルへ向かって走っていくのをシンジュは高みから見物していた。

 シンジュの場所からは、ジーンが待機している姿まで見えているのだから、ナルの身は安全だろうと理解しているが、最愛の妻が危険な身にあっているのに何もできぬ己が歯がゆい。


 そう思っているうちに、天馬が落とし穴に落ちた。

 ナルが、悪魔のような可愛らしい笑顔で天馬を見下ろしている。


(変わりなく、元気そうで何よりだ)


 天馬に罠に嵌められた件でショックを受けていなければいいが、と案じていたが、杞憂だったようだ。

 元より、ナルはそんな苦境をバネにするくらいの精神は持ち合わせているのだから、わかってはいたが、あの場にいるのがジーンなのが不本意である。


 ジーン、元刑部省長官補佐。

 その実態は、月光花師団棟梁という肩書を持つ男だった――というのを知ったのは、風花国へ特使としてやってきて暫くした頃だ。

 ナルはそのことを知っていたどころか、ナルの子飼いのようにジーンはナルに従順である。

 何か理由があるのかもしれないし、単純にナルに惹かれたからかもしれない。


(ナルは、可愛いからな)


 それだけで理由になる。

 恋は盲目、シンジュはそれを身をもって経験しているのだ。

 現在進行形で。


 ベティエールが用意したクッキーをはみながら、高みの見物を続ける。

 風花国王天馬。

 馬鹿な男だが、その馬鹿さ加減ゆえに大規模な被害をもたらした元凶。

 シンジュが、ロイクに命じて天馬を暗殺させることはできる。だが、その次に王になった者が同じ道を辿らないとは限らない。数日前でいえば、権力にものを言わせた右大臣が、王に成り代わっただろう。右大臣暗殺後であっても、他の大貴族が名乗りを上げたに違いない。


 完全なる天誅と理想国家建国を掲げ、王位継承者が天馬を討つ。

 それが理想的かつ、もっとも今後の被害が少ないだろう。


(……そんなことは不可能だと、思っていたんだが)


 ナルは、理想論を翳して風花国に乗り込み、その理想論を実現してみせた。

 シンジュはナルが風花国に行くと言ったとき、可能な限りサポートをしようと試みたし、己の目的のために動く機会だとも思った。


 だが、結局はシンジュがほとんど動くまでもなく、ナルは今回のことを成した。

 当然ながらナル一人で、ではない。

 ナルに心酔したり、忠誠を誓っていたり、ナルのためにありたいと願う者たちが各々動いた結果である。

 フェイロンが、その最たる例だろう。


 フェイロンは、爵位を従弟に譲ることを条件に、バロックスと取引をした。

 そこへシンジュも加わり、何度も話し合いのすえ、落ち着くところに落ち着いたのだが、シンジュとフェイロンの目的はもとより別。


 フェイロンを動かしたのは、ナルだ。


(……ふん、たらしめ)


 妻に対して、さりげなく不満を漏らす。

 ナルは、会う者みなを、タラシてくる。

 見た目がいい訳でもなく、所作が美しいわけでもない。令嬢というにはガサツで、平民というには頭が良過ぎるうえに行動力もありすぎる。

 どこがいいのかわからないが、とにかく惹かれる。

 そして気づくのだ。

 彼女のなかにある、彼女自身の確固たる意思や思考、魂の輝きとでも呼ぶのだろう、それに惹かれてしまうのだと。

 

 さく、とクッキーをかみ砕きながら、シンジュは胸中で笑った。


(だが、誰よりもナルを愛しているのは、私だ)


 ゆえに。

 もし、ナルが心の底から他の誰かと添い遂げたいと願うのならば――シンジュ自身を、ナルに選ばせられなくなった際には、潔く身を引こう。

 そう、思っていた。




 予定通り、ナルがきた。

 アレクサンダー、リン、ジーンを連れている。

 当たり前のようにジーンがいることに、誰も疑問を抱いていないようだ。


 モーレスロウ王国王城で話したように、ナルから報告を聞く。

 そして――離婚の件も、やはり、切り出された。

 前回はすげなく却下したが、今回も即却下だ。


 シンジュは、モーレスロウ王国を発つ際には身辺整理を終えている。

 フェイロンが秘密裏に神殿の神官長になることを決意して手を回していたように、シンジュとて、ナルが風花国へ行くと決めた日より動いてきたのだ。


 それを、自分が風花国へ残るから離婚したいなどと、鼻で笑う。


(私を舐めるなよ、小娘が)


 主に、シンジュのナルに対する愛情を。

 シンジュが風花国で暮らすことにしたと聞いたナルは、驚いて固まったまま、去って行った。


 離婚には応じないことは納得したようだが。

 かねてより狙っていた黒幕が失墜する姿を目の当たりにし、ナルにも離婚を思い留まらせたシンジュは上機嫌で、カップに残っていた紅茶を飲みほした。


「……さすがです、旦那様」


 ふいに、ベティエールが言った。

 緩慢な動きで視線をやると、以前より遥かに逞しくなったベティエールが微かに微笑んでいる。


「ナルに、自責の念を、抱かせないため、悪役のように、立ち振る舞われた、のですね」


(……悪役?)


 シンジュとしては、これ以上ないほど甘く優しく、ナルを説き伏せたつもりだったのだが。

 一体どこに、悪役の雰囲気があったのか。


「なにより、半信半疑でしたが。ナルは本当に、風花国に、居座るつもりの、ようですね。旦那様の、読み通り、です」

「……甘いナルならば、この国を放っておけまい」


 ナルは此度の目的を成したら、風花国に留まるだろうことは簡単に予想がついた。

 シンジュのために、シンジュの傍に居たいからという理由で、風花国の内部をかき乱すだけかき乱して戻ってきたら、それこそ百年の愛も覚めるというものだ。

 そんな薄情な者は、妻どころか人としてごめん被る。


(甘いナルだからこそ、苦渋の末に、私に離婚を持ちかけるだろうと読んだが、その通りだったな)


 離婚の切り出したときの、ナルの泣きそうな表情。

 我儘な令嬢ならば、迷わず『どちらも欲しい』という場面であっても、現実が見えて地に足がついているナルは、片方しか選べないことを知っている。

 だから、ナルはシンジュと離縁して、風花国を選んだ――。


(……甘えればよいのに)


 自嘲する。

 ナルが離婚を持ち出すことはわかっていたが、願わくば、『風花国に残るので一緒に来てほしい』と言ってほしかった。

 甘やかしてやると言ったのだから、望むものすべてを与えてやるつもりだが、ナルは遠慮深いのだ。

 もっとも、そんなところも彼女の美徳なのだが。


 と、心の底では、他の男に気を移していないか不安だったにも関わらず、シンジュは、まるで不安などなかったかのように、余裕に振舞ってみせた。




 後日、シンジュを残して風花国への遣使は自国へ戻る。

 同時に、バロックスよりシンジュがモーレスロウ王国における官吏すべてを辞任したことを知らされた上層部は、阿鼻叫喚する。

 シンジュは、スムーズにことが進むよう、さも『必ず戻ってきます、尽力ありがとうございます』といった腰の低さで皆に謝罪と礼をしてから、特使として派遣されたのだ。

 だが実際は、モーレスロウ王国を出たころには、実家や屋敷については勿論、辞任という形で退職届を出し、王命によって受理されていた。

 自主退職なので、複数の地位を掛け持ちしていたシンジュには莫大な退職金が支払われており、それもまた阿鼻叫喚の一端となる。

 しかも王命で受理されたとなれば、上層部と国王の間に溝が出来かねないが、そこは国王が頑張った。


――『これまで陛下のために尽くしてきたのですから、これくらいお願いします』


 と可愛い弟に懇願されては(本人にはそう見えた)、叶えるしかない。

 結果として、シンジュの抜けた穴を埋めるのに多大な苦労を弄したが、国王と文官たち上層部の確執はさほど生まれなかった。


 ただ――。

 刑部省長官代理が多忙のあまり『俺も孫のとこ行く……うん、これ終わったら孫のとこへ』という謎の呟きを、終わらぬ仕事の合間にひたすら言い続けたり。

 常日頃から凛々しいと評判の治部省長官は、『ふむ、一杯食わされたな。だが、シンジュをそこまで動かせるナルという娘には興味が湧いた』と、風花国との外交官の一人に己の息子を推薦したり。

 シンジュと敵対しつつも彼の身を案じていた式部省の長官が、「このわしを謀るとはウガー!」と修羅のごとく暴れまくったせいで、一時期、式部省の機能が不能となり部下総出で宥めたり。


 という些細なことがあったくらいだ。



閲覧、評価などなど、ありがとうございます!!


第二幕、ぼちぼち完結です。

第三幕はありません。


実は、元々プロットは第二幕まで作っていたんです。

なので、最初からあちこちに伏線をばらまいていたのですが、第一幕が想定よりギャグ路線になったので。

重苦しい話になる第二幕を取りやめて、コミカルなまま終わろうと思ったのが、第一幕完結時でした。


めちゃくちゃ注意事項を記載して第二幕を書き始めたのですが、想定以上の方に読んで頂き、感激でいっぱいです。

このまま完結まで突っ走ろうと思うので、どうか、どうか、あと少し、宜しくお願い致します!

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