第二幕 第三章 【7】 作戦会議
「いくつか、『師匠』に聞いてもいいですか?」
紅が、震える手で茶を淹れるのを、やや哀れに思いながらナルはフェイロンに言う。
突然、神官長が訪ねてきたのだから、阿鼻叫喚ものだろうに、必死にこらえている姿がなんともいじらしい。
ヤコの家、その中でも広めの座敷部屋に円座となるよう皆が集まっている。
ナルの右側に、アレクサンダー、さらに右側にリン、ヤコ、白着物の神殿関係者その一、フェイロン、白着物の神殿関係者その二、サトミ――で、ぐるりと回ってナルに戻ってくる、というカタチだ。
それぞれが集まったところで、沈黙が降りていたところに、紅が茶を淹れる音だけが響いていたのだった。それではより緊張するだろうと、ナルはフェイロンに、聞こうと思っていたことを先に問うことにした。
「うん?」
フェイロンはこれまでと変わらない様子で、首を傾げる。
身なりや外見は神官長だが、その仕草は『師匠』のものでなんだか安心してしまう。
「爵位はどうなったんですか?」
「ああ、心配はいらないよ。父方の従弟が継いだんだ」
「……いとこ?」
「む。それは――」
リンが目を見張って、顔をあげた。
食い入るようにフェイロンを見たリンに、フェイロンは頷く。
「そう、きみの弟だ」
「で、では、あいつは自由になったのか!?」
「王妃はまだ暗殺を目論むだろうけど。正式にレイヴェンナー侯爵になった今、これまでのように国王が見過ごすことはないだろう」
リンは、呆然としたまま頷くと、乗り出した身を戻した。
(リンの弟って、第三王子よね。奇天烈な性格で、確か不祥事を起こしてどこかに幽閉されてたはず)
リンは王子でありながら、双子だと忌み嫌われて育ち、命を狙われてきた。
王子なのにそんなことあるのか、と思ったこともあるが、双子だからという理由だけでなく、そこには王侯貴族による企みが絡んでいるのかもしれない。
モーレスロウ王国は平和である。
敵が外にいない分、身分や序列などそういったことに拘る貴族は多い。モーレスロウ王国は、お互いに蹴落とすことが当たり前の、純貴族社会なのだから。
フェイロンは、ナルを見て何度か頷いた。
「あまり他言はよくないのだが、第一王妃に少々問題があってな。陛下がそれを憂いておられたので、解放する手立てとして、レイヴェンナー家当主になることを薦めたのだ。……まぁ、私やシンジュをすっ飛ばして、王妃に知られないように手続きするのにかなり時間がかかったけれど」
「……屋敷と王城を行き来してたのは、そのためですか」
「半分は。残りの半分は、交渉だ。私が継ぐはずだった、侯爵家という大層な身分を、バロックス王子の愛する弟君に譲るのだから、それ相応の対価は貰わないとな」
フッ、とフェイロンが麗しく笑う。
これがシンジュならば、完全なる悪役になる微笑みかたなのに、フェイロンがすると美しいの一言に尽きるのだから不思議である。
そして、なんだか美談のようにフェイロンは話したが、つまるところ、爵位を対価にバロックスと交渉するのに、屋敷と王城を行き来していたということだ。
何を取引したのか知らないが、爵位を融通するなど、とんでもない発想である。
レイヴェンナー侯爵がよく許可したものだ。
「……あれ。じゃあ、師匠は本腰を据えて、神官長になったんですか?」
「勿論だ。私はフェイロンを名乗る者だからね」
こて、と首を傾げると、フェイロンが補足をくれた。
「神殿を統べる者は、決まっているんだ。一子相伝でね、基本は血で引き継がれる。私の母は、正式な姫巫女メイを名乗れる者だった。……悲しきかな、母が故郷を捨てた先で生まれた私が、母の力を継いでしまってね。故郷を捨てたことに負い目を感じていた母は、私を定例通り『フェイロン』と名付けたんだ」
「……よくわかりません」
神殿を統べる者には、『あちらとこちらを繋ぐ力がなければならない』という。
そして、その力を持つ者は、この世でただ一人だけ。
基本は子へと受け継がれるが、稀に親戚の誰かに受け継がれることもあるという。そして、引き継いだ者が不慮の事故で亡くなった場合、その時点で、もっとも適した者が『あちらとこちらを繋ぐ力』を得るのだという。
(ファンタジーだわ)
神殿は、ただ歴史を管理するだけの場所ではないらしい。
もっとも、ナルにはいまいち、『あちらとこちらを繋ぐ力』がなんなのかわからないけれど。
さらに聞くと、神官長になる者は生まれた時点でわかるようで『フェイロン』と名付けられ、神官長の地位についたとき『神官長ヒリュウ』を名乗ることが出来るらしい。巫女の場合は『ヤーイー』と名付けられ、『巫女姫メイ』と名乗るという。
ちなみに、フェイロンの前任であった神官長は『あちらとこちらを繋ぐ力』が弱く、フェイロンの名も与えられていなかったため、『神官長ヒリュウ』を襲名できなかったという。
ただの『神官長』と『神官長ヒリュウ』では、発言力や身分、与えられた権利に、天地ほどの差があるということだ。
「つまり、師匠は正式に神官長を継ぐ立場だったんですね。でも、どうして今になって?」
「腹を括ったんだ。私も、いい加減に目をそらすのを止めようと思ってね。ちなみに風花国には、シンジュと取引をして密入国してきたから、今回の行動は私の独断だよ」
「取引……?」
密入国の手引きをシンジュがした、というのはどうも信じられない。
フェイロンが言うのだから間違いはないだろうが、密入国の手引きは重罪だ。シンジュが手を貸すなど、よほどの取引をしたのだろう。
黙り込んだナルに、フェイロンは笑みを深めた。
「あいつも結婚して、変わったね。新妻が愛しくて仕方がないらしい」
「はい?」
「……なんにせよ、神殿は私が掌握したからね」
風花国では、とてつもなく重要視されているという『神殿』。
ナルが今後どんな行動を起こすにせよ、もっとも気にしなければならないことの一つだった。
(まさか、こんなにあっさりと神殿が協力してくれるなんて――)
もしかして、ナルが動きやすいように、フェイロンもシンジュも配慮してくれたのだろうか。
シロウが謀反を企てているように、あの二人は神殿側を抑えておこうと――。
(なんて考えすぎか)
シンジュやフェイロンがナルのために、危険を冒して動いてくれたなど考えるのは愚の骨頂。
そこまで自分が優遇されると思うほど自惚れてはいない。
きっと、それぞれ思惑があるのだろう。
ふと、サトミが立ち上がった。
「誰か来ましたね、見てきます」
「私が行こうか」
「奥方の護衛をお願いします」
真剣な表情のリンに、サトミは苦笑して答え、部屋を出て行った。
「……今日はお客が多い日みたいだねぇ」
ヤコが、やれやれといったように呟いた。
当たり前のようにフェイロンを家に誘ったが、ここはヤコの家である。
申し訳なくなってきたが、開き直ることにした。
終わったことを悔いても仕方がない。
「敵ではないようだから、いいじゃないか」
リンが言うと、ヤコがじと目でリンを睨んだ。
ヤコにとっては、敵とか味方以前に、家にあがってほしくないのだろう。静かな生活を望んでいるようなことを、以前言っていたし。
なんとなく気まずい空気が流れて、来客を待つが、なかなかサトミは戻ってこない。
遅いわね、と心配になって呟くと、リンは「麓まで迎えにいってるから、まだかかると思うぞ」と笑顔で言い、ヤコに頭ぐりぐりの刑に処されていた。
どんな遠くまで気配を読んでるんだと驚くと同時に、先に言ってほしかったと思う。
(さらっと出迎えに行ったから、庭だと思うじゃないの……)
「あ、そ、そうだ。師匠。もしかして師匠の名前って、こう書くんですか?」
ナルは、ふと思いついて、アレクサンダーが素早く用意した紙にペンで『飛龍』と書いた。
ヒリュウとも読むし、フェイロンとも読む。
日本語が混ざった本は、神殿が作っていると聞いているし、もしかしたらと思ったのだ。
ドヤァ、と自信たっぷりに紙を見せたナルは、固まったまま動かないフェイロンに気づく。
「あれ、違いましたか……?」
「ナル」
「はい」
「実家がシルヴェナド家だと私に隠していたな」
「えっ」
今それを持ち出すの? と焦るナルに、フェイロンは続ける。
「しかも、ナルは転生者なのか」
「転生者?」
「前世の記憶を引き継ぐ者のことだ。元より神殿は、歴史、秘術、文化継承及び保護が目的だが、それともう一つ、転生者の保護という目的があってな。とはいえ、長い年月の間に廃れてしまった役割であり、現在は撒き餌のごとく本を出版するだけなんだけど」
「えっと……撒き餌?」
「僕がご説明します」
頭を押さえるフェイロンに代わり、白着物の男の一人が答えてくれた。
「神殿は出版される本の一部に、日本語を混ぜているのです。かつてそれは、転生者を極秘裏に集める手段の一つでした。ほかにもいくつか同時進行にて転生者を探す手段があったとのことですが、今はなくなっておりまして」
つまり、転生した者のほうから寄ってくるように、『撒き餌』を撒いていたというわけだ。
当然、かつては本以外にも様々な『撒き餌』を神殿はばら撒いていたが、今では神殿の在り方も変わり、それらは失われているという。
「本来転生者の存在は、秘匿とされています。なので、こちらも大手をふって、『転生者の方はこちらへ』とは言えないのですよ。回りくどい手と思われるかもしれませんが」
(なるほどねぇ)
言い分はわかるが、理解できない。
転生者をなぜ集めるのか、なぜ存在を知っているのか。
日本語の本、という時点で転生者は全員が日本人ということになるのだが、それもおかしい。
「ですが、神殿の在り方も変わってきており、現在は転生者探しはほぼしておりません。神殿の重要業務の一つですので、ニホン語を混ぜた本の出版のみ続けているのですが……」
「やっているぞ、という建前程度のものだな」
言いにくそうにした白着物の男の言葉を、フェイロンが引き継いだ。
そしてナルを一瞥して、軽く息をつく。
「ナルが転生者と知っていれば」
「……そんな事情、知らなかったんです。それに、前世の記憶があるなんて言ったら、火あぶりにされるかもしれないじゃないですか」
魔女狩りのごとく。
「なぜそんな責め苦を行うんだ!?」
ぎょっとした目で見られて、ナルは憮然とする。
火あぶりという発想がおかしかったのか、ヤコやアレクサンダーも驚き、白着物の男たちは片方が引き気味で、片方がきらきらと瞳を輝かせてナルを見ていた。
きらきら見られる意味はよくわからないので、深く考えないでおく。
フェイロンは、ナルの書いた『飛龍』の字を見て、頷いた。
「……その字であっている。ナル、すべて片がついたら神殿に招待しよう。転生者ならば、この世について知っておいたほうがいい」
ことのほか真剣なフェイロンの口調に、ナルも神妙に返事をした。
「興味ないので」
素早く伸びてきた手が、ナルの顔面を掴んだ。
(ぎゃああああああ)
めりこむ指。
これはあれか、レイヴェンナー家では皆するのか。シンジュにもされた記憶があるのだが。
そこはかとなく怒りのオーラを醸すフェイロンが、笑顔でもう一度聞いた。
「すべての片がついたら、神殿に招待しよう」
「よろこんで!」
すっと手が離れ、いい子だというように頭を撫でられた。
フェイロンが普段以上に容赦なくなっている気がする。
彼が纏っていた鬱屈とした雰囲気が消えているというか、一皮むけたというか、開き直ったというか。
何にせよ、いい傾向だと思うので、弟子としては素直に嬉しかった。
そんなことをしていると、サトミが戻ってきた。
サトミの後ろをついてきたのは――。
「ご無沙汰しております、我が君」
にっこりと微笑む、モノクルをつけた女性。
紛れもなく、シロウだった。
さらにシロウのあとから、見覚えのあるようなないような男が、辺りを警戒しながら入ってくる。
どうしてここにシロウが、と驚くナルの隣、サトミが居た場所に座るシロウ。
サトミは不機嫌さを隠しもせずに、ナルの反対隣り――アレクサンダーとの間に座った。空気を読んだアレクサンダーが場所をさりげなく譲ったのだ。
シロウのあとから入ってきた男は、所在なさげに扉の傍に座った。
いつでも立ち上がれるよう、浅く膝をつく姿を見て、シロウの護衛だろうかと胸中で首をかしげたが、あえて触れず、ナルはシロウに笑顔を向けた。
「シロウ、どうしてここに? っていうか、無事? どこも怪我してない?」
「お心遣い、痛み入ります。我が君の優しさに触れ、喜びに胸が熱く心音が高まるばかり――」
「病気じゃないのか」
「黙りなさい、アレクサンダー殿。これは、愛しい我が君に対する忠誠の証。愛です」
「……」
アレクサンダーはまた空気を読んで、黙り込んだ。
シロウは少し会わないうちに、なんだか大袈裟になったみたいだ。
「恐縮ながら、わたくしは至って健康です。そして、ここへ来た理由ですが、王の私兵であるはずの銀楼がわたくしのもとに参りまして。我が君が、無実の罪を着せられるところだったと知り、遅ればせながら、参上致しました」
つまり心配で来てくれたということだ。
どうやって、警戒されているだろうにここまでこれたのか謎だが、このタイミングで会えたのは大変ありがたい。
この隠れ家に関しては、銀楼たちが場所を知っていたという。
国王天馬の命令で、時次郎の動向を定期的に調べていた延長で、時次郎の姉であるヤコのことも現在進行形で定期的に調べているとのことだった。
それを聞いて、あ、と小さく呟いたナルは、ドアの傍に浅く座る男を見た。
「……あなた、さっきの」
ナルの声で、皆の視線が男へ向く。
男は目をぐっとつぶったあと、意を決したように頭をさげた。
「渡月家の当主をしております、佐梨と申します」
「渡月家だって!? あの、諜報専門の国王の私兵じゃないか」
驚きの声をあげたのはヤコだ。
この男は、ついさっきナルを王命で殺人犯に仕立てるためにやってきた『銀楼』の隊長格の男である。
話を聞けば、シロウをここまで案内してきたそうだ。
ほかにもシロウの護衛はいるが、サトミと会ったことで護衛を交代し、山の麓で待機しているという。
(一応ここ、隠れ家なんだけど)
国王天馬がとっくに知っていて、定期的に調べをやっていたことに驚いたが、その調べにやっていた部下にあっさり裏切られてしまうとは。
王の力量が窺えるというものだ。
「そんなに凄い人なんですか?」
聞くと、ヤコは大きく頷いた。
「貴族ではないけれど、戦闘や諜報に特化した一族だと聞いている。一族すべてが王に忠誠を誓い、王のために生きているとか。確か、渡月家の一族で構成されたのが『銀楼』だったかな」
「その通りでございます。……一つだけ、補足を。渡月家一族は、隠し里で暮らすすべての者を示します。我らの国王に対する忠誠は、国を安寧を導くために初代国王との間に交わされた契約に基づいております」
(貴族じゃない、って辺りで驚いたけれど。忍者みたいな感じなのかな。甲賀とか伊賀とか)
佐梨が言うには、現在の王は初代国王との契約違反が多く、一族の間でも忠誠を誓う必要性がないという決断に至ったらしい。
元よりナルを犯人に仕立てる命令を聞いたあと、天馬を裏切る手筈だったという。
彼らの忠誠は、国に安寧をもたらす王に捧げるものであって、天馬はその対象から外れたのだ。
そして彼らは、次期王となるシロウの元へ向かった。
なるほど、と頷いてから、ナルは不安そうに自分を見ているシロウに微笑んだ。
「私は無事だったの。丁度いいから、このままシロウも話し合いに参加してほしいんだけど」
「国王天馬の件ですね、承知いたしました」
その場の空気が、引き締まる。
皆がこの話し合いがどれほど重要か理解しているのだ。
「では、わたくしから報告を――」
シロウは、今回の訪問で国王天馬が怪しいと気づいたという。
だがそれも、謁見をしていくつか言葉を交わし、国の様子を確認したあとだったらしい。そして、様々な調査をした末に確信したが、この重要な事実をナルに報告する手段が見つからない。
もしものときのために、シロウにはナルがどこへ向かうのか一切教えていなかったのだ。これはシロウの身の安全のためである。万が一ナルたちを引き入れたことが知れても、『勝手に潜り込まれていた』と言い張ることが出来るように。
だが、それがあだとなり、連絡が取れない事態に陥ってしまった。
シロウは考えた。
ナルの目的は最初から『黒幕を公的に罰すること』だ。
それならば、ナルの意を汲んで動くのが自分の役目であると。
そしてシロウは行動に移す。
その行動というのが、いつでも国王天馬を追い落とす算段を整えておくことだった。
自分が天馬が黒幕であると伝えずとも、ナルならば自力でたどり着くだろう。そのとき、すぐにでも対応できるように、準備を整えておく必要があると考えたのだそうだ。
「現在、左大臣を含む上流貴族の三分の一がこちらに寝返る算段です」
そう言って一つの巻物を取り出すと、びろーん、と床に広げてみせた。
そこには、風花国の貴族らの署名と血判があった。
「こちら、誓の証でございます。裏切り者が出れば、粛清を成した暁に処罰致す所存です」
にやり、と悪い顔で笑うシロウ。
その笑顔は、どことなくシンジュを彷彿とさせる。
「シロウは刑部省の精鋭隊でも、腹黒いと有名だったんですよ」
さらりとサトミが教えてくれる。
少しみない間にシロウが強かになったのだと思ったが、元よりこんな性格なのだそうだ。
ナルは巻物を見て、頭のなかにある貴族の名前を照らし合わせていく。
有力な貴族、末端の貴族、様々だ。
「そして、こちらを」
今度は、懐紙にシロウの筆跡でいくつもの名前が書いてある紙を渡された。
「こちらは、日和見貴族です。害はないですが、転びようによっては敵に回るでしょう。それから――こちらを」
また別の懐紙を渡される。
そこには三つの家名と当主の名前があった。
「これらの者たちは、国王を利用してかなり懐を温めているようです。右大臣と大差ない悪党かと」
ナルはそれぞれの名前を確認したあと、懐紙を他の者たちにも回した。
天馬側についているという三家だが、なかなかの有力者だ。資産も歴史もある大貴族のため、兵力も侮れない。
その後、シロウの考えた作戦を聞いた。
シロウは、国の現状を打破するために立ち上がる正義の王族という『設定』で、謀反を起こすつもりでいるようだ。
それを聞いて、ナルは黙り込む。
神殿が協力を申し出てくれた時点で、謀反の理由は充分だ。誅殺とし、完全なる正義で押し通す。
これは内乱という戦争なのだから、当然兵力が必要になる。
こっそり忍び込んで暗殺という手もあるが、それでは国民や他国に、何が起きたのかアピールできない。
堂々と正面から、国王天馬を排除する――。
それが、黒幕を公的に罰する唯一の手段といえた。
「――我が君」
「ん?」
考え込んでいたナルをどうとったのか、シロウは姿勢をただし、ナルを真っ直ぐに見つめた。
「我が君の判断に、わたくしは従います。もし、目的を変更及び中断なさるのであれば、それもまた、ご命令通りに」
(変更及び中断?)
目の前に広がっている巻物からもわかる通り、引き返せないほど準備は整っている。
何より、このためにやってきたのだから、中断する理由はない。
ふいに、フェイロンと目が合った。
彼は苦笑しながら言う。
「これは内乱だ。人が死ぬ」
(……ああ)
シロウに、安心するように微笑みかけた。
「……我が君」
「今回の一件で、多くの死傷者が出るでしょう。そして王が変わる」
ナルは、胸の前でぐっと拳を握り締めた。
「――そして、歴史が変わるの。シロウが王となった暁には、国政を大きく変える必要がある。今の国家体制は、はっきり言って不愉快なの」
「不愉快、ですか」
驚いたのは、フェイロンの傍にいた白い着物の男たち。
そして、ヤコだ。
「大きな反発もあるでしょうし、危険も付きまとう。誰が敵に回るかわからない。そんな日々を過ごすことになる」
争いとは、ただ剣を交えるだけの遊戯ではない。
死傷者は出る。
何より重要なのは、争いが終えたあとだ。国家を替える争いを仕掛けるのだから、その責任は取らねばならない。大きな管理体制の変化、貴族待遇や平民貧民の格差問題、国法そのものの見直しなど、『なんのために謀反を起こすのか』という理由から目をそらしはしない。
天馬を公的に処罰したいというのは、ナルの私怨だ。
それを止める気はない。
だからといって、天馬を倒すのは私怨だから、その後のことは知らないから勝手にやってね、などと言うほど、ナルは愚かではなかった。
謀反、天誅、そういった理由で王を狩るのだ、後処理まですべて全うするのが当然だろう。
シロウが引き続き矢面に立ってくれるようで、ナルとしては胸が痛むばかりだが、風花国の未来を背負うためにはシロウの協力は必要不可欠だった。
人々の恨みは、シロウへ向く。
それは必要悪でもある。
今の絶対王政が続くとなれば、近しい未来に国は途絶えるだろう。搾取される側は、不満を募らせることさえ困難なほどに疲弊している。奴隷階級ともいえる貧民やその他領土の者たちが減れば、貴族同士で争いが起き、国は益々壊れていく――。
そうなれば、もはや立て直しは困難だ。
その前に王をすげ替え、大々的に国法を定めて、貴族らの悪意をシロウに集める。とはいえ、シロウへ悪意を向ける者以上の賛同者がいるのもまた、確実だ。
近い未来。このままでは、風花国は国家そのものが崩壊する――これはナルの勝手な考えでしかないが、ありえる未来の一つでもあった。
こじつけと言われればそれまでだし、ナルが現状を不愉快に思っているのも確かなのだが。
「我が君の決意は、やはり、揺るぎませんね」
「わかってたの?」
シロウが微笑む。
王を下し、新たな王をたてる。
ナルは裏からシロウを支え、フェイロンの言うところの陰の権力者となるだろう。
そうなれば――モーレスロウ王国に帰ることはできない。
こちらでやることが多すぎて、戻る時間も余裕もなくなる。
(……旦那様は、ここまでわかってらしたのかな)
モーレスロウ王国の王城で、離縁の話をしたことを思い出した。あのときは、何を言っているんだろ、と思ったけれど――。
思い出してズキリと胸を痛めたが、すぐに首を振って考えを追いやった。
王を討ったあとのことよりも、今は打算を考え、計画を練らねばならない。
ナルはそれぞれの話を聞いて、入念に差異がないか計画をつめていく。
神殿側の兵力、シロウが寝返らせる者たちの兵力、そして暗殺系が得意だという『銀楼』。
地図を用いて、戦略を定めた。
神殿が、敵に回る貴族らを止め、シロウが王宮を制圧。
王を捕らえるというのが、ざっくりとした概要となった。
もっとも重要なのは、平民に被害が出ないようにすることだ。シロウが寝返らせるという貴族で戦力をもつ者は、民の安全確保に動いてもらうことになった。
それから、もう一つ重要なのが、敵対貴族への降伏勧告という最終通達だ。
諸々の取り決めをしたあと、ナルはふと思う。
(……国王天馬か)
なぜ、ルルフェウスの戦いで毒をばら撒いたのか。
なぜ、簡単に命を奪えるのか。
なぜ、ベティエールを狙ったのか。
そして――時次郎と、何があったのか。
知りたいと思ったが、無理に聞き出すほどではない。
ナルが求めるのは、真実を明確にすることではなく、黒幕を公的に粛清することなのだから。
ふ、と口の端をつり上げたナルを、その場にいる者たちはそれぞれ違った視線で見ていた。
アレクサンダー、サトミ、ヤコは呆れたような顔をして。
リン、シロウ、白着物の男の一人は、恍惚とした表情をして。
佐梨ともう一人の白着物の男は、顔を真っ青にして。
ナルはそれらに気づかない――。
シンジュの笑みが魔王のようであると思うナルだが、こういったときに微笑むナルの笑みは、魔王を超越した別次元のナニカなのだ。
まさに絶対君主。
魔王さえ恐れぬ聖人であり、だからといって勇者というわけでもなく。
(……支配者。裏の絶対的支配者だ)
佐梨はそんな感想をもち、ごくりと生唾を飲む。
佐梨は、ナルが自害の介錯を望んだことを思い出した。自害とはつまり、魔王に魂を捧げる行為。死後も苦痛にもがき、その苦しみを食う悪魔の餌として、永遠の苦行にさらされるという。
この女は、己の野望を達成できぬのならば、そんな地獄さえ望むという。
しかも、軽く笑って冗談のように言ったように見えたが、あの目は本気だったと佐梨は言い切れる。
恐ろしい、と佐梨はぶるりと震えた。
(逆らってはならん。そう、里の者に伝えねば)
ここにいる者たちの顔ぶれを見たときから、察していた。
シロウが次の王だと考えていた佐梨だが、実際はそうではなかったのだと知った瞬間、王命だったとはいえ自分がなんと恐ろしいことを仕出かそうとしたのか理解したのだ。
この二十歳にも満たないだろうナルという少女は、シロウから忠誠を捧げられ、あの神殿をも味方にしている。
こうしてナルは、知らないところで新たな私兵を得たのだが、本人はまだ知らない。
さらに言うと、自分を崇拝する人物も増えたのだが、それも本人は知らないことだった。
個々の心理まで正しく読み解いていたのは、フェイロンのみ。
フェイロンは、生暖かい目で邪悪な笑みを浮かべるナルを見ていた。
(……こっちはこっちで、ひと騒動起きそうだな)
フェイロンは、愛弟子に同情的な目を向けたのだった。
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