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第二幕 第三章 【6】陰の権力者

「ぬうううううっ!」

「……変な雄叫び、上げないでもらえます?」


 サトミに憧れのお姫様だっこをされながら、ナルは叫んだ。

 人ひとり抱きかかえているとは思えない身軽さで、屋根の上を移動するサトミはまさに忍者。

 だが今は、そのことに感心する余裕がナルにはない。


 シンジュたちがさっさとあの場を去ったあと、様子を窺っていたサトミに連れられて脱出してきて現在に至るのだが。


「まぁ、長官にも事情がありますし。愛しい旦那様にあっさり置いていかれたからと、そう悔しそうな声をあげなくても」

「違うから、そこじゃないから!」


 ナルはサトミを軽くねめつけた。

 シンジュに置いてきぼりにされて恨んでいるなど、そんな見当違いな怒りを抱いていると思われるのは心外である。

 あの場は、あれでいい。

 シンジュとナルは、別々の理由でここにいる。

 それが突然、行動を共にするなどなれば、お互いの計画が破綻しかねないではないか。そうなれば、これまでの苦労が水の泡だ。


「じゃあ、なんです? ほら、私が聞いてあげますから」


 なんだか少し小馬鹿にされている気がしなくもないが、ナルはむぅと頬を膨らませて不満を露わにした。


「あっさり罠にかかった自分が情けないの。さらにいうと、あの王様、絶対に許すまじ!」

「ああ、なるほど」


 ナルの怒りは、風花国の王に向いていた。

 あっさり罠にかかった自分の愚かさは、右大臣が怪しいと思い込んでいたことによる己の不足が招いたこと。だが、仲間であったはずの右大臣を殺害し、その罪をナルに着せようとした王は万死に値する。

 仲間だとか、友情だとか、勝利だとか、そんなことを重要視しているわけではない。

 ただ――ただ、とにかく、許せないのだ。

 ナル自身、なぜこんなにもあの王が許せないのかわからない。


 父や元ベルガン公爵に向いた怒りとは、また違う種類のもののような気がする。


「ぬううううう!」

「その奇怪な叫び声、あなたが本気で怒ってる証拠なんですね。……悪女ってこう、もっと不敵に笑うものだと思ってましたが」

「人間が本気で怒ると、自制が効かなくなるのよ!」

「はぁ、まぁ、正論ですね」


 サトミはため息をついて、ナルを見下ろして苦笑すると。

 人様の屋根の上で足を止め、ナルの額目掛けて思い切り頭突きをかました。


「――っ!」


 声も出ない痛みに、悶絶する。


「落ち着きました? 静かにして貰わないと、一応深夜ですし」

「……めっちゃ痛い」


 サトミは再び、軽やかに駆け出す。


「あなたが自分の軽率さを嘆いているのは理解しました。ですが、ご安心を。元々、私としては想定内なので」

「私がヘマをしでかすってわかってたってこと?」


 どうせ潜入とか初心者だし、と思って不貞腐れたナルに、サトミが不敵に笑う。


「まさか。あなたはヘマをするほど愚か者じゃありませんよ。実際、今回の潜入も見事なものでした。拝師との連絡手段を咄嗟に変更した手際のよさ、侍女頭として対応できる有能さを発揮しつつ、自然な振る舞いが出来ていましたし」

「……へ?」

「今回、毒諸々の調べは粗方終えていたので残りを部下に任せて、私は後宮に潜入してたんです」

「え。えええええええ、切ったの!?」

「切ってませんよ!」


 はぁ、とサトミはため息をつく。


「お忘れかもしれませんが、私は他者に成り代わることも出来るんです。すでに宦官登録している者に変装しただけで、断じて、切ってません」

「……そう。ん、え、待って」


 ナルは後宮に潜入した。

 そしてサトミも潜入していた。サトミはそれを想定内だという。


「……もしかして、最初から花夏目家って訳ありだった?」

「ええ」

「じゃあ、花夏目家から推薦された私って」

「王としては、面白くないでしょうね。なんらかの嫌がらせを仕掛けてくると踏んで、あなたを囮、こほん、あなたの護衛として見守ってたんです」


(今、囮として見張ってた、って言おうとした……)


「……王が動けば、王に付随して動く者が必ずでますから。そこから右大臣家を探っていくのが確実でした。ですが、右大臣は暗殺。黒幕が、王であるという確証を得ました」

「やっぱり、風花国の王が黒幕で間違いないのね」

「ええ。確たる証拠も掴みました。それに、あなたを処刑しようとした部隊は、王の私兵でもあります」


 そういえば、とナルは思い出す。

 王の私兵という彼らは、とぼとぼと力なく帰って行った。もし彼らが、王へシンジュの言葉を伝えれば、シンジュの立場が悪くなるのではないか。

 そんなナルの不安を察したサトミは、付け加えるように言う。


「彼らなら、王の元へは戻りませんでしたよ」

「……王の私兵なんじゃないの?」

「彼らは、『銀楼』という栄えある王直属の少数精鋭隊で、いわばエリートですね。王は私兵として長年彼らを手駒にしてきましたが、彼らとて感情がありますから。今回の件で王を見限ったんでしょう。……おそらく、()()()()の元へ向かったのではと思われます」

「待って。なんか色々と……ジ……サトミ、あなた私に黙ってることない?」


 サトミは、にっこりと嘘くさい笑顔を向けてきた。


「奥方。我々はあなたに忠誠を誓ってるんですよ? あなたが動くと決めたとき、すぐに動けるよう準備するのもまた、部下の役目じゃないですか」

「いやもう、これ、上司と部下っていう関係じゃないわよね?」


 やや暴走してない? とナルはため息をつく。

 優秀なサトミは、ナルの潜入するという意気込みをくみ取って、ナルを囮にしてまでナルの目的を遂行したらしい。もはや鬼畜である。

 そして、彼の言う『新たな王』というのは、消去法で一人しかいない。

 シロウだ。

 後宮で聞いた、王が謀反を警戒しているという話は、実際にシロウにそのような言動が見受けられたからだろう。

 ここでもし、シロウがただ暴走しているだけならば愚か者として切り捨てることになるが、あいにく、シロウはとても頭が切れる。

 元刑部省精鋭隊副官は伊達ではない。

 つまり、シロウが謀反を企てるように動いているということは、彼女はすでに王が黒幕であると知っており、尚且つ追い落とす必要があると判断したのだろう。


(シロウ個人の願望?)


 シロウと過ごした僅かながらの日々を思い出して、胸中で首をふる。

 彼女は、ナルに忠誠を誓うと告げた。

 シロウが命がけで動くのならば、それはナルのために他ならない。


「ねぇ、王がルルフェウスの戦いやその他の悪事に加担していた証拠って、あるの?」

「あるにはありますよ。王が黒幕である、という証拠として、右大臣への命令書が。ただ――」

「傀儡として、『書かされた』と言えば、なんとでもなる、か」

「ええ、これまで右大臣が派手に動いてきた分、王は傀儡として知れ渡ってますから」


 動いていたのは、あくまで王の私兵くらいだという。

 私兵ゆえの忠誠心を、変な意味で見込まれたのかもしれない。


(……だから、焦って右大臣を殺害したのね)


 死人に口なし、右大臣が死ねば王が犯していた悪事が露呈せず、すべて右大臣の単独だと言い張れる。

 もし王があらゆる悪事に手を染めていたならば、シロウという新たな王が謀反を起こす大義名分がたつだろう。

 謀反を起こすにも、大義名分があるのとないのとでは、大きな違いがある。


(馬鹿な王)


 ナルは鼻で笑う。

 シロウの行動を詳しく知り、連絡を取らなければならない。

 それから、例の神殿関係のほうも探りを入れて――。


 諸々の計画を頭のなかで計算し、はじき出したナルは、ふと、顔をしかめた。


「そういえば、王はなんで花夏目家を嫌ってるの? 本人は、時次郎さんと友だった、って言ってたけど」

「その辺の事情はよくわからないんですよ。ですが、時次郎の処刑は王命でした。……右大臣の傀儡として仕方なく下した命令だと思っていたのですが、そうではなさそうですね」

「ううーん。花夏目家っていうより、時次郎さん個人を恨んでる……?」


 そんな話をしている間に、あっという間に山の麓へたどり着いた。

 自分で歩くと言ったナルに、サトミは「遅いのでつくまで我慢してください」と抱きかかえたまま運ばれる。

 今更ながら、お姫様だっこに照れていると「やはり肉付きが悪いですねぇ」と言われ、憮然とした。


 そんなやり取りをして山奥の屋敷へついたナルたちは、ヤコの屋敷の前に立つ三人の男たちに気づいた。

 対応に出てきた紅が、恐怖と戸惑いに顔を引きつらせている。

 どうやら、来訪者が来たところに、帰宅してしまったらしい。


 ナルは目を眇める。

 来客は、白い着物姿の男が二人と、白地に銀糸で不死鳥の刺繍を施した着物姿の男が一人。


「あれは、神殿の制服ですね」

「神殿? どうして、神殿関係者がここに――」


 呟いた瞬間、ふいに、一番偉いだろう不死鳥の着物姿の男が、ナルたちを振り返った。

 茂みに身を潜めていたにも関わらず、バッチリと視線が合うほどピンポイントに振り返ったことにゾクリとしたのは、ほんの数秒だった。


「……え」

「まぁ、予想はついてましたけど」


 あんぐりと口をひらくナルと、呆れたようにため息をつくサトミ。

 そして――。


「ナル! よかった、会えないかと思ったぞ」


 物凄く眩しい笑顔でナルに手を振ってみせるのは、十年以上に渡ってナルがお世話になっている(お世話してもいる)、フェイロンその人だった。


 ぽかんとしていると、サトミに促されて立ち上がる。

 茂みから出た瞬間、白い着物姿の男たちが、フェイロンを守るように前に出た。


 そんな彼らの肩を叩いたフェイロンは、下がってて、と手で合図する。

 大人しく二人の男は下がった。


 傍までたどり着く前に、フェイロンのほうからやってくると、ぽん、とナルの頭に手を乗せた。


「よく頑張っているな。さすが愛弟子だ」

「……師匠」


 シンジュから貰えなかった労いの言葉をもらって、涙腺が緩みそうになる。

 だがすぐに表情を引きしめて、フェイロンを見た。

 風花国で見た、どの着物とも違う。

 白地の着物でも、フェイロンが纏っているのはまさに純白。不死鳥が描かれた刺繍は銀糸だと思ったが、ところどころに金糸や青糸も使っており、糸自体も光沢のある高価なものだった。

 美しい彼を、神聖な者のように見せるには充分すぎる衣装だ。

 衣装だけではない。

 フェイロンの長く美しい黒髪は、丹念に頭上で結い上げてあり、細かな意匠こらした簪で留めている。簪から垂れて揺れる雫型の天然石は、フェイロンの頭上にあるだけで不思議な効力を発揮しそうなほど神秘的に見えた。

 もはや、神秘的を通り越して、神のように神々しい。

 フェイロンを見慣れたナルでさえそう思うのだから、ほかの者ならば魂を抜かれてしまうのではないだろうか。


「それは、神官長を示す着物ですね」


 サトミが呟いた言葉に、ナルは勢いよくサトミを振り返る。


「ほら、最近神殿が騒がしいと情報があったでしょう? どうやら、神官長が交代したらしいんです」

「え……いや、え。初めて聞いた!」


 報連相は!? と叫びたくなるのを堪え、ナルは首を横に振る。

 情報に関してヤコに任せたのはナルだ。

 彼女がナルに知らせる必要がないと判断したのなら、受け入れなければならない。


「そうだとも、私が新しい神官長。飛龍(ひりゅう)だ」

「神官長、って。師匠は、レイヴェンナー侯爵家を、正式に継いだんじゃないんですか! 何をやって――」

「ああ、あれは嘘だ」


 フェイロンは、ナルに片目をつぶってみせる。


「さすがのナルも騙されただろう? シンジュの披露目の場で、堂々と私が虚言を口にするなど誰も思うまい」

「普通しませんから!」


 じゃあ、レイヴェンナー家を継いだのはシンジュなのか。

 フェイロンが、王都の屋敷に滞在中、頻繁に王城と行き来していたのはなんのため……?


 ナルは自分の知識を修正しようとして、すぐに止めた。今はモーレスロウ王国の一貴族云々よりも、風花国について行動するときである。

 すっと表情を引き締めたナルは、交渉する際の顔でフェイロンを見上げた。


「それで、師匠。なんの用でしょう?」

「今日は、神官長としてここにきたんだ。――ナル」


 フェイロンは、にやりと口の端を歪めた。


「私が神官長となり、神殿はかつての力を取り戻した。そして、風花国の国王天馬が、私の親戚たちにした大罪は決して許しておけぬ」


 ナルは目を眇めた。


――神殿はかつての力を取り戻した

 フェイロンが神官長になったから、ってこと?

 つまり、四十五年前に神殿を捨てて男と駆け落ちした巫女姫から、フェイロンは力を継いでいるということ?

 フェイロンの母親が、その巫女姫?


(たしか、四十五年前に神殿を離脱した者たちの村が、夢蜘蛛の実験で消滅したのよね)


 首謀者は、王と右大臣だ。

 フェイロンの言う、親戚たち、という言葉に、ふむ、と頷く。


 すべて推測だが、大幅に間違ってはいないだろう。

 とはいえ、フェイロンが今頃、風花国へ戻ってきて神殿を掌握するなど簡単に出来るものではない。


 フェイロンは涼しい顔をしているが、ここへ至るまでにどれだけ骨を折ったのだろう。


「神殿は、国王天馬を決して許さない。ゆえに、ナルと話をしにきたのだ」

「私と、ですか」

「ああ。今の王を追い落とすには、新たな王が必要になる。そしてそれに相応しいのは、国王天馬の子ではなく妹のシロウだ。シロウはすでに、国王天馬の忠臣を判別し、それら以外の貴族たちは寝返らせている」

(……そうなんだ)


 頭がいいと思っていたが、結構シロウは大胆なんだな。

 そんなことを考えていたナルに、フェイロンは真面目な表情で話を続けた。


「あとは、ナル。きみの命令一つで、シロウは襲撃を仕掛ける手筈だと言っていた」

「へぇ……え!?」

「驚くのもわかる。シロウと直接言葉を交わせたのは、こちらとしても偶然だったのだ。あれは――」


 フェイロンの言葉が耳に入ってこない。

 そもそも、驚いた点はそこではないのだ。


 どうやらナルの知らないところで、シロウはサクサクと謀反の準備を進めていたらしい。

 貴族を寝返らせているというのも驚いたが、いつでも襲撃を仕掛けるほど進んでいるなんて。


 ちら、とサトミを見ると、視線をそらされた。

 知ってたなコイツ、とナルは表情を引きつらせる。


「――話が逸れたな。つまりだ、ナル」

「は、はい」

「次期国王となるシロウの背後に立つ陰の権力者ナルへ、私は神官長として、神殿も大義名分をもって現国王を追い落とすのに加担させて頂きたい、と申し出にきたんだ」


 女神にたとえられるほど美しいフェイロンの笑顔は、とても清々しいほど清らかで。


 ナルは、彼の背後から「この女性が、かの英雄シロウ様のあるじですか!」「陰の権力者様でしたか、ご無礼を!」とテンションをあげている白い着物の男たちの言葉に、ただ愕然としたのだった。


(後宮に入っていた三週間で、何があったの……)


 我に返ったナルは、ふっと胸中で微笑む。

 何にせよ、情報整理だ。

 シロウがすでに手筈を整えているのなら、優れた彼女を誇りに思うべきだろう。

 危険視していた神殿側が謀反に加担するとなれば、それは謀反ではなく天誅となる。


 あとは、風花国の王を追い詰め、公的に罰するだけ。


(……本当に馬鹿な王ね)


 右大臣が生きていたのなら、こちらも手出しが出来なかっただろう。

 シロウがどれだけ手筈を整えたとしても、右大臣がいる限り、貴族らは簡単に手のひらを翻さない。右大臣が死んだことで、現在シロウが寝返らせた貴族よりもさらに多くが、シロウにつくだろう。


 王はきっと、自分が右大臣を操っていた黒幕だと思っている。

 事実その通りだ。

 だが、周囲は決してそうは思わない。


 王は、隠し過ぎた。

 右大臣という後ろ盾を失った王は、ただの糸の切れた操り人形。

 絶対王政とはいえその力は右大臣が掌握するほどに歪み、王に力がある国ではなく、貴族に力がある国になっている。


 今になって、王が「自分が右大臣を操っていたのだ」と言って、誰が信じるだろう。

 証拠を残さなかったこと、黒幕に徹するあまり、傀儡として貴族らに知れ渡っていること。

 それらの愚策が、己の地位を失墜させるのに、気づいているのだろうか。


 ナルの意識は、これからの行動へ向かう。

 紅を我に返らせ、ヤコの屋敷へフェイロンを促す。


 こうして、奴隷たちが暮らす地区にある山奥で、ゆったりと、時代の歯車は動き出した――。




閲覧ありがとうございます(*・ω・)*_ _)ペコリ


久しぶりの2日連続更新でした。

次話は、完成次第アップします。


残り、伏線消化しつつ走り抜くのみとなりました!

二幕三章にて完結なので、よろしくお願い致します。




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― 新着の感想 ―
[一言] おはようございます。更新ありがとうございます(o^-^o)シリアスなのにテンポのよいかけひにクスッと笑っている自分に、良い時間貰えたな~と感謝しております。次回も楽しみにお待ちしています。
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