第二幕 第二章 【10】 動き出す歯車、新たな時代へ≪第二章完結≫
――ナル、お前は黒幕とやらを見つけて、どうするつもりだ?
旅立つ前夜、詳しい理由を聞かずにナルの旅の手筈を整えてくれたシンジュが、初めて此度の件について聞いてきた。
そのとき、ナルはなぜかほっとした。
『わかりません。でも、真実を確かめたいんです』
そう返すと、シンジュは軽く笑う。
こうしてベッドで眠る前の時間は、とても心地がよい。
『それで、お前の父親の尻拭いをするのか?』
『いいえ。父が犯している罪を知っていて見過ごしてきた自分への贖罪もあるんですが、多分、私が黒幕を見つけたいと思ったのは、当事者になったからです』
ナルは、言葉を選びながら話した。
『私の手は今、満足に動きません。自分のミスでもなく、疾患でもなく、毒のせいで。手の片方だけでも不自由なのに、もっと不自由になってしまった人がいるんです』
『ナルには関係のないことだろう』
『これまでの私は、そう思ってきました。自分には関係のないことだし、そもそも関わったからといってどうすることもできない。賢く生きなければ、って』
『無謀と勇敢をはき違える者が多い中で、賢明な判断だ』
『でももう、知ってしまったんです。ベティの身体が徐々に不自由になっていくのを聞いて、自分の身体で身をもって知って……もしこの毒が、テロに使われたら、とか』
ナルは、ぎゅっと拳を握り締める。
感覚が完全に戻らないほうの手は、やんわりとだけ握り締めた。
ベティエールを、じわじわと毒で侵して殺そうとする者が存在する。責め苦を味わわせてやろうと望む者が、自由に毒を扱えるのだ。
いつ何時、モーレスロウ王国が窮地に立たされるかわからない。
ナルは、ルルフェウスの戦いの全貌を聞いて思ったのだ。
夢蜘蛛はまるで、細菌兵器のようだ、と。
夢蜘蛛が悪意ある者の手にある限り、不安は決して消えない。正義を主張する者が手にしたとしても、正義など時代の流れで変わってしまうもの。
兵器は、存在さえさせるべきではない。
『これから先。いずれ、モーレスロウ王国でも、夢蜘蛛を使った被害が出ると思います』
『……何年先かわからんがな』
『でも、もしかしたら明日かもしれません。私は、大切な人たちが苦しむのを見たくない……これは、完全な私欲です。私が嫌だから、やる。それだけなんです』
『お前が私欲で動くのは知っている。そして、お前の私欲はいつも正しい方向へ進んでいることも、だ』
果たしてそうだろうか、という疑問を追いやって、ナルは続きに耳を傾ける。
『そして馬鹿をみることまで承知の上。……なるほど、黒幕を見つけようとする動機はわかった。それで、見つけてどうするつもりだ』
『最終目的は、夢蜘蛛の秘匿に関する法を作れたらよいと思ってるんですが。黒幕に関しては、公的に罰せられるよう、証拠を集める必要があると考えています』
『公的に罰されるならば、夢蜘蛛の存在は公になろう』
『風花国ではすでに知れ渡った名です。今後鎖国が解かれることがあれば、いずれモーレスロウ王国でも知る者が増えるでしょう。そうなる前に、悪用を阻止する法の確立が重要です。他の毒もそうですが……国家を跨ぐと、罪を問えないことも問題です。国際指名手配はまだ機能しているみたいですけど、国際的に共通した組織が必要かと思っています』
世界ナントカ機構とか、国際ナントカ機関とか、そういった世界で共通する組織の設立までこぎつけることが出来たら、平和の均衡がとれるのではないか。
そう考えるのは、安直かつ軽率すぎるかもしれない。
けれど、ナルには前世の記憶があるのだから、それらを活用しない手はない。
まずは、大使館辺りから作れればいいのだが、今のナルにはそんな力もないのだ。
『世界で共通する法を定める組織、か』
シンジュは、ふむ、と呟いた。
ややのち、ニヤリと笑って、ナルの頬を撫でる。つつ、と指先で、慈しむように。
『面白い。本当に、お前といると飽きないな』
そう言ったシンジュは、何か悪巧みを思いついたような顔をしていたけれど。
いつものことなので、深く問わないことにした。
彼といるならば、スルースキルは大事なのだと知っている。
『今のお前の目的は、毒物等に関する国際的な法の確立と、黒幕の公的処分。……なるほど、実に甘いが、今後を考えると悪くない発案だ』
ナルの考えではないのだが。
『でも、まだまだ実現可能とは言えません』
『そうだな。だが、不可能ではない』
ナルは、頬に添えられた手に、自らの手を重ねた。
『お前とて、不可能ではないからこそ、風花国に行くんだろう? 不可能ではない限り、何事もやってみる価値はある』
『旦那、様?』
シンジュは、目を細めて微笑した。
その笑顔を見た瞬間、知らずに焦っていた心が凪いでいくのを感じた。
うとうとし始めたナルの頭を、包み込むように胸に抱き寄せたシンジュのぬくもりを感じながら、ナルは眠りに落ちた。
ふ、と意識を覚醒させたナルは、揺れる荷馬車の最奥で丸まって寝転んでいる自分の状態に気づいて、風花国へ向かう道中だということを思い出す。
(……身体痛い)
揺れる荷馬車のなかは、思いのほか体力を消耗する。
酔わないだけマシかもしれないが、常に振動がくるので、時折休憩時間に外へでると、足元が揺れているような錯覚を覚える。
もうすぐ、柳花国と風花国の国境だ。
柳花国と風花国は元々、花国という東西に長い一つの国だったという。
その国が東西に二分したのは、今の王から数えて八代前の時代。元々、東の都と西の都に分かれていたこともあり、それぞれ意見の違いから対立していた。
時代と共に変わろうとする東の都。
歴史と文化を重んじる西の都。
どちらも己らの長所を主張し、意見は平行線となり、国は分断された。
西の都は、文化と歴史の保護を最優先として、鎖国という政策をとる。他国を受け入れず、最小限の貿易のみで現在までやってきた西の都のあるその国を、風花国という。
ぼんやりする頭で、ナルは花国が二つに分かれた理由を思い出す。
どの時代のどの世界でも、意見が分かれることはある。どちらも正しくて、どちらも譲らず、話し合いでは平行線になることも多いところまで、いつだって変わらない。
「ジーンさん」
「なんです?」
荷馬車のなかには、蜂蜜色の陽光が斜めに差し込んでいた。
リンは起きていて、アレクサンダーは静かに寝息をたてている。移動中は交代で休むと聞いていたが、この馬車のなかで寝て疲れがとれるのだろうか。
ナルは護衛される対象なので、荷馬車の一番奥に押しやられている。
その手前に、非戦闘員のジーンがいて、入り口近くにリンとアレクサンダーが陣取っていた。
「風花国って、鎖国してるでしょ? 何か知っておかなければならないことってある?」
「私がいたのはもう、十年前ですから大分変わってるかもしれませんけど。言い切れるのは一つです。どんなに理不尽な目にあっても、貴族には歯向かわないこと」
「それって、格差が酷いって話と関係ある?」
「ええ」
「……実際に見たら、私、驚くかな」
「驚くだけで済めばいいんですけど。誰かが危険な場面に居合わせたら、あなた、助けに飛び出しそうでそれが怖いんです。何を見ても、知っても、無視をしてください。不興を買ったその者が悪いのです」
「……ここにくるまで、ジーンさんの言うことを聞くって誓ってきたのって、そのため?」
「そうですよ。あなたが自由に動ける場ではないのです。無駄に死体を増やすことだけはやめてくださいね」
わかった、と頷いた。
さすがに皆に協力を仰いだ手前、ナル一人で計画を台無しにするようなことは出来ない。無謀は愚策でしかないとよく知っている。
出来ることと出来ないことの線引きは、持っているつもりだ。
だがジーンには、ナルが無茶をする性分に思えるらしい。
(まぁ、風花国へ一人で行ってきます、って言った手前、無茶をしません私、って言っても信じてもらえないよねぇ)
「ああ、それから。神殿関係の者たちとは接触を控えてください」
「宗教的な何か?」
「神殿は、風花国が守っている歴史の象徴です。僅かでも害することをすれば、反逆罪として命はないですから。もとより関わらないのがいいんですよ」
「神殿関係者と貴族は違うの?」
「別物ですが、危険という点では同じです。詳しい情勢うんぬんはついてからお話しますよ。私も現状を把握したいので。俳師に伺いましょう」
「例の日本知ってる人ね」
「ええ。隠居してるくせに、やたらと情勢に詳しい人なので。風花国へついたら、俳師のもとへ身を寄せる手筈です。以前もお話しましたがやや遠いので……」
「ジーンさん、顔色悪いけど。大丈夫?」
改めてジーンを見ると、ぼんやりと橙色の陽光を眺めており、その表情は酷く鬱屈そうだ。
「少し酔ったのかもしれませんね」
「そんな他人事みたいに。何か不安があるんでしょ? 私、ジーンさんに頼り過ぎてる感すごいもの。何か私に出来ることがあれば言ってね。まぁ、限度はあるけど」
ジーンは、薄っぺらい笑顔を張り付けて、ナルを振り返る。
「でしたら、膝枕してください」
「はい?」
「酔ったので。膝枕、してください」
「いいけど」
ジーンはほんの一瞬だけ、表情を綻ばせた。
ナルの、お世辞にも寝心地がよいとはいえない膝を枕に横になると目を閉じる。
「大丈夫? あんまりしんどかったら、シロウに相談したら薬とか持ってるかもしれないから」
「このままでいれば、治りますよ」
「頭を低くしたら治るってこと? だったら足も少し高いところにあげる?」
「このままでいいんです」
本人がいいと言うのなら、良いのだろうけれど。
こうして間近で見ると、ジーンの顔色が悪いことは一目瞭然だ。リンに言って水を取ってもらい、いつでも飲めるように傍に置く。吐き気を催した場合のために、箱も準備した。
「奥方は優しいですねぇ」
「出来ることならやるから。どうしたら楽か教えて」
「…………ぃ」
小声過ぎて、聞き取れない。
そっと身を屈めて、もう一度、と促す。
――私を、嫌わないでください
確かにそう聞こえた。
その言葉に込められた意味を理解しかねたけれど、切実な響きを帯びた声音に。
ナルは、ほとんど無意識に、ぽんぽんとジーンの頭を撫でていた。
「嫌うわけないじゃない。ジーンさんが私のこと嫌っても、私がジーンさんを嫌うとかありえないから」
ふ、と空気が緩んだ気がした。
暫くして、静かな寝息が聞こえ始める。
昨夜眠れなかったのだろうか。
そういえば、ジーンはなぜ眠れないのだろう。いつからか、ナルへ報告にくるたびにソファで眠っていたときは、多忙だからだと思っていた。
だがジーンはどんな状況でも体調管理を怠るような人物ではないと、最近になってようやく知った。多忙で仕方がないときはともかく、通常時は、効率のためにも一定の睡眠時間を確保するだろう。
つまり、睡眠時間を確保しているが、眠れていない状態なのだ。
「眠ったみたい」
ナルが呟くと、リンが微笑んだ。
「うむ、よかった。ジーンはとても強いからな。万全の状態でいてくれると、安心できる」
「ジーンさんが強いって、知ってるの?」
「毎夜、暗殺者を迎撃しているのはジーンだぞ」
「……毎夜?」
リンが頷く。
「日によって、敵の数にバラつきはあるが、毎夜襲撃がある。これまで誰ひとりとして私たちの元まで敵が乗り込んできたことがないのは、全部ジーンが止めてくれているからだ」
リンは相手の悪意や殺気に敏感ゆえ、多少離れていても敵が察知できるらしい。勿論敵もプロの暗殺者なので殺気を隠しているが、ジーンと戦闘している最中にそんな余裕はなく、迎撃される敵は常に殺気をばら撒いているという。
「私は、ナルが大切にされていて誇らしいぞ。それに、以前は気づかなかったが……ジーンは、どことなくナルと似ているな」
そう言って、リンは少しだけ悲しげに微笑んだ。
「何もかも、一人で背負おうとするだろう?」
リンの言葉は、衝撃だった。
涼しい顔でナルの傍に控えながら、部下を調べにやり、さらに夜には戦闘まで。
リンが強いというからには、ジーンの強さは並ではないのだろうけれど。
(やっぱり、ジーンさんに頼り過ぎてるなぁ。もっと自分で――)
「でもちょっと羨ましいぞ。ナルを守ってナルのために動くジーンは、実に誇らしげだ。何度も叔父上の傍に控えているところを見てきたが、今ほど生き生きしている姿は見たことがないからな。私も、いずれナルに沢山頼って貰えるように頑張るぞ」
リンはそう言って微笑みながら、やや嫉妬の色を乗せた視線をジーンに向ける。
(……そっか。ジーンさんが頼れって言ったんだもんね。また、間違えるところだった)
ナルはもう一度、そっとジーンの頭を撫でた。
寝息をたてたまま、起きる様子はない。
前世の頃。
社会人になり、はじめて仕事を任せて貰えたときの喜びを思い出して、苦笑する。
反対に、なんでも自分でやらなければ気がすまないタイプの上司に当たると、信用されていないようで、どんどん自分で自分の価値を下げていった。
信じること。
任せること。
それらは悪いことではないのだろう。
(この世界にも労働基準法的なものがあればわかりやすいんだけどね)
この世界がいずれ進化し続ければ、そういった未来もくるのかもしれない。
ナルはそっと、目を伏せる。
もう、父を追い落とそうとしていた頃とは違う。
大切な人が沢山いるのだ。
心を新たにしたナルは、ジーンが目を覚ましたときお礼を言おうとしたのだが。
『もう少し、肉をつけたほうがいいですよ。いまいちでした』
と言われ、さらに。
『長官に、抱き心地が悪いって言われません?』
と、非常に残念そうな顔で言われてしまった。
(快眠貪ってたくせにっ、さっきまで!)
ぐぬぬ、と怒りつつも、ジーンの顔色がよくなったことはよかった。
だから今は、怒らないでおこう。
別に、肉付きが悪いことを気にしているわけじゃない。
大丈夫。
うん……たぶん。
そう思いながらも、胸や腰をさり気なく触って確かめてしまうのは仕方のないことだ。
閲覧、ブクマ、評価、感想、誤字脱字報告などなど、ありがとうございます。
ここまでお付き合い頂きまして、心から感謝致します。
途中、お話が噛み合わないような部分があるかもしれません。
ちまちまと修正していこうと思っています。
読みにくくて、申し訳ございません。
第三章は、風花国編となります。
更新はやや先になるかもしれません。
第三章にて、ナルとシンジュが再会を果たします(ネタバレ笑)。
怒涛の第三章も、どうぞ、よろしくお願い致しますm(__)m




