第二幕 第二章 【1】 ベティエール①
少々予定を変更しつつも、ナルたちは目的の街へとついた。
サウスファーク地方は、ベルガン地方に隣接している地方の一つで、サウスファーク公爵家の領土である。
そのなかでも、ここ、ジェーマンという地域は、サウスファーク地方でも辺鄙な場所だ。大きな街が一つあるとはいえ、暮らしているほとんどは農民で、地域の大部分を森林が占めていることもあり、段々となった畑が街の外へ広がっている。
街がそれなりに活気づいているのは、ベルガン地方という観光地に近いせいだ。
よって、ジェーマン地域には、宿屋が多い。
「すみませーん、一泊お願いできる?」
「ちょ、僕たちが手続きするから! ナルは馬車で待ってて!」
ほどよい宿屋を見つけて、客室があいているか確認しただけで、怒られてしまった。
アレクサンダーが手続きしているのを、馬車の中から眺めていると、宿泊の許可が下りる。
ナルはすぐに馬車から降りて、宿屋へ向かう。
指定された部屋へ向かうと、部屋を一通り確認してから、ベッドに座った。
簡素だけれど、防寒にはちょうどよい部屋だ。窓もしっかりはまっている。
本来ならば、馬車のなかで一泊する予定だったが、なぜか暗殺者が次々に押し寄せてくるので、一気にサウスファーク地方までやってきたのだ。
暗殺者はリンが一人ですべて片付けてくれたし、ベティエールの目的地であるサウスファーク地方にも早く着けたし、結果オーライだろう。
(あー、ちょっと疲れたなぁ)
うとうとしていると、シロウが、
「失礼します! 入ってもよろしいですか?」
と言いながら、ドアを大きく開いた。
「どうぞ、もう入ってるけど」
「ありがとうございます! お疲れでしょう? 湯浴みの準備を致しましょうか」
「……そうね。夜は冷え込むし、今ならまだできるかも」
「では準備をして参りますので、こちらでお待ちくださいませ」
シロウが用意してくれた湯で身体を清めてから、残りの湯でシロウにも身体を清めてもらう。
どうやら彼女は、自身の衛生管理に無頓着のようで、着の身着のままでも気にならないタイプらしい。
シロウの清めを待ってから、一緒に一階の酒場へ向かった。
カウンターにベティエールの姿があり、酒場へ入ると同時に目が合う。
にっこり微笑んで、隣の椅子を示してくれるので、有難く隣へ座らせてもらった。
ベティエールとシロウに挟まれるカタチでカウンターにつき、ベティエールからおすすめの料理をきく。
「毎年、ここに、くるんだ」
「馴染みがある店なのね」
ベティエールは頷くと、店主と二言三言話して、立ち上がった。
「ここまで、送ってくれて、ありがとう。先に、休むことに、する」
「ええ。疲れているだろうし、ゆっくりしてね」
ベティエールの大きな手が、頭を撫でていく。
二階へあがっていく姿を見送ったあと、ナルは小さくため息をついた。
「ベティ、元気ないよね」
「そうでしょうか。わたくしには、変わらないように見えますが」
シロウは、興味津々で店内を見回している。
少し鼻息が荒い。
(お願いだから落ち着いて、不審者に見える)
注意しようか、と思っていると、シロウの視線が固定された。
どうやら、お好みの美的センスモノを、早速見つけたらしい。
シロウの視線を辿ると、料理を運んでいるお姉さんがいた。
胸の大きなお姉さんだ。
シロウは外見男性なので、女性をガン見するのならば、ギリギリセーフだろう。
(人間、疲れたときは、おっぱい触りたくなるっていうもんね。柔肌に癒されたい気持ちわかるわぁ)
疲れた体を、「がんばってね」と抱きしめてくれるだけでいい。
その至極の幸せが男性にはわからないらしく、以前アレクサンダーに話したとき、変な目で見られた。
「シロウは、あの女の人が好みなの?」
「そうですね。彼女の顎から首筋にかけてのラインが、とても美しいと思います」
「ああ、確かに。私的に、屈んだときの腰から太ももにかけて強調されるラインも、捨てがたいんだけど」
「我が主は、なかなか通ですね」
美的感覚について厳しいシロウが、肯定的な意見をもつのは珍しい。
(これは意外に気が合うかも)
女性の肌の柔らかさや癒しについて話し合っていると、注文していた料理が、どん、と目の前に置かれた。
牛の肉の香ばしい匂いに、空腹がぐるると鳴る。
(美味しそう!)
「ありが――」
「へい、お待ちどうさま!」
笑顔でお姉さんにお礼を言おうとしたら、料理を持ってきたのはダンディなオジサンだった。
よく耳をすませば、背中の向こうで「おまちどうさま!」「ああ、どうも」という、お姉さんとアレクサンダーの会話が聞こえてくる。
隣でシロウが、カウンター机を拳で叩いた。
神はいないのか、と呟いている。
「あと、ほい。果実酒だったな」
「あ、どうも」
(まぁね、お姉さんは男性客優先になるよね。わかる、すごくわかる。ほらね、私も別に、浮気したいとかそういうわけじゃなくて、ちょっとした目の保養的なものが欲しいだけで、そこまでこう、こだわってるわけじゃないから、別にいいんだけど)
延々と自分に言い訳をしてから、果実酒に手をつけた。
いつの間にか、シロウはすでに料理に舌鼓をうっている。
(ん?)
オジサンが、カウンターの向こうからじっとナルを見ていることに気づいた。
目が合うと、にこりと微笑まれる。
まるでそれが合図のように、ぐいっと距離を詰めてきた。
カウンターを挟んだすぐそこに、オジサンの顔がある。
(近っ)
「あの、何か?」
「いやぁ、さっきの話、ちょっと聞いちゃって。盗み聞きするつもりはなかったんだけど、俺も入れてもらっていいかなぁって」
なるほどね、と頷く。
「どうぞ。やっぱり女性に求める癒しは、柔らかさだと思うの。抱きしめて優しく甘やかしてほしいなって思うんだけど、その先は望んでないのよ。ちなみに知り合いの子は『イケメンさんになら、毎日お疲れ様って言って貰えるだけで生き返りますぅ~』って言ってた。オジサンは、癒しを女性に求める派? それともイケメンに求める派?」
「そりゃ女性……って、違う‼」
オジサンは、少し顔を顰めたあと、気を取り直すように、咳ばらいをした。
「その話じゃなくて、一つ前の、ベティの話」
(予想外……ベティの知り合いかな?)
歳も同じくらいだろう。
この辺りは元々ベティエールの家系が治めていた土地であり、ベティエールが生まれ育った故郷でもある。
知り合いもいるだろう。
とはいえ、屋敷での毒の件があるので、ある程度の警戒は怠らないようにしなければならない。
「さっき、ベティが元気ないって言ってただろ? いつもは違うのか?」
「うん、もっと穏やかで笑うことも多いかな」
普段のベティエールを思い出しながら言うと、オジサンが、そうか、と眉をひそめた。
「あいつ、年に一度、帰ってくるんだけどさ。いつもあんな、しみったれた顔してんだ」
「嫌でも思い出すことがあるんじゃないの?」
オジサンが、微かに目を見張る。
顔芸が、忙しい人だ。
ベティエールに関しては、毒の一件があったときにジーンに調べてもらった。
ベティエールは元々、この辺り一帯を治める領主の家系に生まれたという。
父親は伯爵位を継いでおり、田舎だが穏やかで人情溢れた街のある、よい領地だったとのことだ。
父親は優秀なベティエールを大層可愛がっており、嫡男であったベティエールの兄ではなく、弟に爵位を継がそうとしていた。
それを察したベティエールが、王都の騎士団入りを目指すことで父の期待を蹴ったという。
それからは、順調だった。
父親は諦めて、兄へ爵位を譲る決心をし、兄夫婦の間には三人目の娘が生まれて。
「あんた、あいつについて詳しいんだな」
「そうでもないと思うけど」
「ルルフェウスの戦い以降、あいつの立場ががらっと変わったのは知ってるか?」
ナルは、肉を切っていたナイフを止めた。
ルルフェウスの戦いでベティエールは重体となった。
その頃、ベティエールが重体だという情報が、実家へ入る。
今でこそ奇跡的に持ち直したが、当時は生死の境をさまよっている状態で、危篤だと知らされたらしい。
知らせを受けた兄は、使用人が止めるのを振り切って、雷雨のなか、妻と娘たちを連れて王都へ向かった。
ナルたちが通ってきた山道は、まだここ数年で作られたもので、ルルフェウスの戦いがあった頃は、山をぐるっと迂回する崖を通るしかなかった。
だからこそ、雨の強い日は馬車を使わない決まりになっていたらしい。
「……お兄さん一家が、崖の地滑りに巻き込まれたんでしょ。馬車ごと崖下に落下して、即死だったとか」
「はは、やっぱりよく知ってんじゃねぇか」
「情報の一つとして、あるだけ。知ってるとは言えない」
「充分だ」
何がおかしいのか、オジサンが笑う。
もしかして、ベティエール自身がナルに話したと思っているのだろうか。
(まぁ、こんな小娘が、男一人の素性を調べることができるって考えるほうが無茶よねぇ)
だが残念ながら、本人から聞いた情報ではないのだ。
兄夫婦らが死亡したことを知った父親は、心臓麻痺でこの世を去った。最後の言葉は、「帰ってきてくれ、ベティエール」だったという。
身内が死亡した件は、ベティエールが一人で歩けるようになるまで伏せられた。
自分が重体になったせいで、兄夫婦と姪たちが死に、父もこの世を去ったと知ったベティエールは、領地に戻って家族らを弔い、爵位と領土を国に返したという。
現在この地方を治めているサウスファーク公爵は、先の領主らの悲劇を悲しんだ。
そして、雨の日でも安全に通れるよう、山を開拓して馬車道を作ったという。
大領主だからこそ出来る大掛かりな工事だったと聞いている。
馬車を使うとガタガタ揺れる荒れた道だが、山を開くこと自体が、今の時代にしてはとても画期的だったらしい。
(ベティは、地位や名誉だけじゃなくて、家族も失ってたのよね)
ただ穏やかに生きて行こうとするベティエールの姿を思い出して、ナルは顔を顰めた。
屋敷で料理長として働くベティエールは、落ち着いた大人の男性で、博識で、優しいし、よく笑う。
彼自身も屋敷を、居場所として悪くないと思っているようだ。
同時に、これ以上は望まないという強い意志も感じた。
その理由として、騎士団員を死なせてしまった罪悪感があるのだと思っていたけれど、それだけではなかったのだ。
(まぁ、本人がどう思ってるかなんて、私にはわからないけど)
ぱく、と肉を食べる。
なかなか美味しい肉だ。
ストレスフリーで育て、よい食事をお腹いっぱい与えているのだろう。
「あいつのこと、宜しく頼むよ。心配でさ」
「頼まれても困る」
こういった、人の内情に土足で踏み込んで荒らしまくる趣味はない。
アレクサンダーのときに、踏み込み過ぎるのはよくないと経験済みだ。
「そう言わずに。ほら、王都じゃ、歳の差結婚って珍しくないんだろ?」
「……私、既婚者なんで」
「あ、やっぱりか。結構いい歳だよな。三十歳くらい?」
「誰が」
「あんた」
(……喧嘩売られてる?)
まだ慣れない旅疲れが顔に出ている自覚はあるけれど、ちょっと老けて見られ過ぎではないだろうか。
隣でシロウが「我が主は、とても落ち着いた方ですからね。私も初見では、そのように思いました」と頷いている。
まさかの暴露だ。
どうやらナルは、実年齢より上に見えるらしい。
その後は、無言で夕食を食べた。
背後で、「どう、美味しい~?」「なかなかいけるよ」という、軽い会話が聞こえてくる。
(アレク、いつの間にお姉さんとそんなに仲良くなってんの⁉)
夕食を終える頃、目の前に同じ料理のトレーを置かれた。
出来立てホヤホヤである。
嫌な予感がして、オジサンをねめつけた。
「……なに?」
「これ、ベティに届けてやってくれ」
「なんで私?」
「あいつ、帰ってきたらいつも全然食べねぇんだよ。あんたからなら、食べるかもしれねぇし」
全然食べない、などと言われたら、嫌とはいえない。
ナルは懐から、自分とシロウ、ベティエールの分の料金を支払うと、トレーを持って立ち上がった。
「おい、ベティの分は俺の驕りだ」
「私が払う。体調整えて帰ってきて貰わないと困るもの」
二階のベティエールの部屋に向かうと、当然のようにシロウとアレクサンダーがついてくる。
アレクサンダーは、別にお姉さんと宜しくやっていたわけではないらしい。
「てっきり、あのお姉さんから花を恵んでもらうんだと思った」
「顔が好みじゃないから無理かな」
さらり、と答えたアレクサンダーを軽く殴ってやりたい。
両手がふさがっているので、耐えるけれど。
「アレクサンダー殿は、女性の美しさというものを理解されていないようですね」
「……美しさについて、きみに言われたくないんだけど」
はぁ、とため息をつくシロウを、アレクサンダーが横目でみる。
女は顔ではない。
男も顔ではない。
少なくとも自分が十人並みの顔をしているナルは、そう信じている。
ベティエールの部屋の前でシロウとアレクサンダーを待たせて、ベティエールの許可を得てから、部屋に入る。
ナルが持っているトレーを見たベティエールが、驚いた顔をした。
ベッドに転がっていたのか、慌てて立ち上がったような姿勢だ。
「それは」
「お店のオジサンが、渡してほしいって」
「……あいつ、か。ナルを、使うなど、何を、考えて、いるのか」
「別にいいけど」
「よくない。ナルは、私の、あるじ、同然、だろう。私は、休暇、中だが、それを、含めても、ありえない」
(そう言われてみれば、そうかも)
仕えている主に、お膳を持ってこさせるってどうなんだ、と思わなくもないが、誰が注意するわけでもないし構わないだろう。
「手は、痛まないのか」
「うん、平気。大分よくなってきたから」
嘘ではない。
感覚が鈍かった手が、少しずつ動くようになってきた。
夢蜘蛛を吸収してから然程たっていなかったことや、ジーンがこれまで思案していた解毒方法の試作などを試みた結果、ナルの手は、徐々に回復している。
このまま治療法として確立すればよいが、それにはまだまだ時間と費用がかかるそうだ。
「いいところね、故郷」
「何もない、ところだ」
「人がいるじゃない。……じゅうぶんよ」
奇妙な沈黙が降りた。
どうも居た堪れなくて、次の話題を口にする。
「私たち、明朝に出発するから。会わないかもしれないし、先に挨拶しておく」
「ナル」
呼ばれて、俯き加減だった顔をあげる。
ベティエールは、トレーへ向けていた視線を、ナルに向けた。
「本当に、療養に行くのか」
「え?」
隠しきれない動揺を覚えたのは、ベティエールの目があまりにも鋭かったためだ。
ベティエールは、主従の線をはっきりと決めている。
ナルが、当たり前じゃないの、と一言笑えば、引き下がるだろう。
(ああ……もう、ジーンさんのせいだ)
ジーンが他者を頼れというから、こんなふうに動揺してしまうのだ。
抱え込むのが当たり前だった日々が長すぎて、どうやって頼ればいいのか、今更わからないのに。
長考ののち、そっと、口をひらいた。
「やりたいことがあってね。ちょっと、長めの療養になると思う」
「……そうか」
「また、屋敷で会いましょう」
ナルは、じゃあね、と微笑んだ。
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