第二幕 第一章【13】 旅立ち≪第一章完結≫
旅に必要な荷物を馬車に乗せ終えたころ、ナルは玄関に向かった。
令嬢らしい裾の長いドレスを着ているが、その下には動きやすさ重視のズボンを履いている。
防寒具も兼ねているため、とても暖かい。
馬車は、新婚旅行で使ったものだ。シンジュの通勤用馬車は新しく作らせているため、ナルの療養旅には、この馬車をそのまま使っていいらしい。
シンジュからは、旅費は勿論のこと、関門などを通過する際に必要な紹介状も書いてもらった。
本当に至れり尽くせりである。
「さて、と。そろそろ行きますか」
荷物を載せ終えたのを確認したジーンが言った。
ナルは頷いて、見送りにきてくれた皆を振り返る。
メイドたち、ジザリ、師匠、そのほかの使用人、シンジュ――そしてなぜか、ジェンマ・ローズがいる。
「カシア、メルル、ファーミア、留守の間をお願いね」
「「「はい!」」」
「ジザリがいてくれるから、安心してお出かけ出来るわ。屋敷をよろしくね」
「かしこまりました」
「師匠、一日三食食べて、お風呂入って、しっかり睡眠をとってくださいね。研究はほどほどに。体調を崩しては元も子もありませんよ」
「ああ。そのように、ジザリに言っておこう」
「自分で管理できるようになってください!」
「旦那様、暫く留守に致します。待っていてくださいますか?」
「生憎、ただ待つだけは性に合わん。こちらはこちらで好きに動かせてもらう」
シンジュは当然のようにそう言って、くっと笑う。
「意外と早く会うかもしれんな」
「意外と早く、ですか?」
何かあるのだろうか。
シンジュの考えを推し量ろうとしても無理なのは理解しているので、ナルは頷くだけに留めた。
「おじい様、行ってまいりますね!」
「……なぁ、本当に危険じゃねぇのか?」
わざわざ見送りにきてくれたジェンマは、美しい顔を涙に歪めてぐじゅぐじゅになっていた。
なぜ、と思わずにはいられないほどの、想いが籠っている。
というか、圧が凄い。
(そんなにジェンマ様とお会いしたことないんだけどなぁ……うーん)
シンジュ曰く『変わった人』らしいので、こういう人なのかもしれない。
美しく優しくて、惜しみない愛を捧げてくれる優しいおじい様なのだ、と思うことにした。
シンジュは、ジェンマからやや距離をとって、頷いた。
「ナルならば、やり遂げるでしょう。有能な補佐もついています」
ふ、と微笑むシンジュに、ナルは大きく頷いて、馬車のほうを見た。
馬車の前で待機しているアレクサンダーとリンが、にっこりと微笑んだ。
旅人用のマントが、とてつもなく似合っている。
馬車に乗っているのは、ジーンとシロウ、そしてベティエールだ。
ベティエールも、彼の故郷まで共に乗っていくことになった。
実は、あえてベティエールの故郷を通過するように旅路を組んだのだが、それは内緒である。
現状、ベティエールを単独で行動させることが不安なので、ナルが我儘を言って同行してもらうことになったのだ。
「でもやっぱり心配だ。よし、俺もついていってやろう!」
「おじい様、私は大丈夫ですよ」
「ナルは可愛くて綺麗な天使だから、誘拐されるかもしんねぇじゃん」
ジェンマがそう言って、ナルを抱きしめた。
その瞬間、空気が凍った気がしたのは、きっと気のせいじゃない。
「ジェンマ殿、私の妻との距離が、少々近いのでは」
絶対零度のシンジュの言葉だが、ジェンマは怯えることもなく、むぅと不満そうに頬を膨らませた。
(くっ、美しいうえに可愛いのはジェンマ様だよ!)
昨夜シンジュから聞いたところによると、ジェンマはまだ五十代らしい。この世界では孫を持っていてもおかしくない年齢らしいが、独身主義を貫いているとか。
こんなふうに、むぅと頬を膨らます祖父(?)は、庇護欲をそそる名人なのかもしれない。行動はまったく違うのに、雰囲気がやはりというか、ベティエールに似ている。
なんだろう。
もし他の誰かがしても、うざ、と思うだけの仕草なのに、物凄く構ってあげたくなってしまう。
そろそろシンジュの視線が、凍てつきを通り越して石化させるごとく剣呑になってきたので、ナルは慌てて口をひらいた。
「お、おじい様、私は可愛くも美しくもありません。えっと……メルルのような子を、世の中では可愛くて美人だというのですよ」
ジェンマはナルをぎゅうぎゅうと抱きしめたまま、ナルの視線を追うように振り返る。
いきなり名前を呼ばれたメルルは、目をぱちくりさせて首を傾げた。
だがさすが名家に仕える使用人だ。
すぐに気をとり直して、にっこりと優しい笑みを浮かべた。
「奥様。私は整った顔立ちをしているかもしれませんが、愛らしさや美しさという意味では、奥様とは比べ物になりません。奥様ほど素敵な女性は、この世におりませんもの。美しさや愛らしさというのは、造形美とは異なるのです。つまり、奥様を愛している私の気持ちに変わりはございません‼」
(む?)
「へぇ、よくわかってんじゃねぇか。メルルって言ったか、お前の美意識を褒めてやろう!」
(んん?)
「奥様のおじい様に褒めて頂けるとは、光栄の極みでございます。私、これからも奥様のことを愛し続けます!」
「その意気やよし!」
ぐっと親指をたてるジェンマに、ぐっと親指をたてて合図をするメルル。
ナルは何も言わず、そっとジェンマから距離をとった。
何も見なかったことにしよう。
ジェンマや師匠、リンがいるなかで美しいと持て囃されるのは、居た堪れない。
胃がじくじくするほどだ。
ナルは最後にもう一度シンジュを振り返って、にこりと微笑みかけると馬車に乗り込んだ。
護衛騎士二人は馬車の両サイドを馬で駆けることになっている。
御者は、雇いの者だ。
腕の良い者をシンジュが厳選してくれた。
「では、行ってまいります」
馬車がゆっくりと動き出す。
馬蹄の音が早くなり、馬車も滑るように屋敷の門を抜ける。
あっという間に見えなくなった見送りの人たちを想い出して、もう寂しく思ってしまうけれど、仕方がない。
「……ナル」
呼ばれて、はっと顔をあげると、ベティエールが心配そうに見下ろしていた。
「なに? ベティ」
「ナルはいつから、ジェンマ殿の孫になったんだ」
「……よくわからない。ほんとうに。おじい様と呼んでほしいって言われたから、呼んでるの」
「そうか」
ベティエールは微笑を浮かべて頷いた。
「ジェンマ殿は、私の師でもある。文官だが、剣に、関しても、稽古をつけて、くださった方だ。私の、武人としての基礎を、作ってくださった方、といっても、過言ではない。とても、信用のおける方だ。仲良くして、恩を売っておくといい」
(……最後の一言が微妙に辛辣っ)
だが、ベティエールと雰囲気が似ていることに、納得する。
ベティエールの話をきくと、仕草や男としての嗜みまで教え込まれたというので、似ているのは確かだという。
「確認ですが、宜しいでしょうか?」
くいっ、とモノクルを押し上げて、シロウが言う。
にっこりと浮かべた笑みは、ザ・社交辞令といった雰囲気の笑みだ。
「まず、ベティエール殿の故郷へ行きます。そこでベティエール殿を下ろし、次にベルガン地方へ向かいます。ここまで、宜しいですね?」
頷くと、シロウは「かしこまりました」と微笑んだ。
その後の予定は、ベルガン地方に隣接する国境を越えて柳花国へ入り、さらに風花国への国境を越える予定だ。
鎖国状態の風花国とは交流一つとっても難しい。
とはいえ、柳花国と風花国はもともと一つの国家だったので、柳花国ルートでの入国が、どこよりも可能性があるという。
だが、ベルガン地方より先の予定に関しては、ベティエールには秘密なので、ここでは話さない。
「それにしても、旅行なんて何年ぶりでしょう! わたくしの美的センスに適う品が見つかるでしょうか、楽しみです!」
ふふん、と笑うシロウは、今日も今日とて男装だ。
本人いわく、男装のほうが安心するらしい。その意見には、ナルも全力で賛成する。揺れる馬車の旅に、ふりふりひらひらドレスは不要だ。
こうして、ナルの少しだけ長くて、とても濃い、小さな旅が始まった。
きりがよいので、ここで一章完結です。
二章では、ベティの過去や柳花国でのお話となります。
ここまでお付き合いくださって、ありがとうございます!
ブクマ、感想、誤字脱字報告(誤字脱字多くてすみません、、見落とし多すぎて泣ける。。)ありがとうございます。
ヒーローの出番が少なめ(相変わらず)ですが、三章辺りにがっつりでてくるので(多分)。
更新は、暫く先になりますm(__)m
宜しくお願い致します。




