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第二幕 第一章【9】 想い①


 ナルは、貴族用の通路を馬車に乗って王城へと入った。

 隣には、レイヴェンナー家当主であるフェイロンがいる。午後から所用で王城へ行くフェイロンに、シンジュへ差し入れをする名目で同席させてもらったのだ。


 馬車が、貴族用通路の入り口にしては簡素といえる、三段ほどの石段の前で止まる。

 階段をのぼり、飾りの意味で聳える石柱を過ぎると、両開きのドアがあった。

 精緻な細工が施されたドアは、深夜以外は開かれたままで、両側に見張りの兵士が立っている。


 ナルは、師匠とともに貴族用のドアをくぐって、王城へ入った。


「言付けのやり方はわかるか?」

「いえ、初めてなので」

「刑部省の場所は?」

「……いえ」

「だろうな。私も知らん」


 それはそうだろう。

 刑部省は、いわゆる情報機関だ。法廷は勿論、機密情報の一切を握っている部署といってもいい。


 ナルは、首を傾げた。


「どこへ取り次げばいいんですか?」

「総務だな。送ってやろう、方向は同じだ」

「ありがとうございます」


 師匠は苦笑すると、貴族然とした態度で歩みを進める。

 ナルも、貴婦人として胸を張り、普段よりおめかししたドレス姿で、師匠の隣を歩いた。歩くたびに、頭上で整えた髪が、ふわっふわっと肩で跳ねる。


「あそこが、総務だ。王城の雑務の一切を取り仕切っている、いわば玄関口だ」

(雑務って)


 会社の受付窓口のようなものだろうか、と思っていたナルに、雑務と言う言葉は衝撃だった。

 偉い人にも、雑務には雑務の大変さがあるのだと、わかってもらいたい。

 そもそも、一言に雑務というが、「え、それもやるの?」といった部類のことが多く回ってくるのが、総務なのだ。


 と、元総務課にいたナルは叫びたかった。


「……全く、お前は」


 ふと、師匠が言う。


「この短期間で、変わったな」

「はい?」

「半年の間で、お前の、自身に対する考え方が変化してきたように感じる。よいことだ」

「そうですか?」

「以前のお前ならば、私が『シンジュには言うな』といえば、従っただろう。お前にとってシンジュの存在がどれだけ大きかろうと」

「……そうですね。師匠は、私の師匠ですから」


 ナルは今、シンジュに全てを話すためにここにきた。

 毒の件。

 そして、ナルが風花国へ行くという作戦を決行する手筈である件を、だ。


「よい出会いをしたな。失う恐ろしさよりも、得た者を大切にすることを覚えてくれたことを、嬉しく思っている」


 師匠はナルの頭を軽く叩くと、「ここだ」と受付の前で足を止めた。

 軽く手を挙げて、そのまま歩き出す師匠に、ナルはスカートを持ち上げて正式な礼をする。


 受付で、シンジュへの面会を告げる。

 驚いた様子の受付の男性だったが、慌ててナルを貴族用の待合室へ案内した。貴族用待機室でも、特別な部屋だということはひと目でわかる。


「これが、王族の扱い……わぁ」


 よく見れば、壁の創生神話に出てくる、始まりの女神が描かれていた。女神の手前で膝を折る一人の男性がいる。

 唯一、女神に愛された人間だ。

 始まりの女神と創生の男との間に生まれた子の子孫が、現在の王族とされている。大貴族は、始祖の子と言われる原初の光から生まれた人間の末裔だ。


(モーレスロウ王国は、建国して三千年だっけ。……その前には、別の国があったらしいけど。この世界も、長い歴史を刻んでるなぁ)


 前世では、中国の歴史が最も深かった記憶があるが、おそらくこの世界は、もっと深い歴史を歩んでいるはずだ。

 歴史書に関しては、極端に数が少ないため、まだ満足に目を通せていないけれど。


「……んんん?」


 そういえば、歴史がある割に、あまり科学が発達していないような気がする。


 保温ポットとして使う、高性能の魔法瓶はあるが、電気はない。

 ダイヤやガラスを加工する技術があるのに、銃といった武器はない。


 ガラスも、鉄もあるのに。


 何か、とてつもない違和感のような、前世との決定的な違いに気づいたような気がしたが、それが何なのか具体的な言葉が浮かばない。

 深く考える間もなく、ドアがノックされて、別の部屋へと案内された。

 見るからに、応接間といった雰囲気の部屋だ。分厚い絨毯に、質の良い素材で作られたソファ。陽光で色褪せるはずの高価な染色布をふんだんに使ったカーテンは、設えたばかりのように美しい光沢を放っている。


(ザ・王族って感じ……すごいなぁ)


 ほどなくして、シンジュがやってきた。

 もっと待つことになると思っていたナルは、あまりの早いシンジュの登場に、こぼれんばかりに目を見張る。

 両手で抱えたままの差し入れを抱きしめて、まじまじとシンジュを見た。

 ドアをくぐった場所でいつもの無表情で佇むシンジュは、いつもと雰囲気が違うような気がする。


 仕事モードでやってきたといった感じだ。

 突然の妻の来訪にも、乱れ一つない衣類や髪型でやってきて、涼しい顔をしているところなど、完璧な上司。

 久しぶりの憧れ上司を間近に見て、ナルはぽっと頬を染めた。


「……旦那様は、格別に格好いいですね」


 思わず呟いた言葉に、シンジュは顔をしかめた。

 ナルの全身を見たあと、「座れ」と促して、お互いに客間のソファに座る。


 ぼうっとシンジュに見惚れていたナルだったが、ソファに座った頃には、強引に頭を切り替えた。

 仕事中のシンジュに見惚れにきたのではない。

 用事があってきたのだ。


「突然の来訪、ご迷惑をお掛け致します」

「構わない。差し入れを持ってきたとのことだが」

「はい、こちらです!」


 ずい、と抱えていた包みを差し出す。

 シンジュは両手で包みを受け取ると、丁寧にひらいた。


 中から出てきたのは、ここへ来る途中の菓子屋で買った甘味だ。シンジュはそれを見ると、眉間に深い皴を寄せた。


「……クッキーはお嫌いでしたか?」

(ベティのクッキーを美味しそうに食べてたから、好みかと思ったんだけど)


 不安に声を小さくするナルに、シンジュは「いや」と答えた。


「お前のことだ。まさか本当に、差し入れのために来たわけではあるまい」

「私が、差し入れのためにきたらおかしいですか」

「素直に納得しろというほうが無理だ。それで、本題はなんだ」


(わぁ、読まれてる)

 確かにナルは、甘味の準備をして、さらに身なりを整え、馬車を呼ぶという、一日のなかでも結構な時間を使う「差し入れ」にあまり興味を持てない。


 愛するシンジュに食べて貰いたいから! と意気込んで作るのなら休日でよいし、平日は平日で、屋敷の管理は勿論、細々とした使用人とのやり取りや、己を取り巻く環境の変化に伴う知識を得ること、さらには、気晴らしに自分の時間をもつ、ということまでやるほうを選ぶ。


(こうやって改めて考えると、私って本当に、可愛げないよねぇ)

 生粋の貴族令嬢のはずなのに。


 ナルは、潔く頷いた。

 そして。

 すっ、と、寝室で正座するときのように、表情を改める。


「実は、旦那様にお話したいことがあって参りました」


 シンジュは目を細めると、何かを吟味するように、鷹揚に頷いた。


 ナルは、最初にベティエールの件を話した。

 毒が盛られていること。

 実行犯の目星はついていること。

 フェイロンも動いており、その件の落としどころも明確になっていること。


 シンジュは黙ってそれらを聞いていた。

 ベティエールが狙われているというくだりで眉をひそめた以外、特別な表情の変化はない。


 さらに。

 ナルは、ベティエールに使われた毒が「夢蜘蛛」であること、そして、十二年前のルルフェウスの戦いのことも交えて、父が行ってきただろうことを話した。

 ナルは隠し事をせず、正直に話した。


 十二年前、父やベルガン元公爵と結託し、夢蜘蛛をばら撒いた者について調べに行きたいと。

 今回の件について、フェイロンやジーンも相談に乗ってくれているが、自分が我儘を通したのだということも強調しておく。


 療養で王都を離れた際、そのまま風花国へ行く。

 そんな突拍子もない話を聞かされたシンジュは、驚くこともなく、いや、胸中では驚いているのかもしれないが、ただじっと、最後までナルの話を聞いた。


 すべてを話し終えたナルが、膝の上で、拳を握り締めていると。


 シンジュは抑揚のない声で、簡潔に問うた。


「それは報告か、意見を求めているのか」


 怜悧な瞳が、ナルの視線を捕える。

 生唾を飲み込むと、ナルははっきりと答えた。


「報告です」

「そうか」

「今回の件は、私個人の我儘です」


 ナルは、一度言葉を切る。

一呼吸おいてから、ぐっと顔をあげた。


「旦那様。私と、離婚して頂けませんか」

「……理由は」


 やはり、シンジュの表情は動かない。

 淡々と部下の報告を聞く上司の顔で、そこにいる。


 あまりにも早いシンジュの切り返しに、ナルが戸惑うほどだった。

 ナルは極力、表情には出さずに、やはり淡々と、返事をする。


「旦那様の妻である限り、動きにくくなるからです。行動に制限が出来ること、それが困るのです。それに、わたしの我儘に旦那様を巻き込みたくないのです。どうか、願いを叶えてくださいませんか」

「なるほど」


 シンジュは、くっと笑う。

 冷やかな目でナルを見据え、きっぱりと言い切った。


「却下だ」

「……え」

「行動に制限ができるから、という内容では、離婚はできん。もしお前が、()()()()()()()()()()()()()というのなら、今ここで離婚の手続きに取り掛かってもよいと思ったが……私が頷くだけの理由には、足りん」

「えっ、え、あの」

「まずは、ここまで足を運び、私へ話しに来たことを褒めてやろう」


 ナルは、背筋をぐっと伸ばした。


「だが、ベティエール殿の件については報告が遅い。屋敷の管理をするということは、ひいては使用人を守るということでもある。……ベティエール殿の不調に気づけなかった私にも非があるが」

「申し訳ございません!」

「謝罪など無意味だ」


 ばっさり切り捨てたシンジュに、ナルは唇を噛む。

 当然だろう。謝罪を受け入れて貰えないほどの失態なのだから。


「ピッタ、だったか。その使用人に関しては、フェイロンに任せよう。あくまで屋敷内で起きたこととして、事情を確認する。必要に応じて刑部省も動くことになるだろうが、毒が他国から持ち込まれた可能性があると言ったな? ならば、大々的に動くことはできんし、犯人を逃がした際の追撃もできんものと思え」

「はい」

「……その辺りは、私もフェイロンと直接話をしよう。今、お前と話す最優先事項は、療養に関してだ。予定を変更する」

「変更、ですか?」

「まず、お前につける供だ。ジーンはもとよりつけるつもりだったが、もう一人、女の武官を世話役としてつけよう。本来予定していた、屋敷の女中は置いていけ」


 シンジュは、すでに決定していた療養に関する細かな取り決めを、ナルが風花国へ行くことを前提とした内容へ組み替えていく。


 その手際の良さに、ナルはただ舌を巻いた。

 シンジュは今初めて、ナルから報告を聞いたのだ。毒の件は勿論、ナルが風花国へ乗り込もうとしていることも。

 なのに、その言葉を真正面から受け止めて真剣に考え、よりよい方向へ話を進めるシンジュは、今更だが、刑部省の長官なのだ。

 さすが裁判長、と褒めたくなる判断力である。


 一通り話し終えたシンジュは、一度視線を落とした。

 静かに目を閉じて、ややのち、また視線を合わせる。


「ナル」

「はい」

「やりたいことをやれ」

「っ!」


 息を呑む。

 何か言わなければと思うのに、言葉が出てこない。


「もし、私と夫婦であることがお前のやりたいことの枷になるようならば、離婚しよう。だがそれは、此度の件が終えてからだ」

「え? あの、終えてからって」


 今回の件で迷惑がかからないように、離婚しておこうと思ったのに。

 終わってからでは、意味がない。

 そう思ったナルの思考を読んだように、シンジュが付け加えた。


「私の言わんとしていることは、そのうちわかる」


 首を傾げそうになったが、はい、と答えた。


「必要なものがあれば、用意しよう。資金についても、お前は働いた分の給料しか受け取っていないようだからな、妻としてのボーナスもつけておいてやる」


 まさに至れり尽くせりだ。

 シンジュが前向きにナルに協力してくれるなど思わなかったので、つい、本音がこぼれてしまう。


「行くな、とは言わないんですか」

「なぜ」

「え?」


 なぜ、と切り返されて、ナルのほうが返事に困ってしまった。

 危険だから行くな、と言われるほどには愛されていると思っていたが、そうではなかったのか。

 そんなふうに落ち込みかけたナルは、シンジュの言葉で、自分が根本的な部分から勘違いをしていたことに気づいた。


「お前は、やりたいことを見つけたのだろう。なぜ私が、それを止める? 私がやるのは、お前のやりたいことが少しでも円滑になるよう、助力することだ」


 当たり前のように、言われて。

 ナルは、ただ愕然とした。

 込み上げてくる熱は、あっという間に視界をぼやけさせ、涙となってはらはらと目からこぼれる。


 ナルは、恋愛経験があまり豊富なほうではない。

 けれど、前世では何人か交際していた人もいたし、婚約したことも二回ある。


 愛し愛される関係である限り、ギブアンドテイクは当たり前。

 お互いに心地よい関係を心掛けるものだと思っていた。


 だから、ナルがシンジュの妻として愛されている限り、ナルはシンジュのためにあり続けなければならない。それは、シンジュが働いて妻を養うのと同じくらい、この世界では当然のことだった。

 前世の世界でも、それはほとんど変わらない。


 ナルが他国へ行くなど、シンジュにとっては迷惑極まりない話だ。

 体面どころか、地位さえ、いや、立場さえ危ぶまれる可能性がある。だから、行くなというのが、当然なのに。


 涙だけではなく、嗚咽もこらえきれずに漏らし始めたナルの頭を、シンジュが撫でた。

 そのまま、机を回り込んで隣に座ると、強く抱きしめてくれる。


「わ、わたっ、しっ、駄目だ、って、否定されるとっ、思ってましたっ」

「やりたいこともできん人生など、つまらんだけだ。甘やかしてやると言ったはずだ。好きなことをして生きろ」


(あ、甘やかしすぎ――っ!)


 ぽろぽろと泣くナルをシンジュが、苦笑して見下ろしているのを感じた。

 ふわりと香るシンジュの香りを存分に吸い込んで、ナルもシンジュを抱きしめる。身長差があるので抱き着く形になるのだが、今はしがみついていたかった。


「ナル、一つだけ約束してくれ。すべてを終えたとき、可能ならば戻ってきてほしいが。なんらかの理由で私の元へ戻れない場合、それでも構わん。ただ、無事だという連絡は、必ずいれてくれ」


 シンジュは子どもに語り掛けるように言うと、ナルの背中を撫でた。

 ナルは何度も頷くけれど。

 このときのシンジュの言葉の意味を、ナルはまだ、理解できていなかった。





閲覧、ブクマ、評価、誤字脱字報告ありがとうございますm(*_ _)m

次は、明日か明後日更新です、よろしくお願いしますm(*_ _)m


感想もありがとうございます、ちまちま返信させて頂きますー!

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― 新着の感想 ―
[良い点] どんどん感動話になってきてる気がするの私だけ…? 今日も今日とて面白い!! [気になる点] 旦那様の心の中覗きたいなぁ [一言] 返信は大丈夫でーす! 続き楽しみにしてますね
2020/06/12 19:01 ココナッツ
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