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第二幕 第一章【6】 計画と、変化する関係①


 ジーンは、右手で髪を掻き上げた。

 暖炉を灯しているせいか、やたらと暑い。


「体調不良か」


 上司であるシンジュが、執務机からジーンへ聞く。

 公休の二日が明けた今日は、久しぶりの仕事である。だが、どうも身体が重く、思考がまとまらない。


「なんでもありませんよ。どうしてです?」

「ため息が多い」

「……私にだって。悩みがあるんですよ」


 咄嗟に肩を竦めてそう返すが、シンジュは「ふむ」と頷くと、ちらっとジーンの執務机を見た。

 だが視線はすぐに、ジーンのほうへ戻ってくる。


「目の下に隈があるようだが、夜も眠れないほどの悩みなのか」

「おや、悩みごとの相談に乗ってくださるんですか」


 てっきり、悩みなど嘘だろう、と返されるかと思っていたので、茶化して答える。

 だがすぐに、首を横に振った。

 シンジュが納得するだけの理由を考えるのも面倒で、ぼんやりとした思考のまま、単純に否定だけしておく。


「眠れてますよ、体調管理も仕事のうちですから」

「くだらんな。体調管理が仕事だと? 不摂生な生活をする者は大勢いるだろう。だが、ごく一部には、体調管理ができん者がいるということを――」

「あーはいはい、いいですそういうの。とにかく、大丈夫ですから」


 シンジュはとにかく、公平を好む。

 貴族としての立場を利用することもある癖に、と思わないでもないが、シンジュが刑部省長官の地位にいるのは、紛れもない努力と仕事にかける熱意の賜物なので、自分のように努力する者が好きだという考えも、わからなくはない。

 シンジュの場合、そこに()()()が加わることが厄介だ。


 シンジュはまた、ふむ、と頷く。


「ジーン」

「なんです?」

「お前の後任は育っていたな」


 さすがにジーンも、その言葉には顔をあげた。


「はい、一応」

「お前には別件で動いて貰おうと考えている」

「……別件ですか?」

「刑部省の者として、暫く護衛対象についてほしい」

「そういうのは、武官の仕事でしょう」

「護衛対象につくとはいえ、武官は他につける。こちらと連絡を取れる相手が必要なんだ。お前ならば、現状の貴族らの動きも把握している、暗号もすべて暗記しているだろう。何より、ナルと顔見知りだ」

「なぜここで、奥方が出てくるんです」

「ナルが護衛対象だからだ」

「……は?」


 ジーンは、首を傾げた。

 何がどうしてそうなったのか。

 毒の件が、変なふうに伝わったのかと思ったが。


「暫くの間、ナルには王都から離れて貰うことにした」


 どうやら、毒の件ではないらしい。

 ジーンは、すぐにシンジュの意図を理解した。


「つまり、あなたが潰しきれないほど、貴族らの裏契約が活性化しているということですか?」


 だから、一旦ナルを王都から避難させるのだろう。

 シンジュは言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。


「潰せる物は潰している。だが、先のベルガン元公爵のように、私の知らない場所で秘密裏に何かが動いている可能性も捨てきれない」

「確証でも?」

「いや。だが、私が潰している密約に、本気さの窺える暗殺依頼がないことが引っかかっている」

「本気で暗殺を企てる者は、どこまでも慎重ですからね。奥方を避難させるというのはわかりましたが、同行は私でなくてもよろしいでしょう?」

「お前に決めた」

「……ええー」

 暴君だ。

 内勤希望のジーンに、王都外への旅に同行せよなど。


「今から、補佐後任へ引継ぎを済ませて、ナルに同行する準備を進めろ」

「いや、あの、待ってくださいって」

「出立は、今週末だ」

「はやっ!」


 何度かその後も断ったり、代案を出したりしたが、シンジュは譲らない。

 仕方なく引き受けて、後任の補佐へ引継ぎを済ませてから、遠出の準備に取り掛かるため、早退した。


(まったく、いきなり過ぎません? 奥方からも聞いてないんですけど。急遽決まったんでしょうか)


 深いため息をついて、乗り合い馬車を降りた。

 仕事の詰襟服は王城で着替えてきたので、今のジーンは私服だ。薄手のシャツとスラックスを着て、腰にポーチを巻いている。

 その上に、厚手の外套を羽織るだけという簡素ないでたちだ。


 ジーンは帰宅せず、真っ直ぐにナルのもとへ向かう。

 今週末にナルが王都を発つのならば、しかもジーンもそれに同行するとなれば、夢蜘蛛を仕込んだ者の捜索について、悠長なことは言っていられない。


 ()()()()()()()()()()()()()のだ。

 今は、その者の周辺と、その者を操っているだろう者を調べつつ、情報を収めているところだった。


 時間があれば、じっくりと周囲から固めて、蜥蜴の尻尾切りとならないように犯人を捕らえるところだが。

 何を目的に動くかは、ナル次第だ。


 夢蜘蛛が関係している以上、なんらかの形で他国が関係していることは確かだろう。

 国家間の関係を考慮するならば、内々に治める方向で『使用人同士の争い』として処理する可能性もある。

 そうなれば、実行犯を捕らえて理由を吐かせるだけなので、簡単なのだが。


 ジーンは、シンジュの屋敷の近くまでくると、警備の目をそらして、塀を軽々と乗り越えた。

 軽く塀を蹴って木々へ乗り移り、屋根伝いにナルの部屋がある窓へ向かう。


 一般の者には出来ない芸当だろうが、幼いころから軽業師や曲芸師としてカネを稼いでいたジーンにとって、これくらいの身体能力はあって当たり前だ。

 現役時代、厳重過ぎる警備の屋敷へ侵入していた経験が役に立つとは。


 ジーンはナルの寝室の窓を、そっと覗き込んだ。

 動く人影はない。

 ナルの姿も見えないが。


(カラスは……いますね。まったく、王都を発つなら、連絡くらいしなさいって話ですよ)


 ジーンは憮然と窓をひらくと、そっと身体を滑り込ませた。


 その瞬間。


「――きたか」


 男の声がした。

 やや低めのアルト声は、羽毛で撫でるような柔らかさで、ジーンの耳へと届く。

 ジーンは、床にしゃがみこんだ姿勢のまま動きを止め、視線だけを素早く走らせた。


 背筋に冷たいものを感じると同時に、現状を素早く判断する。


 逃げるか?

 否。


 この声には覚えがある。


 その男は、ベッドにいた。

 半身を起こした状態の色男は、気怠そうに髪を掻き上げると、軽く笑った。なぜか、上裸だ。


「これは、レイヴェンナー侯爵殿。……きたか、ですか」

「ああ。ここで待っていれば、会えると思ってな」

「私にご用ですか? 主人不在の屋敷へ不法侵入してきた私に?」


 フェイロンは、ふふっと笑う。

 笑い方が無駄に色気を醸していた。篭絡でもする気だろうか。あいにく、こちらはいたってノーマルな性癖だ。


「そろそろ、話をしておく必要があると思ってな。……毒の件だ」

「随分と、単刀直入に言いますねぇ」

「腹の探り合いなど、するだけ無駄だろう」


 ジーンはふと、近づいてくる気配に気づいて、ドアへ視線を向けた。

 やや遅れて、フェイロンもドアへ視線を向ける。


 ガチャ。


 ひらいたドアから、ナルが大きな欠伸をしながら入ってきた。


「ふぁあ……あ?」


 ナルが、ジーンを見て動きを止める。だがすぐに我に返ると、部屋に入ってドアをしめた。丁寧に鍵まで掛けてくれる。

 ほっとした様子のナルだが、床に膝をついてしゃがんだままのジーンを見て、眉をひそめた。


「何やって……うあ⁉」


 一歩歩いたところで、ナルはフェイロンに気づいたようだ。

 ゴキブリでも見るような目で、師である男を見た。


「ちょ、どうして師匠が……え、え、ええっ」


 ナルは、フェイロンに気づいて驚いたあと、彼の上半身が裸であることに驚く。二段階に驚いたナルは、信じられないといったふうに首を横にふった。


(まぁ、夫婦のベッドに他の男が上裸で入ってたら、ドン引きますよねぇ)


 ナルは、軽く額を押さえてから、フェイロンの傍へ歩み寄った。


「こんなところで、ジーンさんを待ち伏せしてたんですか」

「よくわかったな」

「私に直接言ってくださいよ、ちゃんと会合の場をつくりますから。どうせ布団にもぐって待ち伏せしてたんでしょう? ……ほらぁ、汗かいちゃって。この時期に汗かいて服を脱ぐなんて、風邪ひきますよ」

「……むぅ」

「ちょっと待っててください、着替え持ってきますから。ああもう、下着までぐっしょりじゃないですか」


 ナルは床に散らばった衣類を抱えて――下着も拾って――さっさと部屋を出て行った。


「……もしかして、全裸?」


 思わず、呟いてしまう。

 フェイロンはちらっとジーンを見ると、なぜか、不敵に微笑んだ。


「いいだろう?」

(……は? なんですか、この人)


 すぐに戻ってきたナルは、フェイロンの着替えを持っていた。しかも、濡れタオルまで持ってきており、手早くフェイロンの背中を拭き始める。


(なんで世話焼き女房やってるんですか。過干渉ですよ、病人じゃあるまいし)


 苛立ちを込めてフェイロンを睨む。

 視線に気づいたフェイロンはまた、にやりと笑ってみせた。


 ジーンは、フェイロンが嫌いだ。

 ナルの師でなければ、こうして同じ部屋にいるのさえ避けたい。


 ジーンはモーレスロウ王国にきて、かの争いの責任を負ったベティエールに、怒りの矛先を向けていた。

あれだけの大事件を引き起こしておいて、まだ生きていると知ったときは、腸が煮えくり返ったものだ。


 だが、ベティエールの姿を見てから――そして、ベティエールの『その後』を調べてから、溜飲を下げた。


 けれど。

 つい先日、シンジュの披露目をした夜会で。

 フェイロンこそが、責任を負うべき存在だと知った。


 フェイロンの存在自体を知ったのは、ナルが殺人事件の犯人にされそうになったときだ。

 その後、フェイロンが風花国の人間だと知って、ある種の危機感を覚えていたけれど、近づかなければいいと、あまり深く考えていなかった。


 それだけの存在だった男のはずなのに、今はただ憎くて仕方がない。


 ベティエールは、地位と身分を捨て、名誉を地へ落としたというのに。

 毒に侵された身体で、ささやかに、だが、懸命に生きているというのに。


 なぜフェイロンは、地位も身分もある健康体で、今ここにいるのだろう。

(……これって、私の逆恨みでしょうか)


 毒を作り出したのは、ジーンだ。

 その点を棚上げして、フェイロンを責めるなんて。


「二度としないでくださいね。夫婦のベッドに全裸で潜り込むとか、ただの変質者ですよ」

「わかったよ」

「早く、嫁を貰ってくださいね」


 しみじみと呟いたあと、ナルがジーンを振り返った。


「ジーンさん、驚かせてごめんなさい。どうぞ、ソファに。今、温かい紅茶煎れるから」


 ナルの笑顔にほっとして、立ち上がる。

 ソファへ向かって歩き出したとき。


「私は、いつもので頼む」

「はいはい。着替え取りにいったとき、師匠専用茶葉も持ってきました」


(用意周到すぎません⁉ 熟年夫婦ですか⁉)


 思わずまた、フェイロンを睨みつけると。

 はた、と目が合った。

 ふっ、とフェイロンが嘲笑を浮かべる。


「言っておくが。私は貴様ではなく、シンジュ推しだ」

「は?」

「なんだ、無自覚か。(たち)が悪いな」


 フェイロンはやたらと優雅に、ソファに座る。

 机を隔てた向こう側に座ったフェイロンは、背凭れに深く身体を沈めて、肘置きに腕を置く。


「さて、貴様のことは、なんと呼ぼうか」

「ジーン、で結構です」

「では、そうしよう。ジーン、きみを待っていた理由は毒の件だ」

「……それはさっきも聞きましたが」

「本題は、ナルが来てからにしようか」


 フェイロンは、女神と称される美貌を惜しげもなく微笑ませる。

 気持ち悪いほどに整った顔は、奇跡の造物といえるだろう。

 確かに美しいが、それだけだ。ジーンの心を揺さぶるものではない。


 居心地の悪い時間は長く感じるものだ。

 ナルがやっと茶を用意してきた頃には、握り締めた両手が嫌に汗ばんでいた。



閲覧、お気に入り、評価、感想などなど、ありがとうございます!

感想のお返事が遅れてしまって申し訳ありません<(_ _)>

頂いた感想は、大切に読ませて頂いております!


今週中には第一章【10】まで投稿予定です。

どのタイミングで公開になるかわからないのですが、どうぞ、よろしくお願い致しますm(__)m

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