3-7、現状報告
夢のような時間は、あっという間に過ぎてしまう。
現地で三泊四日、すべて込々で五泊六日。
屋敷へ戻ってきたナルたちは、余韻が冷めずに、ふわふわとした心地で二日間を屋敷で密に過ごした。
そして今日からまた、日常に戻る。
だが。
(確認することが、ありすぎる……)
当然ながら、不在の間も時間は過ぎており、変更事項や行ったことなどをジザリから聞く。
重大な危機は起きなかったようだが、ちょっとした手違いなどがあり、その都度ジザリが対応してくれていた。
一通り確認を終えると、これまでは午前中で終えていたことが、夕方までかかってしまった。仕事を溜めこむと面倒なのは、どの世界でも同じらしい。
ぐったりと疲れた心地で、ナルは寝室のソファに座り込んだ。
カシアが紅茶を淹れて、退室する。
ナルは、紅茶を飲んでぬくもりにほっこりしながら、何気なくベッドを見た。
枕元に、二つのカナウサギが並べてある。
「楽しかったなぁ」
旅行中の日々を想い出して――ふふっ、と微笑んでしまうのは、仕方がない。
誰にも見られていないのだからよいだろう。
本当に、本当に、心から楽しかったのだから。
そういえば、とナルは窓の外を見た。
すでに辺りは暗闇になっている。部屋はランプで明るいため、時間の経過がわかりにくかった。
(そろそろ旦那様がおかえりの時間だけど……今日は、王城で泊まりかな)
ただでさえ休み明けで多忙なのだ。
定時帰宅は勿論だが、帰宅そのものも厳しいだろう。
もしかすると、平日だけではなく、休日出勤もありえるかもしれない。
ナルはベッドにのぼって、カナウサギを見つめた。
「仲良しだなぁ」
二匹をそれぞれつついたとき。
「あなたもデレッデレですねぇ」
「ぎゃあっ」
「……相変わらず、色気も何もない悲鳴どうも」
慌てて起き上がったナルは、ソファに腰をおろしたジーンを見て、首を傾げた。記憶にいるジーンより、顔色が悪い。元気もないようだ。
「どうしたの。何かあった?」
「おや、どうしてです?」
「……疲れてるみたいだし」
「まぁ、そりゃあね。これからもっと忙しくなりますよ」
ナルは、目を見開く。
「じゃあ!」
「具体的な日程が決まりました。あなた方が新婚旅行へ行っている間、並行して工作員を潜り込ませていたようです。内部から探ることで、工場の位置の特定に成功したと」
ナルは、ごくりと生唾を飲み込んだ。
ベルガン公爵が、自分の領地に武器製造のための工場を持っているだろうことは予想がついていた。
だが、部品を別々の工場で作っていることや、部品の輸送が巧妙であることもあって、メインとなる武器そのものへと組み立てる工場がわからないままだったのだ。
本拠地ともいえる武器工場を押さえなければ、公爵捕縛後に、工場が悪用される可能性があるため、放置は出来なかった。
(これで、公爵を捕らえるのと同時に工場を制圧できる……よし。それにしても、工作員ってさすが優秀。バロックス殿下のところの人かな)
あの王子のことだ、手元には優秀な者しか置いていないだろう。
「はぁ、半月後ですよ~。詳しい日程はまた長官からお話があるでしょうけど。もう、緊張感凄いし、大変で。シルヴェナド家のときを思うと、まぁ、まだマシなんですけどねぇ。……失礼」
「いいけど」
ジーンは、「じゃ遠慮なく」と言ってソファに寝転んだ。
てっきり、シルヴェナド家の話題を出したことについての謝罪だと思ったが、今から横になりますよ、という断りだったらしい。
本格的に、疲れているようだ。
「材料の密輸ルートも判明しました。やはり、表で行っている個人事業の物販のほうで仕入れていたようですね。あなたの友人のフォーゴ? でしたっけ。彼が殿下に、考えられる取引方法を教えているようで、そちらは割と早く判明しました」
「じゃあ、準備は整ってるのね」
「ええ。まぁ、細々とした仕事は残ってますけど。あとは、公衆の面前でザマァするだけですよ」
「ざまぁ……」
「あれ、知りません? 足腰も立たなくなるほど相手の心をへし折ることです」
随分な言葉に聞こえるが、その通りのことをしようとしているので、何も言えない。
今回の作戦は、人格者であるベルガン公爵が罪人であることを、大勢の貴族の前で明らかにすることが重要なのだ。
ベルガン公爵が、貴族らの前で罪を認めるという演出があれば最高だが、本人はおそらく否定するだろう。
罪を認めずとも、捕縛は可能だ。
だが、シルヴェナド家のように秘密裏に捕らえたのでは、ベルガン公爵を慕う者たちの暴動が起きかねない。
領地のほうの統治は、すでにレガーが秘密裏に行動を起こしている。
ベロニアも、ベルガン公爵が捕らえられたあと放置されるであろう、無償学校の運営や慈善事業の取り組みを引き継ぐよう、動いてくれていた。
ことは、半月後に開かれるだろうお披露目パーティで、終わる。
(……終わる、か)
日本で暮らした前世の記憶を持って貴族になったナルは、貴族というものは、コミュニケーションが希薄なのだと思い込んでいた。
抱きしめられたり、手を繋いだり、父も母も、ナルに対してそういったことをしない人だったのだ。
ナルの育児は基本的に乳母が請け負っていたが、乳母もまたナルに愛情の希薄な人だった。
両親からの命令には忠実だった記憶があるが、ナルが三つのときに、路地裏で遺体となって見つかったので、何かしら父の怒りをかったのだろう。
そんな環境で育ったナルは、初めて頭をぽんぽんと撫でられたとき、飛び上がらんばかりに驚いた。
ナルが物心ついたころには、ベルガン公爵は父の友人の一人だった。
優男といった印象で、何かにつけて、苦笑を浮かべていた記憶がある。
ベルガン公爵は、ナルと会うと、頭を撫でて微笑んでくれた。それが嬉しくて、父の友人たちの顔を覚えるようになったのだ。
あれは、今から十年――いや、もっと前だ。
その日。
何かしらの仕事を終えたあとらしく、父は友人らと書斎に集まっていたと記憶している。
ナルはいつものように、部屋にこもって、『この世界』のことを覚えるのに、時間を費やしていた。
バタバタという激しい足音がしたのは、深夜遅くだった。
何事かと見に行くと、ベルガン公爵が、険しい顔で我が家を出ていくところだった。
ナルは、そんな彼を追いかけて、袖を引いた。
『放せ! 私は公爵だ。 私のほうが、地位も名誉も、知能さえも、何もかも上なのだ! 私の何を嗤う!』
まるで、ナルが伯爵自身かのように、ベルガン公爵が怒鳴り散らした。
いつもの優しい笑顔はどこにもなく、ただ、身を縮めるしかなかった。
ナルはベルガン公爵が帰宅したあと、父に、なぜ公爵が怒ってしまったのか確認しようとした。もしかしたら、何か誤解があったのかもしれない、と思ったからだ。
あの頃はまだドアの前に見張りはおらず。
執務室の前まで行ったナルは、初めて、父たちがどんな密談をしているのか、聞いてしまった。
ナルはこれまで、父の商談には興味がもてなかった。
ただひたすら、言葉や法律、自然の摂理などを覚えてきた。
父には、友人が多い。
地位も身分もあって、皆に慕われている。
漠然とそう思っていたナルは、その日初めて、父がどういった立場の人間か、知った。
父は、慕われていたわけではなかった。
正当ではない権力で、あらゆる者を従わせていたのだ。
知れば知るほど、シルヴェナド家の悪歴は凄まじかった。
乳母の死の真相を知ったのも、このときだ。
受け入れることが出来ず、ナルは家を飛び出して――そして、師匠に出会った。
ナルは、静かに息を吐く。
(あれから暫く、頭を撫でられるのが嫌だったな)
無邪気に慕っていた愚かな自分や、優しい笑顔の裏で多くの人の死を画策していた公爵の存在を、思い出すだけで怖かった。
(……あれ?)
静かな寝息が聞こえてきて、ナルはジーンへ駆け寄る。
案の定、ジーンは眠っていた。
「起きて、ジーンさん。今寝たら、朝まで起きない気がする!」
出来ればこのまま眠らせてやりたいが、そういうわけにもいかない。
いつ誰がくるかわからないのだ。
「ジーンさんってば!」
「……ん。足りないんですか? 次に会うときまで、お預けですよ」
「起きてって」
軽く肩をゆすると、ジーンはゆっくりと瞼をあげた。
何度か瞬きをして、ナルを見ると。
「……いやぁ、酔っていてもないです。あなたとは」
「なんの話っ⁉」
「寝ぼけてるときって、見当識がこう、危うくなるじゃないですか。あはは、まったくなかったです、あなたが目の前にいたので」
「……お疲れみたいだから、怒らないけど」
「どうも~」
よいしょ、と呟いて半身を起こしたジーンに、ナルは用意しておいた小包を差し出した。
ジーンが、訝しむ表情をする。
「それは?」
「旅行土産。旦那様には内緒だから、職場に持って行っても大丈夫よ」
「気が利くじゃないですか。どれどれ」
ジーンはやっと目が覚めたようで、小包を丁寧に開いた。
ころん、と現れたのは、花柄の小皿、指ほどのサイズの香水瓶、桃色をした貝合わせの置物、果実を模ったガラス細工の、四つだ。
ジーンは、これ以上ないほどに、奇妙な顔をした。
「……統一性のない、ちまっこいこれらは、なんです?」
「以前、旦那様にジーンさんの好きなものを聞いたの」
「はぁ、それで長官が、私がこれらを好むと?」
指で香水瓶を摘まんで見せるジーンに。
ナルは、にっこりと答えた。
「ジーンさんが好きなのは、女性だって即答だった」
「…………そうですか」
「んでね、この四つにしたの。どれも被ってないし、足がつきにくいものだし、可愛くて万人受けするし。女性へのさりげない手土産に、ちょうどいいでしょ?」
「なるほど、確かに。……私の女性関係まで考えて頂いてどうも。しかも相手が複数人だということを想定して頂けるなんて、お気遣いありがたいですねっ!」
ジーンは、一応ありがたく頂いていきます、と言って、よろけながら窓へ向かう。
「待って、危なくない? 裏から回って、正面玄関から帰ったら?」
「平気ですよ、今後もっと大変になるって言ったでしょう? このくらいでへばってたら、先が思いやられます。仮眠ですっきりしたので、失礼しますね」
結局、やはりその日、シンジュは帰宅せず。
シンジュが帰宅したのは、翌日の昼過ぎ頃。
仮眠をとる、という理由での、一時帰宅だった。
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