63 いざ土下座
そこにいたのは、控え目ながらも明らかな高級ドレスに身を包んだ少女だった。
しっかりと板にしがみついたまま波打ち際に沈んでいる。
「ひ、人? どこかから漂流してきたのかな……?」
「マーサ様、何かあったのですか!?」
「あ、グリ。人みたいなのが流れ着いてるんだけど、どうしようかと思って」
マーサが困惑していると、鷹の頭部を持つ筋骨隆々のペットであるグリがやってきた。
周辺を上空から警戒していたグリはいち早くマーサの困惑に気付いたのである。
「ふむ、それでは俺が海に還してきましょう」
ごく自然な動作で板を持つと沖へ向けて引っ張る。
板にしがみついたままの少女も波に揺られながらついていく。
「待って待ってグリ。その子まだ息はあるよね?」
「ええ、運の良いことに生きてはいるようです」
「それじゃあ話くらいは聞いてみようよ。何でこんなところに流れて来たのか気になるし」
「マーサ様がそう仰るなら」
(せっかくの新婚旅行だけど、このまま見捨てるのもなんか気になっちゃうし、仕方ないよね)
▽
神聖帝国ドミナリオン。
四天教を強く崇拝する宗教国家でありながら強大な軍事力を保有する大陸の覇者である。
ドミナリオンには一人の皇女がいた。
生まれつき魔法の才能に溢れ、膨大な魔力を精密なコントロールで操る彼女は魔法都市フェーブルへと短期の留学の真っ最中だった。
魔導を極めるに違いないと父である皇帝の期待を一身に受けた結果である。
そんな彼女が貴重な休みの息抜きとして魔導列車へ搭乗したのは偶然であった。
何か目的があったわけではない。
従者としてついていた公爵令息が強く勧めたのを受け入れたからに過ぎない。
ただ、魔神王からの宣戦布告を受けて急きょ帰国が決まっていた為にこの休暇を逃せば乗る機会は当面来ないだろうと考えたのも事実である。
その結果、彼女が乗った魔導列車は謎の馬面怪人の襲撃を受けて彼女を含む乗客は海へと放り投げられ、魔導列車は爆発四散。
砕け散った魔導列車の破片に必死にしがみつく内に海流に呑まれ、意識を失った。
「ここまで連れて来たのはいいけど、顔色も悪いし今すぐにでも死にそうな感じがする……! でも私回復系のスキル無かったと思うし、アルディちゃんもまだ戻って来てないし、どうしよう」
「では私に任せていただけますか?」
「何とか出来そう?」
「ええ、進化したお陰で回復魔法にも明るくなったのでございます、ふふふ」
マーサが諦めかけたその時、手を上げたのは山羊の頭部を持つ執事姿のペット、ミヤであった。
皇女を拠点予定地に運んできたのも彼である。
ミヤは倒れている王女の側でしゃがみ込むと、手を翳した。
その掌からは緑色の柔らかな光が溢れ、最後に黒い光を放った。
「終わりました。直に目覚めるでしょう、ふふふ」
「ありがとうミヤ!」
「このくらい、御安い御用でございます、ふふふ。それでは私は周囲の警戒に戻りますね」
「うん、ありがとね」
「ん、う……」
「えっと、大丈夫? 言葉は分かる?」
「……? ん……うん? 女神様……?」
ゆっくりと目を覚ました皇女。
ぼんやりと彷徨っていた視線は段々と定まり、覗き込んでいたマーサを認識した。
まだ身体を起こすことも出来ないままに口を開いた。
「女神様じゃ、ない……貴女このワタクシが驚くくらい可愛いわね。……いえそうではなくって、海を漂っていた記憶はあるのだけれど、貴女が助けてくれたのかしら?」
「ここは無人島で、私達はキャンプしてたんだけど、そこに流れ着いてたんだよ」
「そう。それなら特に感謝する理由もなさそうね。……ところで貴女、口の利き方がなっていないようね。この私が誰だか知らないのかしら?」
「うーんと、ごめんなさい、この世界のことそんなに詳しくなくって……えへへ」
皇女の年齢は十二歳。マーサから見ても幼く見える為年下に対する態度で接していたのだが、皇女はそれが気に入らなかった。
横たわったままだというのに不機嫌そうな顔を隠しもせず、語気も強い。
対するマーサはこのゲームの世界に関しての知識が薄いことに照れ笑いを浮かべている。
その態度が余計に皇女の心を苛立たせた。
「なら教えてあげる。この大陸の代表とも言える国家神聖帝国ドミナリオン、その第三皇女ミリアーナ・ドミナリオンよ! 物を知らなそうな貴女でもこの名前くらい知ってるわよね?」
「ごめんなさい、ほんとに分からなくって……」
「なんてこと……貴女、もっと勉強した方がいいわ」
「えへへ、勉強って苦手なんだよね」
「確かにおバカそうな雰囲気してるものね。顔はこんなにも美しいのに」
(がーん!!)
「ん、しょ」
マーサがショックを受けている間に、ミリアーナは重い全身に力を入れてなんとか身体を起こした。
キョロキョロと周囲を見回している。
この場にいるのはマーサとミリアーナの二人だけ。
ミヤはミリアーナを拠点予定地まで運んで回復魔法をかけた後は、話の邪魔にならないよう早々に姿を隠したのである。
「いいこと? 第三王女であるワタクシと貴女では立場が違いすぎるの。帝国の前ではただの一般庶民である貴女など塵も同然。いえ塵と呼ぶには綺麗過ぎる? ダイヤモンドの粉末? ――とにかく、立場で言えば対等に話すことすらおこがましいのよ」
「そうなの?」
「ええそうよ。だからその平民が年下の平民に話しかけるような態度をやめなさい。そうね、この砂に頭をめり込ませて命乞いをするなら今までの無礼を許してあげるかもしれないわ」
「ええーっと……」
「お、なんだそれは。新しいペットであるか?」
今まで会ったことの無いタイプ(皇女)のキャラにマーサが面喰らっていると、いくつもの枝を抱えたアルディが姿を現した。
「ペット!? このワタクシが!?」
「マーサの新しいペットでなければなんなのであるか?」
「神聖帝国ドミナリオンの第三皇女、ミリアーナ・ドミナリオンよ!」
「アルディちゃんは知ってる?」
「その国の名前は知っておるな。封印される前、高慢ちきな女神連中が洗脳してる腐れ国家がそんな名前だったのである」
アルディは薪を地面に下ろし、心底嫌そうに溜息を吐いた。
「はぁ!? 四天教だけでなく女神様まで侮辱するなど、許しては――!!」
その尊大な物言いに激昂し、勢いのままに立ち上がってその顔を睨みつけたところでミリアーナの言葉が止まってしまった。
服装は可愛らしいワンピースだが、その顔は、その頭に生えた角は、間違いなくとある人物の特徴と一致していることにも気付いてしまったのだ。
「ま、魔神王アルディエル!?」
「ふっふっふ、いかにも。吾輩が魔神王アルディエル・ゴールドライトである!」
「あ、あ……ああ……!!」
「そして、そこにいるのは吾輩の伴侶である魔神姫マーサである。――さて、この砂に頭をめり込ませて命乞いをするなら今までの無礼を許してやるかもしれないのである」
アルディの笑顔から放たれる殺気を浴びたミリアーナの心はポッキリと折れた。
そして生まれて初めての土下座を全身全霊で実行してみせた。




