17.屋敷に咲いた花
いつもの勉強を終えて、屋敷の中を歩いているアイリーンとナンシー。会話の途切れたところでナンシーがアイリーンを見ると、彼女はキョロキョロと首を動かしながら「うーん」と唸っている。
「どうしたの?アイリーン」
「ねえ、このお屋敷どう思う?」
問いかけたナンシーは逆にアイリーンから問い返された。屋敷と言われても、ナンシーにはアイリーンが何を指しているか分からない。人間関係か今の仕事の事か……はたまた屋敷の中?
ナンシーは「ん?」と首を傾げるが、そう言えば、アイリーンは屋敷の中を見渡していた事を思い出す。
「ハウスメイドたちがとても綺麗に掃除していると思うわ」
ナンシーは廊下の端に行き、窓のサンを指で擦りアイリーンに見せた。指には埃ひとつ付いていない。
アイリーンはナンシーの顔を見て首を横に振った。
「そう言えば、倉庫に使われていない花瓶があったよね」
「あったけど、あの汚いやつ?」
「うん、素材は良さそうだったから磨けば光るよ」
「ねえ、アイリーン一体何が言いたいの?」
「この綺麗なだけで殺風景なお屋敷に華を添えていくのよ」
アイリーンは腰にてを当てて、鼻息荒くふんぞり返った。
そう言えば、屋敷の中に無機質で生命感が感じられない。光を反射する大理石の床も、透き通って見える窓ガラスも全く温かみが感じられない。ただ綺麗なだけ。
華がないと言われた事で信じられない程、ナンシーには屋敷の中が冷たく感じられた。
「確かにそうね。で、どうするつもりなの?お花なんて無いわよ?」
「大丈夫よナンシー。森の中には宝石のように美しいお花が沢山咲いているわ。あのね、百合にクレマチス、ブーゲンビレアにキキョウにハイビスカス。それから……」
「わかったわかった。分かったから先ずは花瓶を洗いに行きましょう」
相変わらず豊富な知識がどんどん飛び出してくるアイリーンの口を、ナンシーは苦笑しながら塞いだ。
「ねえナンシー。お屋敷の人たちの心が少しでも癒されたら嬉しいよね」
ナンシーはアイリーンにフフッと笑顔を振りまいた。
「私はアイリーンとこうやっているだけで癒されてるよ」
◇ ◇ ◇
その翌日、ピカピカに磨かれ、色とりどりの花が添えられたた花瓶が窓辺や階段の脇などに設置されていた。
百合はしっかりとしたラッパ型の真っ白な花弁を悠々と見せびらかせながらも落ち着きを見せ、その横にあるハイビスカスはそれとは対照的に真っ赤な花弁を情熱的に燃やしている。キキョウの花は控え目に鹽らしく小ぶりな青い花弁を開いていた。
他にも、赤や黄色の野草の花が裏方の仕事をしっかりこなし、非常にバランスの良い構成なっていた。加えて、そこから漂う甘くて優しい香りが屋敷内にゆっくりと漂っている。
その花瓶を見つめ、ロッカルマイヤーの眉がひそんだ。
「ちょっと、誰よここに花瓶を置いたのは」
ロッカルマイヤーはハウスメイドのジミーを呼び止めた。
「いえ、私はよく知らなくて……いつの間にか置かれてあって……」
背が小さくてぽっちゃり気味のジミーは目を泳がせながらしどろもどろに答える。言葉巧みに話すことが苦手な彼女は、いつもロッカルマイヤーの注意の対象になっていた。
「勝手な事をして、さっさと片付けなさい」
ロッカルマイヤーが腕を振りかざした。その時、後ろから彼女を呼ぶ声が聞こえる。
「ロッカルマイヤーさん」
「お、奥様……」
後ろから呼びかけたのはスタンリー夫人だった。夫人は扇子で仰ぎながらジッとロッカルマイヤーを見つめていた。
──勝手な事をしてと咎められるに違いない……
ロッカルマイヤーの額から汗が滲み出た。
「これはあなたの指示なの?」
「いえ、これはと言いますと……」
「とても綺麗に飾られているわね。どうして今まで誰も飾らなかったのかしら。まるで王宮にいるみたいだわ」
夫人はクンクンと鼻を鳴らすと「香りも良いわね」とだけ言って去って行った。
ロッカルマイヤーとジミーは時が止まった様にその場に立ち竦む。
……
「あ、あの……」
ジミーがそう口にした時、ロッカルマイヤーは五百ピネル硬貨を取り出し、彼女に握らせた。
「こ、これからもよろしく頼むわよ」
その後、屋敷から花が絶やされる事はなかった。
◇ ◇ ◇
「首尾は上々のようだね」
屋敷の廊下を歩くナンシーはほんのり漂う甘い花の香りを楽しみながらアイリーンを見つめた。
「そうだね、片付けられていない所を見ると気に入られたみたいね」
嬉しそうに微笑むアイリーンは、そっと花に触ろうとするナンシーの手を見た。その手は洗い物が多いスカラリーメイドならではの手で、皸が酷く疲れたものだった。
(あ、そうだ)
アイリーンは何かを思い出した様にポケットから小さな小瓶を取り出した。
「ナンシーこれを手に塗ってみて」
アイリーンが取り出した小瓶の中には薄白い半透明のクリームが入っていた。
「これは何?」
「ナンシーの手荒れが少しでも良くなります様に。ハンドクリームよ」
そう言ってアイリーンはそれと一緒に作り方の書かれた紙を渡した。そこには『アロエとシルキの実をすりおろした物を火にかけ、水分が半分くらいになったら食用油を少し入れる』と書かれてあった。
「ナンシーはもう字が読めるでしょ」
ナンシーは両手でその小瓶を握りしめた。
「ありがとう……さ、早速塗ってみるね」
涙を浮かべるナンシーの手に塗ったクリームから、アロエの少し青臭い匂いが漂った。
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