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全てを奪われたけど、へこたれません。香りで夢を掴みます!  作者: 季山水晶
Ⅰ.試練の幕開け

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16.どこの誰だ?

少し追加しました。

 あの日以来、ジグはアイリーンに料理を作れとは言わなくなった。理由は簡単、ニックと共に醤油作りに全力投球をしているのだ。


 醤油があれば料理の幅が大幅に広がるのは間違いない、ジグの長年のコックの経験がそう言っている。


 素晴らしい調味料を教えて貰った恩返しは、完璧な醤油を作る事で返そうと思っていたのだ。


「待っていろよ嬢ちゃん、完璧な大根料理を食わせてやるからな」


 ……


 ナンシーの勉強も順調に進んでいた。この国の文字は全て理解し簡単な単語や文章も読める様になっていた。


 勿論、ナンシーは本を買うお金など持ってはいない。アイリーンも本は全て実家に置いたままだ。


 ではアイリーンがどの様に文字を教えていたかと言うと、彼女の持ち前の記憶力で覚えている物語を文字におこしたのだ。


「ねえ、アイリーン。このお話の悪い王女って、どうなるの?」


 ナンシーは目をキラキラさせながらアイリーンに尋ねる。


「それはね、うふふ。たいへーんな事になるのよ」


「ええ、どう大変なの?教えてよ」


 アイリーンはニヤリと少し意地悪っぽく微笑む。


「それはね、ナンシーが読んで確かめるのよ」


 と、こんな調子だ。簡単な物語から少し大人びたものまで、字を教えながら本を読むことでナンシーは楽しく字を覚えることが出来たのだ。


「私、本当は書き留めときたいことがあったの」


 ある程度字を覚えたナンシーは、嬉しそうにこれまで二人で行った塗装剤やフレグランスの作り方も思い出しながらノートに書きこんでいった。


 ノートに書きこんでいくと、改めてアイリーンの知識の豊富さを思い知らされる。


「ねえ、アイリーンはどうしてそんなに色んな事を知っているの?きっと、良い家柄の人よね、こんな所でメイドをしているのが不思議だわ」


 アイリーンが文字起こしをした物語を手に持ち、ナンシーは不思議そうに彼女を見つめた。


「……私ね、実はここには修行で来ているの。半年後にランバーグ専門学校を受験するの」


 アイリーンは小さく沈みがちにそれを絞り出した。


 その言葉を口にするとアイリーンの胸が苦しくなった。一応、そういう約束でここに来たのは間違いないが、事実上売られた身。それが今では夢物語である事は十分理解していた。


 アイリーンの表情が全てを語っており、ナンシーはそれ以上何も聞けなかった。ただ「アイリーンの夢が叶います様に……」と切に願わずにはいれなかった。


◇ ◇ ◇


「おい、あのトイレの匂いの元は何処から持ち込んだんだ?」


「え?」


「お前には鼻がついていないのか。あのトイレの香りだ」


 スタンリーは執事のフランクを呼び止め、声を荒げた。スタンリーのこの行動は何かを頼まれる時だ。それもこの興奮状態のときは断れない内容だという事をフランクは理解している。


「ああ、あの香りの事ですね……」


 匂いの元と言われても、フランクは直ぐにピンとはこなかったが、思わず口にしてしまった。


 フランクもトイレに今までに無い匂いが漂っていた事は感じていたが、さして気を止める事もなかったのだ。


 だが、改めてそう言われるとトイレに入る時の臭気の不快感が激減している事に気が付いた。


 フランクはそれを誰が持ち込んだのかは知らない。しかし、執事として家で起こっている出来事を把握していないなど口が裂けても言えない。


「ああ、あれは行商人から取り寄せたものです。スタンリー様、気に入らなかったでしょうか?」


 行商人という事にしてしまえば、出所を特定しにくい。それでこの場を乗り切れればと、姑息な気持ちがフランクに涌き出す。


「馬鹿を言うな。あの匂いは素晴らしい」


 ──今まであんなものはどこの貴族の屋敷でも見たことがない。あれがあればアルバートと懇意になれるはず。


 スタンリーは、ほくそわらう。


「今度、公爵のアルバート様との会食がある、あれを贈り物に持って行きたいのだ。用意しておいてくれ」


 スタンリーは手に持つ懐中時計の蓋を「バチン」と大きく鳴らした。


「よ、用意と言われましても……一体いつその行商人が来るか分かりませんので」


 フランクの額から変な汗が滲み出る。


「わしに恥をかかせるつもりか。何とかその行商人を探し出せ」


 スタンリーは言葉を投げ捨て、すたすたと歩いて行ってしまった。


 フランクの心臓の動きはこの上なく早くなっていく。噴き出す汗は留まる事を知らない。


 フランクは急いでメイド長のロッカルマイヤーの元へ向かった。


 ──くそぉ、この屋敷に無償で環境を良くしようと考える者など誰が居るのだ。


 舌打ちをするフランク。思い当る人物など全く存在しない。


 数多くのメイドの長であるロッカルマイヤーなら何かを知っているかもしれない。


 ……


「いえ、フランクさん。私も匂いの事は気になっていましたが、誰も知らないと……」


 フランクに呼び止められたロッカルマイヤーは我関せずとばかり、しれっと答える。


「と、トイレの掃除をしているのは誰だ。そいつが何かを知っているかもしれん」


「そんなことある訳ないでしょう。あの子たちは教養もないし、お金も持ってないのですよ。どうやってそんなものを仕入れるのです?それを入れたのは奥様じゃないんですか?」


 ロッカルマイヤーはツンと鼻を持ち上げ「わたくしは忙しいので……」と行ってしまった。


 奥様になど聞けるわけはないのはロッカルマイヤーも十分に分かっているはず。奥様が手に入れたものならスタンリーが知らないわけはないのだ。


 フランクは目の前が真っ暗になった。期日までにものを用意しなければスタンリーの性格からして、自身の解雇もありうる。


 ──まずいぞ、何とかしなければ。勝手な事をしたのは何処の誰だ!


 フランクの額に汗が滲みだした。


読んで頂きありがとうございます。

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