14.二品目
「よう、待ってたぜ」
朝の片づけが終わり、昼の準備までのひととき、本来ならキッチンスタッフ達はここで油や煤でこびりついた調理器具を洗うのに使っている時間だ。
だが、アイリーンが炭酸石を使った洗浄法を教えて以来、その時間はぐっと短くなった。特に用もないはずのキッチンにジグをはじめ他のキッチンスタッフも顔を揃えていた。
「コック長も他のみんなもどうしました?」
「そりゃあ、嬢ちゃんが大根料理を作るんだ。皆が見に来るさ」
フンと鼻息を吹いたジグは、大きくて水分がたっぷり含んだ立派な大根をアイリーンに差し出した。他のキッチンスタッフもウンウン頷いている。
「まあ、何て立派な大根」
透き通る程の白さ大根を抱えて、アイリーンは目をパチクリさせた。
「腕を振るうには十分な代物だろう?」
ジグは胸を張り、鼻の下を指でキュキュっと擦った。
「それはそれはプレッシャーですね。ご期待に応えられるように頑張ります」とアイリーンは鼻の穴を膨らませ、腕まくりをした。
「ねえコック長。大豆を発酵させて作った塩の味をした黒い液体ってありますか?」
「……わりいな嬢ちゃん、それ、聞いた事ないわ」
(やっぱりお醤油は私の家にしかない物だったのね……何か代わりになる物を)
「味をつけるための物は何があります?」
アイリーンがジグにそう問いかけると、ジグは塩と胡椒とソースを示した。
「……」
アイリーンは黙って顎に拳を乗せてそれらを一点に見つめていた。
彼女のポーズは誰が見ても料理をするのに足りないものがあると分かるものだ。ジグはアイリーンに頼んだ手前、可能な限り彼女の希望に添えるものは無いかと考えたが、それが何なのか皆目見当もつかなかった。
「わりいな嬢ちゃん。俺達料理人はたいてい、それだけで味付けをしているんだよ。何か欲しいものでもあるのかい?」
ジグは目じりを下げて申し訳なさそうに片手で拝むポーズをしてアイリーンをジッと見つめた。
「じゃあ、お魚と一緒に仕入れた海産物で私が使っても良いものってありますか?」
ジグにとって予期せぬ方向から質問が飛んできた。
「え?」とジグは疑問符を持ち出すと、直ぐにハッと目を見開き冷蔵庫に走って行った。そして四角い木箱を持って帰ってきたと思うと、その蓋をカパッと開いた。
「あ、これは牡蠣ね。これ頂いてもいいの?」
「ああ、これで代わりになるなら使って貰っても構わないさ」
アイリーンは嬉しそうに牡蠣を五つほど手に取ると「ありがとう」と言ってシンクに向かった。
「私も手伝うよ」
アイリーンを駆け足で追ってきたナンシーは既に腕まくりをして、キッチンエプロンを身に着け、三角巾を頭にかぶっていた。
「うふふ。やる気満々ね」
「だって、楽しみなんですもの」
アイリーンの笑顔にナンシーはグッと親指を突き出す。
「じゃあ、ナンシーは牡蠣の貝殻を取って、しっかり洗ってくれる?私は昆布と鰹節を用意するわ」
「あれ?この間の卵料理と似ているね。また出汁を作るの?」
アイリーンはゆっくりと首を横に振る。
「先ずはね、牡蠣で作った調味料を作るの。それが大根料理の元になるのよ。このあとね……」
ナンシーはアイリーン言われた通り、きれいに洗った牡蠣をしっかり茹で、その中に用意された昆布と鰹節を入れ、更に煮詰めた。
「出来たよ」
余分な具材を取り出し、煮汁だけになった鍋にアイリーンは砂糖と塩、それに香ばしさに定評のある赤大豆を擦り潰したものも入れた。
「トロッとするまでゆっくりかき回しておいてね」
ナンシーがそれをゆっくり混ぜていると、甘くて香ばしい、少し焦げた大豆の香りが漂ってくる。とても食欲のそそる匂いなので、思わず舐めてみたくなるが彼女は「ダメダメ」と自身の口を押えた。
その間アイリーンはジグから頂いた魚の頭に塩を塗りたくり、横で沸かしていたお湯を手に取るとそれにぶっかけた。
「アイリーン、何をしているの?」
「こうするとお魚の生臭みが激減するのよ」
ナンシーはそれを目を丸くしながら眺めており、なんとジグや他のキッチンスタッフはご丁寧にメモを取っている。
アイリーンはそれらを全く気にすることなく、その後しっかり水洗いをして仕上がった魚の頭と、皮を剥いたぶ厚めに輪切りにした大根を鍋に並べた。
残った大根をすりおろし出た汁を鍋に放り込むと、そこへ水に酒、砂糖を加え弱火にかけた。
「この泡粒が苦みの原因になるのよね」
ゆっくり湧き上がると浮いてきた泡粒を丁寧に取り除くと、アイリーンはナンシーの方へ向き直った。
「さあ、ここでナンシーの作ってくれた調味料の出番です」
「ここで使うの?」
「そうだよ。今なの」
アイリーンはそこに先程作った調味料を放り込み、その上から蓋を落とした。
「後は完成を待つだけです」
アイリーンはそう言うとその場を離れ、先程避けた牡蠣の実と昆布を洗い、再び火にかけた。そこへ先程作った調味料と砂糖を入れ、それもコトコトと煮詰める。
「それは何?」
「これは佃煮と言って、保存食なの。パスタやパンにも合うのよね」
ナンシーはまじまじと牡蠣の佃煮を見てふうんと頷く。
「さあ、大根も出来たわ」
アイリーンは煮込まれた湯気が立ち上がる大根をお皿の上に崩れない様にそっと並べ、ゆで汁を上からかけた。
黄金色の艶を出す大根から、湯気の中に魚の香りと調味料のほんのり甘い香りがキッチン全体に広がっていく。
「さあ、召し上がれ」
アイリーンはキチンスタッフの前に出来立ての料理を差し出すと、静まり返ったキッチンに「ゴクリ」と唾を飲み込む複数の音がいくつも重なり合った。
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