13.屋敷の異変
「おい、嬢ちゃん。この間の卵料理、スタンリー様が喜んでいたらしいぜ」
昼食の片づけをしている時、ジグがアイリーンに笑顔で語り掛けた。
ジグは卵料理のレシピを教えて貰って以来、すっかり彼女の事を気に入ってしまった。そして、この間、塗装材や芳香剤づくりで更に距離が縮まり、ジグは親しみを込めてアイリーンを「嬢ちゃん」と呼んでいた。
「コック長、レシピはアイリーンが知っていた事をスタンリー様に言ったのですか?」
調理助手のロンバートは心配そうにジグに尋ねた。
「そんな事、あのエロじじいに言う訳ないだろう。嬢ちゃんが何されるか判ったもんじゃねえ」
ここでもこの家の主人スタンリーの評判はすこぶる悪い。気になった者を誰彼かまわず手を出す噂の絶えない主人の事は、この家の使用人の周知の事実。少なくともアイリーンを気に入っているキッチンスタッフ全員が、彼女の能力を伏せる事に一致団結しているのだ。
「ところでよぉ嬢ちゃん、今年は大根の収穫が良いんだよ。何か目新しいことは出来ないかい?」
ジグは立派な大根を手に持ちアイリーンにそう尋ねる。
ここでの大根料理は細く切ってサラダにするか、単に茹でて肉を巻くか、他の野菜たちと煮込んでスープにするくらいで特別美味しいと思われるものでは無い。
ジグはそんな大根でも何らかの可能性があるのでは、と期待を寄せていた。
「ありますよ、とっておき。大根が大好きになるお料理ですよ」
(母の大好きだったあの料理を、みんなに食べて貰える)アイリーンは大根を見ながら目を輝かせた。
ジグの目がパッと見開いた。
「すぐ作れるのかい?」
「え?また新しい料理ですかい?コック長」
息を弾ませながらロンバートも話の中に割って入る。ナンシーも横目で聞き耳を立て、ぺろりと舌なめずりをした。
「そうですね……できればお魚が入る日に作りたいです」
「じゃあ、明日だな。青みの良い魚が入る予定だ。けど、夕食に出す分だし、そんなには分けてやれないがそれでも大丈夫か?」
「はい。出来れば頭を頂けたら嬉しいです」
「頭かい?そんな食えねえところで良いのかい?」
ここでは魚の頭なんて単なるゴミである。ジグは何かを問いただすように指先で魚の頭を模った。ロンバートやナンシーも小首を傾げるが、アイリーンは何も言わずニッコリと微笑んだ。
◇ ◇ ◇
翌朝、いつも通りのキッチンの仕事が終わり、ナンシーとアイリーンはトイレ掃除に向かう。今日は初めて塗装剤を塗った便壺を使った後、ナンシーはその塗装剤がどのような効果をもたらしたのかが気になって仕方がなかった。
「ねえ、アイリーン。私は今日のトイレ掃除が楽しみで仕方がなかったのよ。皆嫌がる仕事なのに可笑しいでしょ?」
ナンシーは目を細めながら口元を押さえ、頬がほんのりと赤く染まっていた。
「ウフフ。お仕事は楽しくなくっちゃね。それとおトイレを回る時にこれを置いて行きましょう」
アイリーンは便壺と一緒に昨日作った小瓶のフレグランスをナンシーの前に差し出した。薄黄色の液体が美しく光る小瓶からは、花畑を想像させるような心地よい甘い匂いがほんのりと漂ってくる。
「それ、昨日作った良い匂いのする奴よね。それをどうするの?」
「それぞれのおトイレに置いて来るの。おトイレに入った人、ビックリするよぉ」
少しだけ小悪魔的な笑顔を浮かべるアイリーンを見て、ナンシーの目が大きく開き顔がパアッと明るくなる。
「本当ね。おトイレに入るのがきっと嫌ではなくなるね」
ナンシーはトイレに入るたびに鼻をつまんでいた事を思いだす。それがどう変わるのか、もしかしたらおトイレがお花畑になるかもしれないと思うと、居てもたってもいられなくなった。
トイレに回ると、早速アイリーンの魔法が素晴らしい効果を発揮していた。
「アイリーン、どの便壺にも汚染物が全くついていないわ。あの塗装剤のお陰なの?」
口元に手拭いを巻いたナンシーは便壺の内側をアイリーンに見せながら目を丸くした。
「そうなの。あれは滑りやすくする魔法なのよ。もよおした後、水で流せば全部流れちゃうの」
便壺が汚染物であることは間違いないが、いつもの様に汚物がべっとりへばりついていないので匂いもマシ。何よりもこの後の洗浄がかなり楽になる事は想像に難しくない。
案の定、汚染便壺は水でサッと洗い流すだけで光沢を取り戻した。
そんなこんなで、アイリーンとナンシーは芳香剤の設置に、便壺の交換と洗浄を僅か十五分ほどで終わらせてしまった。
「もう終わっちゃたよ。お昼まで時間がずいぶんにあいちゃったね」
「ええ、この時間を使ってジグさんとの約束をこなしに行くの」
汚物洗い用のエプロンを洗いながらアイリーンはそう言った。
「あの大根のお料理?」
そう言えばアイリーンがジグにお願いされていた事をナンシーは思い出した。
「ええ。私の母の味よ」
──母の味って言っていた卵料理もあんなに美味しかったんだもの。大根料理もきっとおいしいはずだわ。
ナンシーは想像するだけで涎が出そうになって来る。
「ねえ、私も手伝うから、それ食べさせてくれる?」
「勿論よ。手伝ってくれなくても食べてもらうつもりでいたわ」
アイリーンがウインクをすると、ナンシーは早く行きましょうと言って彼女の手を引っ張った。
同時刻……屋敷の中からトイレから花畑の匂いが漂ってくるとの噂が立ち始めていた。
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