第一章 切符と代償(5)
彼は――オオサキ・ジュンイチは、どんな覚悟で、そんなことを言ったのだろう。
それが、彼が思っているのとはまるで違う世界への入り口かもしれないと、気づいているだろうか。
「ところで、結局行くってどこへ? どうやって?」
彼はそんなことを能天気に聞いてくる。
お人よし。
お人よしの馬鹿。
私が、オオサキ・ジュンイチという人間に対して最初に持った印象。
御しやすい馬鹿な子供。
――でも、私の身分を笑い飛ばしてくれる人。
誰もかれもが私に跪く世界で、私は強者でいることを強いられて――
だから、私を病人と笑い飛ばしてくれたジュンイチが、なんだか私に勇気をくれた、気がする。
テイトホテルでお父様を止めることが出来なければ諦めようと思っていたけれど、まだ、前に進もうって思えたから。
……思えば、私も、御しやすい子供だった。
至高の力を持って生まれた私なのに、私は易々と諸侯たちに御されていた。
気が付いたら、何もかも、諸侯たちの描いた通りに進んでいて……。
ここままじゃきっと、エミリアも、周りの国も……。
どうしてこんなことになる前に動けなかったのか。
……理由なんて分かってる。
ただただ、私が弱虫だっただけ。
あの子は、元気かな。
元気……なわけないわよね。
だって、エミリア王国第一王位継承権者に傷をつけたんですもの。
私がそんなに恐ろしい存在だなんて知らずに、気軽に振るってしまった力で、あの子はきっと――。
両親に頭をつかまれ無理やり床に顔をこすりつけられていたあの子の姿が、まだ脳裏から消えない。
私は、対等な友達だと思ってたのに。
そんなことはなかった。
私に対等な友達なんてできるわけがなかった。
私は、あの子にごめんなんて言ってほしかったんじゃない。
ただあの子のために……。
いや、もう思い出すのはよそう。
忘れて前に進むんだ、って決めた。
だから、こんな辺境まで、一人で飛んできたんだから。
この最初で最後の覚悟を、絶対に無駄にしない。
そのために。
決して弱虫の私を見せないこと。
必要があれば嘘の涙でも流して見せること。
全部嘘で固めよう。
私の仕事は嘘をつくこと。
私の自由を、なんてことを本気で信じてる彼には悪いけれど。
私は決して自由になんてなれない。
割れたコップが戻らないのと一緒。
分かってて、それでも。
心がチクリと痛む。
このまま進んだら、結局、このお人よしを、あの子と同じにしてしまうんじゃないかって思ってしまって。
彼がコップの破片で怪我をしてしまわないように――どうか、最後は私を憎んで離れてくれますように――
「外国に行くなら、空港かなあ」
「ジュンイチがいるなら手があるから。またID貸してもらえるかしら」
あーやっぱりかーなんてつぶやきながら彼はIDを出した。
私は再びジュンイチのIDを受け取りながら、
「お父様が次にどこに向かったのかを予測して、それよりも早い手段で先回りするの」
「そんなこと分かるの?」
仮にも相手はエミリア王国の国王。その動静に関するセキュリティレベルは宇宙で一番厳しいと言っていい。
でもそのための準備はちょっと前から進めてる。
私の無言のオーダーに応えてくれる、頼もしい彼。
「少し待ってて。今、応援を呼んでるから」
私が言うと、彼は目を丸くした。
「でもここで待ってても――」
彼が言いかけたところで、空からすさまじい風切り音が響いてくる。
航空機のエンジンではない、視界内にいる誰もきっと聞いたことのない機関の高い唸り。
やがて私とジュンイチの視界の半分を覆い、世界の景色を塗り替える。
遅いわよ、ジーニー・ルカ。
***
僕は、突然頭上に巨大な気配を感じて首をすくめる羽目になってしまった。
風きり音を立てながら空から降りてきたそれは、全長三十メートル近くはあろうかという、真っ白な、翼の生えたイルカのような巨大な代物。
突然の巨鳥の飛来に、街は悲鳴や歓声で満ちた。
巨大な白イルカは翼を折りたたみ路上数メートルに浮かぶと、側面から搭乗タラップ(に間違いないもの)を僕らの前に伸ばす。
「さ、急いで乗って。あまり目立ちたくないから」
促すセレーナに、僕は何も言うこともできず、ただ背を押されるままにタラップを駆け上るしかなかった。
そこに座れ、そのベルトを締めろ、という立て続けの指示にただ従い、気がつくと彼女も隣の席にベルトで固定されている。
そして次の瞬間、突然の落下感に襲われた。
落ちる――という本能の悲鳴にも関わらず、窓から見える景色は下に向かってすさまじい勢いで流れていく。
暗いオレンジだった空の色は、ぐんぐんと暗さを増していき、紫を過ぎてやがて真っ黒に変わった。
その黒を背景に、目が痛くなるほどの輝きで、巨大な青い球の端が見えている。
僕の体の感覚は相変わらず落下し続けていると警告を発している。
でも、知識では知ってる。これは――無重力だ。
「急がせちゃったわね、ジーニー・ルカ。無事に会えてうれしいわ」
誰にともなくセレーナが呼びかける。
「こちらこそ、ご無事で何よりです、セレーナ王女」
部屋のどこかから、中性的でまったくなまりの無い模範的標準語を話す声が響いてきた。
「ご苦労様。こちらはジュンイチ、怪しいものじゃないわ」
「存じております。念のため身元検索しておきます」
会話が途切れたところを見計らって、僕は口を開いた。
「誰か乗ってるのかい? この……飛行機……に」
僕の疑問に、彼女はなぜか勝ち誇ったかのように鼻で笑った。
「ふふん、知ってるかしら? ジーニー……ジーニー・ルカ、せっかくだから挨拶なさい」
「初めまして、ジュンイチ様。セレーナ様のサポートをさせていただいております。製造年は標準歴490年、今年ちょうど五百年の経歴となります、クラスはオラクル級、通称をジーニー・ルカと申します」
……ジーニー?
えっともしかして、宇宙国家の政府とかしか使ってないような人類最高の知能機械の……。
え?
「……ただのAI、じゃ、なくて?」
やっと声を絞り出した。
視界の端で、セレーナがくすくすと笑っているのが見える。
「はい、ジュンイチ様。素晴らしい出会いに感謝いたします」
……えっと。
量子論だか何だかのアレがアレのやつ。
確か、何十億クレジットとかで取引されてる、アレ、だよね、確か。
ヘタすると資源惑星丸ごと買えるお値段の……。
は、はへぇ?
思わず変な声が洩れてしまう。
「セ、セレーナ、どっから盗んできたんだよ」
「人聞きの悪い。エミリア貴族ならたいてい持ってるわ」
そんなわけあるか。
と思うけど、実際に持ってるのを見てると、頭は混乱するばかり。
「……その様子じゃあ、この船がなんなのかも分かってないわね」
言われて、気が付いた。
確かに、飛び上がるとき、垂直に飛び上がっていた。
ヘリコプターのような音も聞こえなかったし。
そもそも宇宙まで飛び出してるし。
「私の宇宙船。マジック推進って聞いたことある?」
……は、はへぇ?
再び変な声が洩れた。
「マジックって……いや、あの都市伝説の反重力推進……」
そこまで口に出してから。
突然、頭の中の宇宙地図と、ある資源の歴史の知識が結びつく。
宇宙でたった一か所、『反重力効果を持つ鉱石』を採掘できる惑星。
宇宙では珍しい王政の国。
「エミリア……え? 待って、エミリア王国って、あのエミリア?」
一グラム何百万クレジットと言われるマジック鉱石の産地。
「君は……ひょっとして、あの、惑星エミリア……エミリア王国の……」
僕が声を震わせながらセレーナに尋ねると、彼女はぽかんとしたような顔を一瞬見せ、
「……呆れた、ジーニーはともかく、私の国のこと、気づいてなかったのね」
「いや、その、ずっと地球のどこかの田舎王国の人かと思ってたんだよ」
言ってから、これまでの自分の言動を思い出し、顔がほてるのを感じた。
地球の田舎王国?
なんでそんなことを考えたんだ。
よりによって、近代宇宙史で絶対に外しちゃいけない、あのエミリア王国の名前に気付かないなんて。
……大丈夫か、僕。
――と同時に、セレーナにこれまでかけてきた無礼な言葉の数々。
「なるほど、話がかみ合わないはずだわ」
そう言って、セレーナはくすっとかわいらしく笑った。
「そ、その、ごめ、もうしわけ、えっと?」
「もう、今更やめて。何? あなたって、相手の国の国力で態度変えるタイプ?」
そんな風に笑われると、僕はまた恥ずかしくて顔がほてってくる。
「こっ、国際政治の場では、当然だと思う、おも、存じま」
「なるほど、おっしゃる通り。じゃあご希望に応えまして、今までの不敬を累積すると――うーん、石棺刑かしら? 酒葬刑かも? それとも、火炙刑?」
「どどど、どれが上なの!?」
「どれが上だと思う?」
「い、痛くないやつでお願いします!」
「今度死んだ人に聞いてみるわね」
「やっぱり死んじゃうんだ!?」
僕が慌てていると、セレーナはこらえきれずに笑い出した。
「もういいわ。それになんだか、あなたに敬語でしゃべられると気持ち悪い。これまで通り」
「う、うん、なんかごめん、僕も今さら無理だ。君がその、頭をちょっとアレしちゃった家出少女だと思ってた時から」
僕が何とか言葉を絞り出すと、セレーナはぷすーっと吹き出した。
「よかった。だいぶ出世したみたいね、私」
にこにこと笑うセレーナはとてもご機嫌そうに見える。それはきっと、これまでさんざん失礼な態度をとって来た僕への意趣返し。うん、しょうがない。やっちゃった自覚はある。甘んじて受けよう。
「じゃあ、この船で陛下の先回りを」
「ええ。この船より速い移動手段は宇宙にはないはずよ。そして、ジーニー・ルカより賢い知性も、ね。ジーニー・ルカ、オーダーよ。エミリア国王陛下の居場所を探して」
「セレーナ王女、お言葉ながら」
なんだかジーニー・ルカは、いさめるように声色を変え、
「そのオーダーはエミリア王国一般セキュリティ規則の第五十四条――」
と、その言葉が終わらないうちに。
「――を破らないように、お願い、ね」
「――セレーナ王女も、相変わらず無茶をおっしゃいます。かしこまりました」
……これはひどい。なんだこのやり取りは。ジーニーってもっと超越的知性ではなかっただろうか?
「大丈夫なのか? その、セキュリティ規則云々は」
「大丈夫よ。別に私が王女だからとかじゃなくて、ジーニー・ルカが勝手に妄想を口にするだけだから。別にどこかのシステムに侵入して情報を盗み取ろうってわけじゃないから」
「セレーナ王女、陛下はペキンです」
「ありがと。ね、こんな感じ。その次は?」
「その先はニューデリー、フランクフルト、ロンドン、ワシントン」
……これはひどい。
でも、これだよこれ。
実物を見るまで信じられなかったけど。
ジーニーは、『直感』を操る。
直感推論で、誰も気づかないようなわずかなヒント、なんなら量子論的揺らぎまで計算に入れて、答えを導く。
でもだからって、『常識的な推論』を無視してまでやることじゃない。
――と思ってるのは僕だけ?
実際にやってるのを見ると、もうそういうものだと思うしかないのだけれど。
「ではまずペキンへ。オーダーよ」
「かしこまりました。また、ジュンイチ様の身元もおおよそ把握できました。善良な新連合国市民。カバンの中に危険物はないと思われますが、丸めた紙、おそらく試験の答案用紙のようなものが入っている可能性がございます」
再び僕の顔が沸騰する。
恐る恐る視線を向けると、セレーナが、半目の呆れ顔で僕を見ている。
「……丸めた答案に、興味があるわ」
彼女の瞳が嗜虐的に光る。
「……勘弁してください、王女様、ジーニー様」
僕が言うと、再びセレーナはくすくすと笑った。
くそっ、ジーニーと一緒になって僕をおもちゃにして笑ってやがる。
やがて、再び重力の方向がぐにゃりと変わったような感触があり、窓から見える景色がグルンと回った。
舳先はおそらく、ペキン、大陸の漢民族文化自治区の首都。
「あ、謝っとくわ、ごめん、ジュンイチ」
突然の謝罪の表明に、僕は面食らって
「え、な、なにが?」
としか答えられない。
「たぶんだけど、空域IDスキャンにあなたのID残るわ。地球にも空域フェンスあるんでしょ?」
「……あ」
国境の出入りほどの管理がされてるわけじゃないけど、空中に仮想のフェンスを張ってあって、そこを通過するIDをスキャンしてるはず。セレーナのIDはしっかりとアンチスキャンに包まれているけれど、僕のIDは隠れ蓑として大いに存在を主張してる。もし僕が行方不明にでもなれば、捜索隊はペキンに向かうだろう。
「……聞いてない」
「だから、ごめんってば」
ごめんで済みそうな犯罪じゃない気がする。厳密には犯罪じゃないはずだけど。
「早まった」
僕が憮然とつぶやくと、セレーナはまた笑って見せた。
「私の勝ち、ね」
はいはい、そうでしょうとも。もうおもちゃポジションで、いいです。
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